というわけで、正木伸城『宗教2世サバイバルガイド』(ダイヤモンド社、2023.06)を読んでみました。
本書は、悩める「宗教2世」に対して書かれた本なので、私のようにすでに脱会した者には、必要ない部分が多いです。
そのような部分を省いて、正木伸城氏の内面に迫る部分を選んで、引用してみました。
(もくじ)
はじめに
1 教団の“ロイヤルファミリー”に生まれたぼくの人生遍歴
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
3 自分の人生を歩めるようになるまで
4 それでも、ぼくが創価学会を退会しないわけ
5 対談 ジャーナリスト江川紹子さん
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
□親子関係編
□恋愛、友人関係編
■進学、就職、転職編
□信仰活動編
□信仰活動離脱後編
2 こんなときどうしたら?宗教2世サバイバル
進学、就職、転職編
Q:信仰一辺倒の生活から脱出したけど、転職活動がうまくいかずにつらいです。
A:苦労はするけど、 ギブに徹すればご縁で道が開けることもあります。
学会本部から一般企業へ。それは、苦しい旅程でした。
手法としては、ごくふつうの方法をとったと思います。
履歴書と職務経歴書をたずさえて、転職サイトに登録。たくさんの会社にエントリーして、書類選考に臨みました。また、転職エージェントにもお願いして、ぼくに合いそうな企業を紹介してもらうことにしました。
ところが――というか、やはりというか、ことは簡単には運びません。転職活動は、父がいっていたとおり地獄でした。この地獄をまったく想像できなかったあたり、ぼくの感覚は相当に一般世間とかけ離れていたと思います。
とくにぼくは、創価学園、創価大学、創価学会本部と進んできました。
創価学会の世界のなかだけで生きてきた人間ですから、自分の強みを一般企業にどうアピールしていいのか、わかりませんでした。世間知の欠如や一部の宗教差別などが、転職をとても難しくしていたのです。
まず、エントリーした会社ですが、音沙汰はまったくなし。どれだけ待っても一向に書類選考が通りません。エントリーした企業の数は、それこそ200社を超えていましたが、鳴かず飛ばずの日々がつづきます。
どうして?
ぼくにはそもそも、新卒時にふつうの就職活動をした経験がありません。
当時、世間でよく聞かれた「書類選考で落ちつづける」という経験もありません。いわば免疫がなかったのです。
だから、ぼくは落選つづきに戸惑い、落ち込みました。
「自分は世間から必要とされていないのでは」と、疑心暗鬼になりました。
苦戦つづきのなか、唯一見えた光明がまさかの……
しかし、天は味方にもなってくれます。
ある日、1社だけ書類選考に通ったのです。思わず小躍りするぼく。入念に準備をし、面接にむかいました。が、面談の場で瞬時につまずきます。
「正木さんは、35歳を超えてマネジメント経験はないんだよね。プレイヤーとしてKPIはどう追っていたのかな」
「はい。えっと、お聞きしてもよろしいでしょうか。KPIってなんですか」
思わず苦笑いをする面接官(ちなみにKPIとは、「重要業績評価指標」のことです)。その後も2、3、質問されるも、ぼくの答えはおぼつきません。
「宗教法人の職員として磨いたスキルで、わが社で活かせそうなものは?」
「正木さんは、わが社でどんな価値を発揮できるかな?」
面接官の問いにたいし、しどろもどろになるばかり。それを見て、面接官が苦笑します。そして決定的な一言を放ってきました。
「君は……布教活動でもしていればいいんじゃないのかね?」
これはショックでした。
社屋をあとにすると、撃沈したぼくに冷たい雨がふりそそぎます。自然と涙が出ました。
そんなとき、携帯電話が鳴ります。エージェントからのひさしぶりの連絡です。じつはエージェントのほうでも、ぼくの転職先を探すのに相当苦労していたようでした。
ですが、「ついに見つかった」と彼はいいます。
胸が熱くなりました。
「正木さん、この会社なら、これまで培ったスキルが活かせそうです」
「うれしいです! どちらの企業さまでしょうか」
「宗教法人○○の専従職員です」
べつの宗教法人……職務的にいえば……競合!?
