獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

対話ブログ・ステージⅢ:鯛焼きさんとの対話(4)

2022-10-10 01:33:05 | 対話ブログ

ひきつづきシニフィエさんと創価学会の現役活動家・鯛焼きさんとの対話をシリーズで掲載します。
後の検証のため、通し番号をつけました。


【11】鯛焼き(2018年7月23日 18:08)

色々ありがとうございます。

その前に、私の質問にお答えいただいてますでしょうか?9の最後の部分です。

それと、すみません、ここからはカットでいいのですが(笑) このスレッドでどちらかが投稿したら「お知らせ」が来る、みたいなシステムはこのブログではありますか?あまりに気になってしまい仕事ができません(笑)


【12】signifie(2018年7月23日 18:55)

すみません、忘れてました(笑)
>そのうちコメント主さんと実際に面と向かって会われた方はどれくらいおられますか?
ですね。
私がこのブログをしていることを知っているのは、遠方に住んでいる親友の二人だけです。親兄弟も妻も子どもも知りません。私に何かあったらその二人の友人が動くことになっています。すみませんがそれ以上のことは言えません。
何度もいいますが、私が身バレすると本当に家族まで危険だからです。鯛焼きさんは創価学会の闇の部分など知るわけないと思いますし、たとえ言われたところで信じるわけもないと思います。でも創価がなぜこれほどまでお金を集めて、その収支を明らかにさせない為に政治も警察も、検察も、裁判所も、マスコミも、純粋培養の学会員を送り込んでいるか、朝鮮系移民団体や他の新興宗教とつながっているか、また暴力団を使って都合の悪いことを闇に葬っているかを知らない、知ろうとしないから理解できないと思います。財務のお金が会館の維持管理や幹部の給料で消えていくほど少なくないことは鯛焼きさんにもわかると思います。ではそのお金はどこに消えているのか、それはここで言うには危険すぎるから言いません。他にも言えないことはたくさんあります。ここで言えるのは、創価は宗教ではなく詐欺だということを、たくさんの創価経験者に体験として語ってもらうこと。そしてそれに気づいた人は静かに創価を去りましょうというところまでです。鯛焼きさんにこんなことを言っても信じられないだろうし、証拠を出したらこのブログなんか簡単に潰されます。ブログが潰されるくらいで済めばいいですが、それで済まないのが創価の闇です。ということで実際に何人かの方から実際に会いたいとの話は常にありますが、全てお断りしています。それくらい用心しなければいけないとだけ申し上げます。したがって、ここにコメントされる方と実際に会ったりしたことは一度もありません。
そして、私はこのブログにコメントされる方と会ったことがないからということが、その方の話の話の信憑性のあるなしを判断する理由にはならないと思います。それはこれまでのこのブログに寄せられた2万9000近くのコメントの数が物語っていると思います。100人や200人が言うことならまだしも、この一つのブログに来るコメントだけでこれだけの数があるのです。さらにそうしたコメントを毎日5000以上のアクセスがある。少なくとも2000~3000人は見ているんです。アクセス数も768万超えました。来年の秋には1000万アクセスになる予定です。ここに収められた話が嘘っぱちだとしたら、こんな数にはならないでしょう。ここに集まっているのは創価経験者が自分が実際に体験したことを話しているんです。ここに書かれてあるみなさんの体験談が事実であるかどうかは、この内容と数によって証明されていると思います。また、聖教新聞に書かれている体験談がおおよそ作られたものであったり、会合で体験発表した学会員がその後に悲惨な結果になったことの報告もたくさんあります。
大切なのは、自分は何を信じるのか?信じないのか?を自分で考えて判断することではないでしょうか?鯛焼きさんはどうですか?創価が言うことだからと言う理由で、何の根拠もないことを闇雲に信じていませんか?なぜ御本尊を破ったらバチが当たると思うのですか?そう言われて信じているだけですよね。言われるのが創価だから信じているんですよね。創価学会も日蓮正宗も新興宗教も、一般社会からは白い目で見られていることに何の疑問も感じないですよね。多少は感じていても、悪いのは何もわからずに白い目で見ている方だと思ってますよね。でも鯛焼きさんにそう思わせてるのは創価なんです。自分で考えて思っていることではないですよね。
だから、一度落ち着いて「自分は何を信じているのか?」について自分の頭で考えてみてくださいと、先ほどのコメントに書きました。

新しいコメントが入った時にお知らせが来るようなシステムはあるのかもしれませんが、すみませんが私にはわかりません。私は急ぎませんので、鯛焼きさんのペースでお返事をしてください。よろしくお願いします。


【13】鯛焼き(2018年7月23日 20:00)

空気が読めない質問でしたが丁寧なご回答をありがとうございます。

さて、私も実際に聖教の記者や通信員から直に取材を受け記事になったことが5回ほどありますが(地方版です)、「聖教新聞に書かれている体験談がおおよそ作られたものであったり」と一方で勝手に決めつけ、管理者様のブログは、実際にお会いしてないのにコメントをすべて信用あるものとされておられます。

疑問なのは、なぜしっかり取材している聖教新聞は信頼性がないと決めつけて、管理者様のブログは信頼性があると断定できるのでしょうか?
これは論理的に整合性があるとは到底思えません。

もし「聖教新聞の記事も事実だが、うちのブログのコメントも事実」であれば納得できますが、そうではないのですよね?

