獅子風蓮のつぶやきブログ

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乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅲ章 その4

2023-02-23 01:11:23 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
■Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき


◆脱会者へのいやがらせの実態
こうした寺院や僧侶に対する攻撃に加えて、創価学会は、脱会者に対しても激しい攻撃を加えている。
一連の紛争の過程で、創価学会の指導方針に疑問を抱いた数十万人単位の学会員が脱会し、日蓮正宗の信徒組織である法華講へと入講した。会員の大量流出に強い危機感を抱いた創価学会は、組織引き締めと脱会阻止を目的に、脱会者に対する徹底した攻撃を指示したのである。こうした攻撃は、脱会者を法華講から学会に連れ戻すとの意を込めて「脱講運動」と呼ばれている。
「脱会すればこうなるという見せしめのため、憎悪と敵意をむき出しにした激しい嫌がらせを行うよう指示されている」(学会本部職員)
1992年3月に脱会した、公明党の福井県本部長で当時県議だった田賀一誠氏は、池田氏が「脱会者を自殺に追い込め」と指示した事実を明らかにしている。
実際、池田氏は、92年12月13日に開催された全国青年部幹部会の席上、
「(脱会者など敵対者は)針金でゆわえて、あの頭、トンカチでブッ叩いて」
と指示している。また、89年にはこんな発言も行っている。
「全員が『勝つ』と強く決めていけ。勝つか負けるか。やられたらやりかえせ。世間などなんだ。私は恐れなど微塵もない。勇者は私だ。私だけ戦っている。強気でいけ。強気で勝つんだ。強気、強気、強気、強気……でいこう。どこまでもしぶとくいくんだ。(中略)何でもいいから、言い返すんだ。こわがったり、ひるんだりしてはいけない。怒鳴っていけばいいんだ。(中略)反逆者には『コノヤロー、バカヤロー』でいいんだ」(89・3・12埼玉指導)
およそ「国連平和賞」を受賞した“平和の指導者”、あるいは「桂冠詩人」の称号を受けた“文化人”とは思えない発言だが、こうした非常識な指導に基づいて行われる脱会者攻撃、批判者、敵対者攻撃が、常軌を逸するのは当然といえよう。
1993年には、脱会者有志の手によって、創価学会による「脱講運動」の被害をまとめた、「脱講運動被害状況報告書」が警察庁に提出されているが、そこには、暴行、放火、脅迫、器物損壊、尾行、無言電話、面会強要などの違法行為、不法行為の実態が赤裸々に綴られている。


◆「創価学会脱会者3300人大調査」
95年秋、『週刊文春』編集部は、脱会者に対し、創価学会による嫌がらせの実態をアンケート調査し、その結果を「創価学会脱会者3300人大調査」と題し、95年12月14日号で掲載した。
「玄関に犬猫の死体」「脅迫電話の心労で死亡」「自動車の把手に人糞」「車が燃やされる」などの見出しに象徴されるように、同誌記事には、脱会者に対する創価学会員による嫌がらせの実態がナマナマしく報告されている。
「平成3年の脱会後、地区の婦人部長ら大幹部3人が午後8時から3時間半にわたって、一方的な問責。以来、現在まで面談強要は85回、のベ250人以上になる」
「休日でも朝から4、5人の集団で繰り返し来た。断っても帰らず、(池田)先生を裏切ると地獄に落ちる、とわめき散らす。私は過去に大病をしましたが、そのことを持ち出して『1年以内に必ずバチがあたる』。警察に通報すると言っても『するならしてみろ』と平気な顔でうそぶいていた」
「断っても断っても、ドアをガンガン叩いて開けるまで帰らない。それで血圧が上がって2回 入院しました」
「脱会後後1カ月してから自宅に無言電話。2週間後、今度は事務所にかかってきた。 放っておくと、1日300本もかかってくるようになった」
「小学生の子供が電話に出ると、『お母さんはただじゃおかないから、覚悟しとくように言っといてよ』」
「学会に帰れ、地獄に落ちるぞなどと書いた手紙の封筒は、黒の縁取りです。学会青年部はやってきては夜10時頃、表のシャッターを蹴飛ばして帰って行く」
「ガンで死ね、うろちょろするなクソババー、殺してやるなどと書かれた脅迫状が投げ込まれた。手紙の中には小学校の教員からのものもあった」
アンケート結果からは、面談の強要、脅迫、嫌がらせ電話に始まる脱会者攻撃が、しだいにエスカレートしていくさまがよく分かる。
「男子部数人が来て『戻るつもりはない』と帰した数週間後、猫の死体が玄関ポーチに置かれ ていた」
「犬の死体が3回投げ込まれた」
「脱会後、玄関前にとぐろをまいた人糞と思われる便が大量にあった」
「息子の自動車に乗ろうとドアに手をかけたところ、把手の内側に何か「グニャ」という感触があった。見ると、人糞を練り込んでありました」
「自家用車のブレーキホースなどを切られたことがあります。平成4年4月から、翌年の春までの1年間に4回。娘の車、主人の車、それに息子の車は2回やられました」

