ひきつづきシニフィエさんと創価学会の現役活動家・鯛焼きさんとの対話をシリーズで掲載します。
後の検証のため、通し番号をつけました。
【09】鯛焼き(2018年7月23日 13:44)
鯛焼き屋、言われるまで気づきませんでした。こちらも老眼です(笑)
今回のご質問は「今の創価の最高幹部による組織運営への疑問」ですね?
正直申して「絶対に何か疑問があるはずだろ」「疑問がないのはおかしいぞ」的な強引な誘導尋問みたいで(笑) 紋切り型の返事とおっしゃいますが、そのように答えると対話しても意味がないっていうのは相当なレッテル張りで残念なご発言ですが、本当に特に疑問や不満はありません。なぜなら「大聖人の仏法」を信じておりますので。原田会長はじめ執行部がよほどとんでもないことをしない限り別に何もありません。
次に管理者様が指摘する点について支部員にどうこたえるか?簡潔に書きます。ニュアンスや言葉尻はご勘弁ください。
>原田会長がいつも言っている『先生はお元気です』というのはさすがに無理がある
日々、人間革命の連載をはじめ、今の先生のお立場でしっかりと広布のために尽力されてますよ。
>聖教新聞に2度載っただけの会則の変更によってご本尊の定義がまるでが変わったことを、ほとんどの会員が知らないのは問題があると思う
ほとんどの会員という数的根拠が不明ですが、本幹や座談会、人材育成の会合などでもお話がありましたし、深く知りたい方は幹部や本部に問い合わせや指導を受けてますよ。
もしご本尊の件で不明な点があればお話ししましょう。
>中にはひとりで何百万円も出す会員もいる財務の収支報告はするべきではないのか
財務とは喜捨の精神で行ってますので、いわゆる普通の募金とか投資などとは性格を異にしてます。
そこまで疑問に思い、喜んで財務ができないのでしたら無理して行う必要はありませんよ。
こんな感じですね。メールだと言い方が難しいですがニュアンスをご理解ください。
あと地区数についてですが、ここはノーコメントでお願いします、すみません。青年部自体は少子高齢化の影響もあり3割減って感じです。
私から質問いいでしょうか?
管理者様のブログはアクセス数やコメント数が個人のブログにしてはかなりすごいレベルだと思います!
では、そのうちコメント主さんと実際に面と向かって会われた方はどれくらいおられますか?というのも、どなたかとの対話の中で「聖教新聞の記事をそのまま信用してるのか?」「実際に自分の目で確かめたのか?」みたいなやり取りがあったと記憶してます。
ブログも新聞も立派なメディアですので整合性が大いに気になるところです。よろしくお願いします。
【10】signifie(2018年7月23日 17:56)
鯛焼きさん、早速お返事いただきありがとうございます。
返事が翌日になっても全然かまいません。私もサラリーマンほど時間を拘束されはしませんが、一応それなりに仕事をしていますので、お返事が不規則になると思います。
お互いにゆっくりいきましょうね(笑)
>正直申して「絶対に何か疑問があるはずだろ」「疑問がないのはおかしいぞ」的な強引な誘導尋問みたいで(笑) 紋切り型の返事とおっしゃいますが、そのように答えると対話しても意味がないっていうのは相当なレッテル張りで残念なご発言です
いえいえ、そんなつもりで言ったんじゃないですよ(笑)。私(私たち)は元活動家ですので、創価の指導がどんなものかはよくわかっています。実際に私も活動家時代は部員さんにそんな言い方をしてきましたからね。だからこそ、それが創価の都合で上から言われたことを下に流してるだけだということもよ~くわかるわけです。いや、その時は自分の考えだと勘違いしてましたからわからなかったんですが、創価が詐欺だと気づいた今となっては、活動家時代の自分が自分で考えることをやめて、上から言われたことがなぜか正しいと思い込んで発言していたという、とても恥ずかしいことに気づいたわけです。だから今さら創価のHPに書いてあるようなことを言われても、少なくとも私にとっては意味がない。つまり鯛焼きさんが言ったとしても、それは鯛焼きさんが自分で考えて言った言葉ではなく、創価から言わされていることだと自分の苦い経験を通して思うという意味です。
>本当に特に疑問や不満はありません。なぜなら「大聖人の仏法」を信じております
なるほど、これで鯛焼きさんが本当に活動家だと納得できました。ネット上は便利な反面なんでもありの魑魅魍魎渦巻く世界ですから、ただ「活動家です」と言われても「はいそうですか」と信用するわけにはいかないんです。このブログでも過去にいやな思いをして、何度かブログを中断したことがありましたので、そこは用心しているんです。世の中には本当に気持ちの悪い異常者がいるんですよ。でも鯛焼きさんの今回のコメントでそこは払拭できました。鯛焼きさんは正真正銘の創価学会活動家さんだと思いました。
では、たくさんの質問をいっぺんにすると、話が散漫になってしまいますので、できるだけ一つのテーマに絞って、その結論が出るまでは次の質問には移らないように気がけたいと思いますのでよろしくお願いします。
「原田会長がいつも言っている『先生はお元気です』というのはさすがに無理がある」とは思いませんか?
