獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

石橋湛山の生涯(その49) 8/15

2024-08-15 01:45:17 | 石橋湛山

石橋湛山の政治思想に、私は賛同します。
湛山は日蓮宗の僧籍を持っていましたが、同じ日蓮仏法の信奉者として、そのリベラルな平和主義の背景に日蓮の教えが通底していたと思うと嬉しく思います。
公明党の議員も、おそらく政治思想的には共通点が多いと思うので、いっそのこと湛山議連に合流し、あらたな政治グループを作ったらいいのにと思ったりします。

湛山の人物に迫ってみたいと思います。

そこで、湛山の心の内面にまでつっこんだと思われるこの本を。

江宮隆之『政治的良心に従います__石橋湛山の生涯』(河出書房新社、1999.07)

□序 章
□第1章 オションボリ
□第2章 「ビー・ジェントルマン」
□第3章 プラグマティズム
□第4章 東洋経済新報
□第5章 小日本主義
■第6章 父と子
□第7章 政界
□第8章 悲劇の宰相
□終 章
□あとがき


第6章 父と子

(つづきです)

この2日後の『東洋経済新報』に湛山が書いた社説「独逸の背反は何を訓へるか」は検閲され、全文削除の憂き目を見る。
それでも湛山は腰を引かなかった。
衆議院で民政党の代議士・斎藤隆夫が反軍演説をしたために除名問題が起きた。
「ひとたび戦争が起これば問題は正邪曲直是非善悪の争いであって、八紘一宇とか東洋永遠の平和とか、聖戦だとか言ってみても、それはことごとく空虚な偽善である」
この本会議の質問内容が不穏当として問題にされたのであった。
湛山は「所謂軍人の政治関与」と題して書いた。

〈実際に政治関与の事実が軍人にあるにしても、責められるべきは、先ず政府であり、政治家でなければならない。もし政府にして有能であり、政治家にして識見高く、しっかりと国政を遂行して隙間を与えなければ、どうして軍人が政治に関与する余地があろう〉、
〈今日の我が政治の悩みは、決して軍人が政治に関与することではない。逆に政治が、軍人の関与を許すが如きものであることだ。黴菌が病気ではない。その繁殖を許す身体が病気だと知るべきだ〉

大政翼賛会が発足し、国論を一つの方向に持っていこうという動きが顕著になった。
「この組織ほど自由な言論にとって危険でおぞましい組織はないぞ」
湛山はこの組織が「公論主義」に反していると、この後も終始批判し続けた。

昭和15年(1940)9月、日本軍は北部仏印(現在のベトナム)に進駐し、日独伊三国同盟が出来上がった。そんな最中の10月に長女・歌子が外交官の千葉晧と結婚した。
世界の動きは、英独戦争が起き、これに独ソの争いが絡んできた。アメリカはドイツの動きをじっと見守っているが、一方で日本のアジア進出の動きにも敏感に反応していた。
湛山は『東洋経済新報』の7月号で3回にわたって長い論説を連載した。「百年戦争の予想」である。その直前の編集会議ではこんな議論が交わされた。
「欧州での戦争が長く、複雑化してくれば日本と中国の戦争もまた容易には片づかないよ。恐らく世界戦争になるだろうな」
湛山はしかし、慎重になっていた。軍部や政府からいちゃもんをつけられないように、言葉も表現も選んだ。あえて婉曲な表現さえとった。

〈勿論現在は戦争中ですから、別です。戦時の経済は、総ての経済力を戦争目的に集中することが、絶対に必要です。(中略)そのためには、能率の低下も忍ばなければなりません。(中略)しかし、平時には、そうは参りません。生産能率が上がる組織でなければ、続きません。もし今、それよりも能率が下がるような組織ならば、必ず亡びるに違いありません。(中略)経済においても、政治においても、その運営を担当する者に必要な第一の条件は、責任を負わねばならぬ立場にあることです。近代の資本家企業家は、もし事業に失敗すれば、大切な資産を喪い、場合によっては身を亡ぼすまでに至ります。彼らは、かようにして責任を負わされていました。従って彼らは、善にせよ、悪にせよ、自分の仕事に真剣にならざるを得ませんでした〉

(つづく)


解説

湛山が書いた社説「独逸の背反は何を訓へるか」は検閲され、全文削除の憂き目を見る。
それでも湛山は腰を引かなかった。

湛山にとって苦難の時代が続きます。


獅子風蓮



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