95年12月4日、参議院宗教法人特別委員会で行われた参考人質疑で、秋谷栄之助会長は、自民党の岡部三郎委員の質問に応じ、脱会の自由についてこう答えている。

岡部 創価学会は、脱会しようとする人、脱会した人に対して、どのような対応をしているのか。
秋谷 会において、入会・退会、これについては全く個人の自由である。
岡部 踏みとどまるように強制するというようなことは、あってはならないという考えか。
秋谷 あってはならない。ただ、親しい友人の関係で、今まで長年、友達として付き合ってきた人が話し合いをし、懇談をするということは、当然、あり得ることだと思う」

入会、脱会はあくまで個人の自由意志であって、創価学会としては、これに干渉するような行為は、いっさいしていないというのである。
だが、実際には、面談の強要、脅迫、恫喝、さらには暴力行為や器物損壊などの嫌がらせが組織的指示のもと日常的にくり返されている。


◆人権侵害を許さなかった朝木市議
こうした脱会者攻撃は、全国的規模で組織的に実施されたため、朝木さんの住む東村山市でも脱会者が激しい嫌がらせに曝された。また、同時に、東村山市の信徒を管轄する東京・小平市にある日蓮正宗寺院広説寺に対しても、しつような攻撃が加えられていた。
「創価学会の地域幹部が押しかけてきて、罵詈罵倒するのは日常茶飯事。平成4年4月には、トイレの壁全面に人糞を塗りたくられたこともあります」(広説寺・小藪賢道住職)
『東村山市民新聞』で、創価学会・公明党問題を報じたことをきっかけに、朝木さんのもとには、創価学会から激しい攻撃を受けている脱会者から、相次いで相談が持ち込まれるようになった。
朝木さんは、こうした創価学会による脱会者攻撃を、市民に対する人権侵害と受けとめ、市民相談の一環として誠実にこれに対応、脱会者や脱会希望者の代理人となって脱会届を出すなど、しだいに創価学会との交渉窓口、一種の被害者相談センターのような役割を果たすようになっていったのである。
もともと朝木さんは、創価学会とも日蓮正宗ともなんの関係も持っていない。むしろ、朝木さんの夫大統さんは、東村山市きっての名刹・臨済宗徳蔵寺の三男であり、朝木さん自身、地元では「徳蔵寺の嫁」と呼ばれていたことに象徴されるように、朝木家と創価学会との距離は、社会一般の家庭よりも疎遠だった。したがって、もし、朝木さんに対する公明党議員の暴言がなく、また、朝木さんの周囲で創価学会による脱会者への度重なる人権侵害がなければ、あるいは朝木さんは、創価学会・公明問題にこれほど深くはかかわらなかったかもしれない。
その意味では、創価学会の反社会的体質が朝木さんを創価学会・公明問題に引き込んだのである。
実際、朝木さんの政治活動において創価学会・公明問題はワンオブゼムにすぎなかった。
筆者の手元に、1991年4月実施の統一地方選挙東村山市議会議員選挙での朝木さんの選挙広報があるが、そこには創価学会の「ソ」の字も、公明党の「コ」の字もない。 「市川房枝さんを受け継いで」「清潔・公平な草の根庶民の政治実現へ、がんばります」「『ムラ』市政・議会の改革を」との見出しが踊る朝木さんの選挙広報には、そのプロフィールがこう紹介されている。

