石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。
湛山の人物に迫ってみたいと思います。
そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。
江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)
□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
■第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき
第6章 父と子
(つづきです)
しかし、12月8日、日本陸軍はマレー半島に上陸を開始し、海軍は真珠湾を攻撃。太平洋戦争が始まったのである。
言論統制も苛酷になっていった。新聞や雑誌の原材料である用紙やインキなどの資材不足によって、割当制になると、政府はこれを言論弾圧の手段に使った。政府や軍部の意にそわない言論機関には、割当量を容赦なく減らした。逆に自分たちの意に迎合するものは優遇した。
「これでは軍部という蜘蛛の網の中にいる蝶のようなものだ」
嘆息する言論機関が続出した。それに追い打ちがかかった。
「石橋主幹、当局が雑誌・出版懇談会に出席するよう求めてきましたが?」
高橋亀吉が退社してその後の編集局長に収まっていた根津知好が、専務室に来てそんな報告をした。
「懇談会とは名ばかりだろうな。差し止め事項の通達や記事内容への当局からの注文、好ましくない記事への批判なんかを中心にした干渉の場だろう?」
「多分、そうだと……」
「しかし、嫌とは言えんだろう。どうせ内閣情報局あたりが元締だろうから」
湛山が危惧したとおりに、根津はその懇談会に出席すると担当の軍人から『東洋経済新報』の編集がおかしいと、注文をつけられた。
「主幹、その恐ろしさといったらありません。何しろその軍人は私の前に座ってサーベルをドスンドスンと床に打ちつけて脅かすんですから」
「冗談ではない。そんな脅しに屈しては駄目だよ。ただ、やり方として、軍部に対しても真正面からの批判ばかりでなくて、時にはあえて回りくどい表現をとって、行間を読者に読み取ってもらえるようなことも大事かもしれないな」
湛山は苦笑しながら根津に提案した。根津も苦笑しながら頷いた。その頃、読者の一人であった東大の岡義武教授が、東大に湛山を招いた際に、湛山に尋ねたことがある。
「『東洋経済新報』は当局から圧迫を受けているので、いずれは4ページ雑誌になってしまうだろう、という噂がありますが、大丈夫ですか」
「まあ、一番睨まれている雑誌でしょうから何とも言えませんよ。でも先生、いざとなれば雑誌を潰せばいい、くらいの覚悟でやっていれば、まだまだ相当のことが書けますよ」
翌年、湛山は東京・芝の西久保町に一軒の家を買った。芝中学前の高台であった。
それは湛山の自己防衛であった。
社内の空気がおかしくなってきたのである」
「これ以上軍部や政府に抵抗することは東洋経済新報社のためにならない。いっそのこと石橋主幹に辞めてもらって軍部に協力する態勢をとろうではないか」と主張する2、3の人間が現われ始めた。
「だが、私は辞めない。もしも会社が潰れるようなことがあったとしたら、会社の土地や建物を売って社員の退職金として分ければよい。しかし『東洋経済新報』の灯を消さないためには、別の場所に研究所を作っておけばよい。いつでも『東洋経済新報』が復刊できるようにだよ」
湛山は心の通じている幹部に、そこまで覚悟を決めていることを、はっきり告げた。
幹部たちも、湛山の覚悟に同意した。
湛山は動揺する若手の社員を部屋に招いて、こんな壁え話をしたこともある。
「僕の父親は甲州の生まれでね。僕も子供の頃に甲州に住んでいた。すぐ近くを富士川が流れていて、昔はこの富士川を下って清水に出て、そこから東京に来たんだな」
何の話かと思いながら、若手社員は聞いている。
「富士川下りには難所がある。その辺りで船が難破することも多々あったんだ。その時に不思議なことが起きるんだな」
座談の得意な湛山に、社員たちは引き込まれた。
「女子供が助かって、泳ぎの達者な若者が溺れ死ぬということがあったんだ」
「主幹、どうしてですか?」
「つまりね、富士川は急流ではあるけれど水は浅いんだよ。僕も子供の頃、富士川の淵で遊んでいて溺れかけたことがある。……両岸に川原があって流れの幅も広くはない。泳ぎに少しでも自信があれば簡単に泳ぎきれて岸に上がれそうに思えるんだよ」
「なるほど……」
「ところが女子供はもうどうにもならないから、壊れた船の破片にでもしがみつくしかないんだな。難所を通過するとあとは緩やかな流れに出るので、むしろ、船の破片にしがみついて流されるほうが助かる確立は大きいというわけだ。なまじ自信があるばかりに泳ごうとする若者は溺れ死んでしまう。そういうことだよ」
湛山が言いたかったのは、世の中はこの富士川下り同様に難所に出会うが、慌てて船を捨てて泳ごうとするとかえって命を失う結果になる。ゆったり破片にしがみついて緩やかな流れに出るのを待つものだ、であった。
「軍部から圧力をかけられている『東洋経済新報』の今と、それがなくなるはずの将来をおっしゃっているんですね、主幹」
「まあ、そんなところだな。さしずめ僕は船の破片というところかな」
最後は爆笑でお開きになった。
(つづく)
【解説】
「富士川下りには難所がある。その辺りで船が難破することも多々あったんだ。その時に不思議なことが起きるんだな」
座談の得意な湛山に、社員たちは引き込まれた。
だんだん過酷になる言論統制の波を乗り切るために、湛山が社員を前にたとえ話をする。示唆に富む話です。
獅子風蓮