ぼくは血の気が引き、体がふるえました。
転職活動は八方塞がり、なにをしてもうまくいかない
正攻法だけでは転職は望めない――。
そう腹をくくったぼくは、その後、異業種交流会に顔を出すようになります。
これも淡過ぎる期待なのですが、ヘッドハントされる可能性も「なきにしもあらずだ」と思っていたのです。しかし、思惑はいきなりくじかれます。
ある交流会の2次会が居酒屋で行われました。15人くらいがテーブルを囲んでいたと思います。ひととおり自己紹介が終わり、歓談。
そこで“事件”が起きます。
ぼくがあらためて「創価学会という宗教団体の職員をしています」と語ると、
正面に座っていた弁護士がこうつぶやきました。
「俺は創価学会にいい印象を抱いていない」
瞬間、ぼくは固まります。彼は、かまわずにつづけました。
「創価学会の強引な勧誘は、世間では非常に評判が悪い。不評について、あなたたちはどう思っているのか。迷惑だと思わないのか」
ぼくは、とっさにいい返したくなりました。でも、険悪な空気をこれ以上長引かせたくないと思って、黙ってやり過ごしました。
当然ながら、その後の交流会で「ぜひ、うちの会社に来なよ」といった話は出てきません(いまから考えれば、あたりまえ過ぎることなのですが)。
ただでさえ転職活動で心が折れそうになっていたところに、この一発。
ダメージは相当です。
転職サイトにエントリーしてもダメ。
転職エージェントに頼んでみてもダメ。
異業種交流会に参加して、人脈を広げてもダメ。
友だちのつながりなど八方手を尽くしたけれど、それらも全部ダメでした。
悲しいかな、ぼくには転職市場での需要がなかったのです。
一般企業で活かせるようなスキルを、うまくしめすことができなかったのが原因だったと思います。
宗教とは違う世界の人間関係がご縁を運んでくれた
「教団本部に残るしかないのかな」。そんな思考が脳裏によぎる毎日。
でも――。
「でも、でも、でも、自分に嘘をつきつづけて本部にとどまるなんて、どうしてもできない。教団組織に違和感を抱いてしまった自分にとって、『残留』はつら過ぎる!」
ぼくは、ジレンマに苦悩しました。
そう呻吟しているうちに、ひょんなことから光明がさすことになります。
ぼくはじつは、当時かかっていたうつ病と闘病しつつ、精神疾患を抱える人やメンタルに悩む人たちの相談に乗る「メンタル相談室」を開いていました。心に不調をきたした人の声を聴き、医師や医療機関につなげる活動です。
きめ細かな心配りが必須なため、体力や知力を必要とするけれど、うつ病の経験を活かせることもあり、これがぼくの生きがいになっていました。
そんなぼくが、ある日、いつもなら相談に乗る立場なのに、思いあまって相談者に転職活動について話を聞いてもらったことがありました。
「あまり周囲にはいっていないことなんですけど、じつは転職を考えているんです。でも、行き先がまったく見つからなくて、ほんとうに困っていて……」
すると、相手から思わぬ言葉が返ってきました。
「ぼくの親戚が会社を経営しているのですが、ちょっと聞いてみましょうか。正木さんには、これまでよくしてもらっています。恩返しさせてください。親戚に相談してみます。転職の条件はありますか?」
彼の言葉に、ぼくは耳を疑いました。
そして、すかさず反応。
「えっ! いいんですか!? それはありがたい……。条件なんて、そんな、全然ないです。お話をもっていっていただけるだけで、感謝しかありません」
「では、しばらく待っていてください」
意外なご縁が窮地のぼくを助けてくれた
万策尽きたと思っていたときに、一発逆転の可能性。喜びに胸が高まります。自分を偽らずに生きたい。もとは、この願いからはじまった転職活動でした。この願望は、もしかしたら多くの人にとっての人生のテーマかもしれません。
『死ぬ瞬間の5つの後悔』(新潮社)という本があります。同書によると、死を目の前にした人が抱く後悔は、基本的に、自分の本心にむき合わなかったことに起因するようです。
自分に正直に生きたいという願い、また、そうやすやすと生きられない現実での挫折感には、どこか普遍性があるのだと思います。
ぼくは、その挫折感を宗教的な変性バージョンで味わいました。
ふつうではない経験ではありますが、最後の最後に「おのれ自身に忠実であれ」という道を選び、その第一歩を転職からはじめたのです。
「恩返しさせてください。親戚に相談してみます」という言葉から1ヵ月。
突然、人事の方から電話がかかってきました。
「弊社にて、ぜひ面接をさせてください」
ぼくは、跳び上がって喜びました。気持ちも引きしまりました。きちっとしたスーツに身をつつみ、面接に臨みます。
超高層ビルのなかにある会社のエントランスがまぶしかった。
「こんなところで働けたら……」
それが、この面接の2ヵ月後に現実になります。
初の転職活動が成功し、ぼくは中途入社の社員として歓迎され、仕事を開始することができたのです。
「正木伸城と申します。どうぞ……よろしくお願いいたします!」
入社時に社員のみなさんの前であいさつをしたとき、ぼくは涙をこらえきれませんでした。その前後に確認した話ですが、今回の転職には、(父もふくめ)さまざまな人が尽力してくれていました。感謝しかありません。
「情けは人のためならず」といわれます。ほんとうにそうだと思います。
情けは相手のためではなく、めぐりめぐって自分のためになる。これはじつは、前節でふれた「ギブ」の効能でもあります。
ぼくは、何人もの友人の話を「メンタル相談室」で聞いてきました。まさにギブに徹してきました。
それが、さまざまな縁のなかで化学反応を起こし、転職の成功につながったのです。
それは、一見すれば「そんなことになんの意味があるの?」と感じられるような取り組みです。
ですが、利害やメリット、損得などを気にせずに、利他の行為を展開するなら、潤沢なめぐみがあなたにもたらされるでしょう。
まとめ
信仰を理由に、人生の大切な選択肢を制限されてしまう宗教2世がいます。進学、就職、転職――。
ぼくも、周囲からさまざまな“圧力”を受けてきました。
宗教2世のなかには、信仰的な使命感ではなく、「親を喜ばせたいから」、あるいは「親を悲しませたくないから」と自分の進路に制約をかける人もいます。
ただ、ぼくは自分の来しかたをふり返って、あらためて思います。自分の人生、自分でハンドリングして、自分に正直に生きるべきだった、と。ぼくは、そのように生きられるようになるまでに20年もの時間がかかりました。
自分を偽って生きるのは、つらいです。苦しいです。
あなたは、そのまま生涯を終えると考えるとしたら、どうですか? 本章が、あなたが本音で生きるための後押しになれば、うれしいです。
【解説】
正木伸城さんはたまたま就職先が見つかったからよかったものの、本部職員を辞めた後の再就職は本当に難しそうですね。
そういえば、本部職員(聖教新聞社)を退職させられた友岡雅弥さんは査問で心的トラウマを受けて、災害ボランティア先の東北で亡くなりました。
友岡さんは、再就職できていたのでしょうか。
少々、気になります。
何にしろ、正木伸城さんが再就職が決まったのは奇跡的なことであり、実際にはつぶしのきかない人が多いのではないでしょうか。
獅子風蓮