>それはこれまでのこのブログに寄せられた2万9000近くのコメントの数が物語っていると思います。
>100人や200人が言うことならまだしも、この一つのブログに来るコメントだけでこれだけの数があるのです。
>さらにそうしたコメントを毎日5000以上のアクセスがある。少なくとも2000~3000人は見ているんです。
>アクセス数も768万超えました。来年の秋には1000万アクセスになる予定です。
>ここに収められた話が嘘っぱちだとしたら、こんな数にはならないでしょう。

という、数が多ければ信憑性があるというご意見のようですが、そうであれば、

>それはこれまでの聖教新聞に寄せられた2万9000近くの体験談の数が物語っていると思います。
>100人や200人が言うことならまだしも、この聖教新聞に掲載される体験談だけでこれだけの数があるのです。
>さらにそうした新聞を毎日600万部以上の発行がある。少なくとも200~300万人は見ているんです。
>総発行部数も1億部を超えました。来年の秋には2億部になる予定です。
>ここに収められた話が嘘っぱちだとしたら、こんな数にはならないでしょう。

という話も通りますよね?(笑) 数字は適当ですが。

今日も他の記事をたくさん見させていただいてますが、創価に対しての批判が、ブーメランのように貴殿にも降りかかるケースがあまりにも多いように思えるのです。

長くなってしまうとアレなんで、もう一回だけ補足で回答ください。

「なぜ聖教新聞は信頼できず、管理者様のブログは信頼できるのか?」
極めて論理的な回答をお待ちしております。

今日はすみません、もうコメントできないと思います。管理者様のご回答もいつでも結構でございます。

そのあとに「自分は何を信じているのか?」についてコメントさせていただきます。


【14】鯛焼き(2018年7月24日 15:31)

本来は、管理人様がご回答する番なのですが(いつでも結構です)前スレの他の方のコメントを見まして、誤解があるといけませんので書かせていただきます。

私は「管理者様のブログが信憑性がない」なんてこれっぽちも思っておりません。

支部長として、組織内にもやはり(脱会までいかなくても)批判的な会員さんがいますし、非活の方もおります。また家庭訪問しても「うざー」と思っているだろうな、ってよく感じますので(笑)

私のスタンスは「聖教新聞の体験談や記事も信憑性があり、管理者様のブログのコメントも信憑性がある」です。よろしくお願いします。


【15】signifie(2018年7月24日 17:16)

鯛焼きさん、
>疑問なのは、なぜしっかり取材している聖教新聞は信頼性がないと決めつけて、管理者様のブログは信頼性があると断定できるのでしょうか?これは論理的に整合性があるとは到底思えません。

とのことですが、私は論理的な整合性があるかないかで創価が正しいか正しくないかの議論をしているわけではありません。現役活動家の鯛焼きさんがどういう考えで活動されているのかを対話を通じて知りたいと思っています。そのための質問であり、その質問をより正確に伝えるために私の考えを述べています。論理的な整合性でいえば創価のやっていることはメチャクチャですが、そのことを創価は正しいと信じている鯛焼きさんと議論しても話にならないのは目に見えています。だからこのブログでは相手が誰であろうともどっちが正しいかといった議論はしません。するのは対話です。相手が何を考え、どう思って行動しているのかをお互いに知ることを目的としています。
私は鯛焼きさんが何を信じているのかを知りたいし、できれば私がなぜ創価は詐欺だと思っているのかを伝えられたらいいなと思っています。