という私の質問に対しては「本当に特に疑問や不満はありません」という答えで理解してよろしいですね。そして部員さんへも
>日々、人間革命の連載をはじめ、今の先生のお立場でしっかりと広布のために尽力されてますよ。
と答えるということですね。
私の質問がまどろっこしかったのかもしれませんが、私が訊きたいのは、鯛焼きさん自身は本当に池田大作が元気に執筆活動をしていると思いますか?信じているとかじゃなくて、心底思うかどうかをお尋ねしています。池田大作が突然8年半も姿を見せなくなった人間が毎日のように執筆活動だけはしているということ。それまであれだけ著名人とあっていた人間が、それから何の説明もなくパッタリ誰とも会わなくなったこと。それでも「先生はお元気です」と何かにつけて原田会長が言っていること。そうしたことは一般的な感覚ではどう考えても不自然すぎるわけですが、鯛焼きさんはこれが不自然だという一般的な感覚の方がおかしいと思われるのでしょうか?そして池田大作が小説人間革命や、聖教新聞に載ってくるメッセージを自分で書いていると本当に寸分も疑ったりはしないのでしょうか?と言った意味です。
う~~ん、また質問内容がややこしくなったので簡単にしますね(笑)すみません
鯛焼きさんは「創価がいうことは全て何の疑問も持たない」ということですか?
これでいきます。持つ。持たない。のどちらかですよね。この質問に「どちらとも言えない」という答えはないですよね(笑)
それとも「会員としては幹部が言うから、会員がどう思おうが信じるしかない。ここを疑ったら信仰者として失格だ」といった建前論なのでしょうか?
何度も言いますが、創価の建前論なら嫌というほど熟知していますので、今さら言われても困るんです。御本尊の解釈が変わったことに関しても「上がそう言うからそう信じるしかない。疑ったら信仰ではない」と言われたら、そこで話は終わります。
と言いますのも、先日ここで少しだけ対話した活動家の秋雄さんが
>信仰とは、覚悟の道です。途中に何があろうが、組織に矛盾があろうが、幹部が腐っていようが、貫き通すことこそ信仰です。学会員であったならば耳にタコができるくらい聞いてるような言葉でしょう。
と言われていました。これだと話にならないんです。「何がどうあろうが、たとえ疑おうが信じるしかない」という方とは話ができないと思います。
例えて言うと、イワシの頭を幸せになると信じて必死に呪文を唱えている人に対して、「これはイワシの頭ですよ~」と教えてあげたら「うるさい!イワシの頭だろうと腐ったマヨネーズだろうと貫き通すことが信仰だ!」と言われたら相手にするのがバカバカしくなりますよね。
鯛焼きさんも「人生の師匠である池田がこれから2度と人前に姿を表さなくても、原田会長が『先生はお元気です』と言ったらそれを信じ抜くことが真の弟子だ」という答えなのでしょうか。
>本当に特に疑問や不満はありません。なぜなら「大聖人の仏法」を信じておりますので。原田会長はじめ執行部がよほどとんでもないことをしない限り別に何もありません。
これは逆に「原田会長はじめ執行部がよほどとんでもないことをしたら『大聖人の仏法』も信じられなくなる」という意味でしょうか。もしそれだと秋雄さんとは違いますよね。秋雄さんは原田をはじめ最高幹部がお金を持ってドバイかどっかにトンズラしようが創価の信仰を貫くんだそうです。鯛焼きさんは「幹部の態度によっては『大聖人の仏法』も信じなくなることもある」という意味でしょうか。
すると
>本当に特に疑問や不満はありません。なぜなら「大聖人の仏法」を信じております
という「なぜなら」がおかしくなります。わかりますか?つまり
・「大聖人の仏法」を信じているから創価を信じるのか?
