友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。
カテゴリー: SALT OF THE EARTH
「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。
2019年4月8日 投稿
友岡雅弥
グンゼの本社は、JR大阪駅の近くにありますが、「登記上」の「本店」は、京都府綾部にあります。「本店」という名称を使う会社は、「老舗企業」が多いですね。
ご多分に漏れず、まさに綾部にルーツを持つ老舗企業です。
もともとである本業の下着などの衣料製造では、もちろん有名ですが、今は、タッチパネルの材料などのIT分野、生体に吸収される縫合糸や人工真皮、人工硬膜などの医療分野や、植物などの生産販売を行ったりしてますね。
これらの分野は、広く海外展開もしていて、まあ、日本を代表するグローバル企業の一つです。
もともとは、京都府綾部が発祥の地というところからわかるように、生糸、絹織物が出発点でした。
1896年(明治29年)に、創業者である波多野鶴吉が、綾部に製糸工場を設立しました。
わずか、15年、1900年(明治33年)、パリ万博で、金牌を受賞、続いて1904(明治37年)、セントルイス万博で「最高賞牌」。
すごい技術です。
さて、なんで「グンゼ」なのか?
波多野鶴吉は、地元で小学校の教師をしていました。
家が貧しくて、学校にこれない子どもたちもたくさんいる、一人一人の状況をつぶさに見ても、来れている子どもたちにしろ、食うや食わず。
山の中なので、当時の米作技術では、安定した収入はえられない。当然、養蚕などに頼らざるを得ない。
でも、養蚕は、当時の日本の主要輸出産品なので、国内のあちこちで作られている。 富岡製糸場のように、国が経営している大規模製糸場には、家内零細工場では太刀打ちできない。
それで、波多野鶴吉は、経営の成り立つ仕事作りをしようと、蚕糸業組合をきちんと組織したり、技術の向上のための、養蚕伝習所を開校したり、さまざまに尽力し、そして、 グンゼを作ったのです。
さあ、当時、グンゼは、どういう名前だったのか?
「郡是製絲株式会」です。
「グンゼ」は、「郡是」 だったのです。
「国是」という言葉は、当時からよく使われました。
「国の方針」という意味です。
「国是」ではなく、また「県是」でもない。
「郡是」です。
ローカルです。
グローバリゼーションではなく、ローカリゼーションです。
彼は、工場で働く女性たちを、当時差別的な響きを持っていた「女工」と呼ばず、「工女」と呼びました、「皇女」にも「孝女」にも響きが似ています。
そして、「郡是女学校」を作ります。ただ、働かすために「女工」を雇うのではなく、工場は、人としての成長の場であり、そこで人材を作り、社会に輩出する、というのが、彼の目的だったのです。
即戦力の人材を雇い、使い捨て、というのとは、全然違います。
ちなみに、彼は、地域づくりのために、病院も作っています。
これが、「グンゼ」のルーツです。
【解説】
私は、結婚するまで母親の用意してくれた白いパンツを穿いていました。たしか、グンゼだったように思います。
グンゼのパンツ、なつかしいです。
友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。
獅子風蓮