>私のスタンスは「聖教新聞の体験談や記事も信憑性があり、管理者様のブログのコメントも信憑性がある」です。

わかりました。鯛焼きさんはそう考えておられるのですね。
私は何の根拠もないままに聖教新聞の体験談が信憑性に欠けると決めつけているわけではありません。自分の経験上、聖教新聞の体験談は信憑性に欠けると思っています。つまり私や両親が取材されたときもそうでしたし、このブログでも多くの方が聖教新聞に載っている体験談は事実とは違ったと証言されているので、そう思っています。鯛焼きさんも男子部時代は圏幹部だったし、今も現役の支部長なら部員さんが会合で体験発表するときの原稿をチェックしてきたと思います。私の活動家時代は必ず御書の一節を入れろとか、池田先生への誓いの言葉を入れろとか、これこそ信心のおかげだということをもっと強調しろとか、こういった上からの強制的な指導?で、日本全国みな同じような体験談がされてきました。中には折伏したら末期癌が治ったとか、お題目を唱えきったら生まれながらに無かった眼球が出来てきて目が見えるようになったとか、あたかも信心のおかげでありえない奇跡が起きたかのように、涙ながらに「池田先生!本当に!ありがとうございました!」と絶叫するシナリオをつくりあげていました。また、信心のおかげで癌を克服した体験発表をした部員さんがそのあといくらもしないうちに再発して亡くなる場合もありましたが、組織内ではそのことに触れるのはタブーとなっていました。体験発表でなくても、学会員が事故や事件や病気で悲惨な死に方をすることも当然あるわけですが、そうしたことも組織内ではタブーでした。当時は私もそれが当たり前だったので、さほど疑問には思えなかったのですが、いま考えるととんでもないインチキ芝居をやっていたんだと思います。このブログでもそうした報告がたくさんあります。だから、私は聖教新聞の体験談に信憑性はないと思っています。だから鯛焼きさんが言われる
>しっかり取材している聖教新聞は信頼性がないと決めつけて
はあたらないと思います。

私は鯛焼きさんの
>本当に特に疑問や不満はありません。なぜなら「大聖人の仏法」を信じております
という言葉が鯛焼きさんが思考停止状態だということをよく表していると思います。たぶんこの言葉で、このブログを読んでいる読者の多くがその場でひっくり返ったのではないでしょうか(笑)
これはわかりやすく言い換えれば
「私は何も考えていないので、特に疑問や不満はありません。なぜなら私は『大聖人の仏法』を信じているので自分で考える必要がないからです。凡夫の私がヘタに考えるのは法を見誤ることになります。だからこの世で最高に正しい『大聖人の仏法』を信じることが最高の人生を生きることになると信じているからです」と解釈しました。これもよくある上からの指導ですよね。だからもうこの時点で鯛焼きさんは正真正銘の創価学会員だと思ったわけです。
例えばこの言葉の『大聖人の仏法』の部分をキリスト教の神やエホバやアッラーや麻原尊師や大川総裁に換えてもそのまま通用します。絶対唯一神を信仰の対象とする宗教は、このように信者を思考停止させることが基本になります。何かを信じるということは、言わば思考の及ばぬ世界へ無防備に踏み込むことだと思います。もちろん信じること自体が必ずしも悪いことではないにしても、何かを信じることによって何が排除されるのかは自覚しなければとても危険だと思います。そして日蓮正宗も創価の教義も本来の仏教の教義とはほど遠い、自分で考えることを放棄して絶対唯一神にすべてをまかせる他力本願のおすがり信仰だと言えます。創価が日蓮正宗を利用したのは、会員を思考停止させるのに日本の宗教の中では最も排他的な思想だったので適していると判断した結果だと思います。もちろん鯛焼きさんはそんな話に納得するわけないということもわかっていますから、べつに無理にわかってもらおうとは思いませんし、鯛焼きさんが信じていることも否定はしません。これについて鯛焼きさんと議論する気もないです。

それでは、私からの質問
>「鯛焼きさんは創価がいうことは全て何の疑問も持たないということですか?」
に対するお返事をお待ちしています。

(つづく)


解説
「なぜしっかり取材している聖教新聞は信頼性がないと決めつけて、管理者様のブログは信頼性があると断定できるのでしょうか?」
という鯛焼きさんの質問に、シニフィエさんはご自分の体験から、聖教新聞は信頼性がないことを説明しています。
これは、私自身も実家が聖教新聞の取材を受けたときに感じたことですし、聖教新聞は信頼性がないことに同意します。

一方で、シニフィエさんは対話ブログのコメント数が多いことをもってブログの信頼性が高いと主張しています。
確かに、多くの参加者が自由に思う所を述べて、お互いの誤りを指摘できるような風通しのよいブログなら、全体としてブログの信頼性は高いと言えるでしょう。
しかし、対話ブログの読み返しをしてきて感じるのは、しばしばブログのコメントにはデマもまじるということです。
ダイナムさんのように、平気で嘘をつく人間がもてはやされたりします。
シニフィエさんに意見するような参加者は、シニフィエさんから嫌われ、それを察した参加者から袋叩きにあいます。
そんなブログでは、信ぴょう性は徐々になくなっていくのではないでしょうか。

獅子風蓮



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