・創価を信じているから「大聖人の仏法」を信じられるのか?
これは大きな違いですよね。例えば創価を信じられなくなって「大聖人の仏法」を信じているのは日蓮正宗ですからね(笑)
そこのところもう一度考えてみませんか?
一体自分が信じているのは創価なのか?大聖人の仏法なのか?それともときどき内容が変わる創価のいうところの大聖人の仏法なのか?
もし創価が信じるものが大聖人の仏法ではなくなったとしたら(じつはすでに創価の仏法は日蓮のそれではないのですが)、鯛焼きさんはそれでも創価を信じますか?それとも、それ以前の創価の「大聖人の仏法」を信じますか?
ご存知のように、創価が日蓮正宗から破門されるまでは、創価学会は日蓮正宗の外護団体であり、当然日蓮正宗の大聖人の仏法を信じてきた団体でした。しかし1992年に破門されてから22年間は日蓮正宗の信徒ではありませんが、信じて拝む対象は日蓮正宗のものであり、従来の日蓮正宗の弘安2年の大御本尊を三大秘法の本門の本尊としていたわけです。ところが2014年11月8日に、この弘安2年の大御本尊は本門の本尊ではないということにしました。すでに新興宗教となった創価学会が、よその仏教のお寺の本尊のことをあれこれ言うこと自体おかしなことだと思うのですが(笑)、とにかく創価学会としても創立以来84年間ずっと本門の本尊としてきた弘安2年の大御本尊がじつは大御本尊ではなかったということを発表したわけです。じゃあ、今まで功徳があるとかバチが当たるとか言ってたのは何だったの?これを拝んだら絶対的幸福境涯になれる、必ず願いが叶うと言ってきたのは嘘だったというわけ?今までやってきたご供養とか財務とか何の為に?って話ですが、でもそんなこと学会員さんにとってはどうでもいいことなんですよね。鯛焼きさんのように何の疑問も持たないんですよね。それは「大聖人の仏法」を信じているからではなくて、創価のいうことを信じているからなのではないですか?「大聖人の仏法」の本門の本尊という信仰の根幹中の根幹が変わっても、ただ「今日から本門の本尊は違うものに変わりま~す」という創価のいうことを信じているということはそういうことではないのですか?
今回の私の質問である
「鯛焼きさんは創価がいうことは全て何の疑問も持たないということですか?」
は、言い換えると、
「大聖人の仏法でなくても創価が次はこれだいえば言われたとおりのものを信じるということでしょうか?」
ということです。わかっていただけたでしょうか。
要するに私がこの質問によって鯛焼きさんに聞きたいことは
「自分は何を信じているのか?」をもう一度自分の頭で考えて出した答えです。
これ相当考えないと出ない答えだと思いますので、お返事は2、3日経ってからでもいいですよ。
よろしくお願いします。
【解説】
「今の創価の最高幹部による組織運営への疑問」があるかというシニフィエさんの質問に、鯛焼きさんが優等生的な受け答えをします。
シニフィエさんはそれを許さず、さらに厳しく問い詰めます。
「鯛焼きさんは創価がいうことは全て何の疑問も持たないということですか?」
「大聖人の仏法でなくても創価が次はこれだいえば言われたとおりのものを信じるということでしょうか?」
これに対して、鯛焼きさんはどう答えるのでしょう。
獅子風蓮