「『朝木明代プロフィール』
東村山中・武蔵高卒/化成小PTA副会長、諏訪町自治会役員、行政委員/生活ク生協に参加/消費税廃止、原発廃止、ごみ・リサイクル、君が代問題の市民運動/一人くらし高齢者の毎週昼食会、高齢者アパート、家賃補助、対策基金などを実現させた高齢者問題の専門家/87年市議に初当選/市幹部議員家族の市職員情実採用など不正を追及、違法な補助金・税金免除の取り消しを実現/議員報酬のお手盛り値上げに反対し、値上げ分を返上」
この選挙広報には、推薦人として参議院議員の紀平てい子さんをはじめ、元参議院議員の中山千夏さん、日大教授の北野弘久氏、作詞家の永六輔氏、松坂大教授の加藤富子さん、元市川房江議員秘書の山口みつ子さんなどが推薦人として名を連ねており、紀平さんは次のような推薦文を寄せている。
「侵される地球の自然環境、高齢者社会と福祉の現状、他人(ひと)のいたみのわかる若者を育てる教育、どれひとつとってみても、女性の感性と知恵が必要です。
草の根(グラスルーツ)民主主義の灯を掲げる無所属・革新の朝木明代さんの存在は、住民の声、台所や茶の間の声を市政につなぐ有能なパイプ役です。ぜひ応援してあげて下さい」

このプロフィールに明らかなように、朝木さんは、老人福祉のエキスパートとして、超高齢社会を迎える日本の福祉の貧困さを改善するため、また、東村山市における福祉行政の向上、発展をめざして全力を投入していた。
そうした活動の一環として、朝木さんが議員になる前から主宰して行っているのが高齢者昼食会。これは、朝木さんの近所に住んでいた独居老人が、孤独死したことを契機に朝木さんが始めたもので、毎週土曜日と水曜日に、市内の二つの公民館を借りて、高齢者とともに食事をつくり、廉価で提供しているもの。朝木さんは議員になり超多忙となっても、いつも三角巾にエプロン姿でこれに参加。多くの高齢者とともに楽しそうに食事の調理に当たっていた。
朝木さんが死亡した9月2日は土曜日にあたっていた。この日、5時の飛行機で朝木さんは高知に向かう予定だったが、昼食会は予定どおり行うことにしており、前日、昼食会を手伝ってくれる「草の根」関係者に「明日の献立の用意をしなければ」と語っている。この関係者は、翌日の昼食会の献立に心を配っていた朝木さんが自殺するなどとは考えられないと語っている。
この他、高齢者アパートについては、89年9月に議会に設置促進の陳情を行い、このときは「時期尚早」とする公明党などの反対によって不採択となるが、以後、朝木さんの粘り強い議会活動の結果、93年9月に、民間借り上げ方式の高齢者アパート「ピア美住」として実現する。さらには、朝木さんが提案した「レインボープラン」を下敷きにして、東村山市は、利息で高齢者福祉対策を行う「長寿社会対策基金」の設置を決めるなど、朝木さんは、高齢者福祉の向上、発展のため、全力を傾注していたのである。
また、朝木さんは、無駄な補助金など違法、不法な税金の支出や税金免除の取り消しを求めて、監査請求や行政訴訟を積極的に展開。最終的に、市が行った無駄な税金の支出を総額3000万円以上取り返している。
市民の血税を無駄に使わせないというこうした朝木さんの政治姿勢は、多くの市民の共感を得ていた。
これに加えて行政や議会の癒着や談合の摘発、批判、建築紛争の解決など、朝木さんが行っていた政治活動は多岐にわたっており、創価学会・公明問題は、こうした活動のほんの一部にすぎなかった。

 


解説
こうした寺院や僧侶に対する攻撃に加えて、創価学会は、脱会者に対しても激しい攻撃を加えている。

こうした反社会的、暴力的な行為について、創価学会は宗門、脱会者および一般社会に対して、一切謝罪などしてきませんでした。
創価学会が社会との融和共存を図るなら、過去の行動を真摯に反省し、誤った行為、行き過ぎた行為については明確に謝罪すべきでしょう。

 

獅子風蓮


乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅲ章 その3

2023-02-22 01:39:38 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
■Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき


◆攻撃行動マニュアル
では、具体的にはいったいどのような活動を行うのか。
大阪府東住吉区の創価学会組織東住吉東本部が、区内の日蓮正宗寺院法住寺を攻撃するために作成した、「『勇気のエンジン』大作戦大綱」と題する行動マニュアルにその例を見ることにしよう。ちなみに、この「『勇気のエンジン』大作戦」という名称と、「御供養泥棒、漆畑行雄、その袈裟をはぎ返せ」とのテーマは、関西代表者会議での池田大作氏のスピーチに基づいている。

「『勇気のエンジン』大作戦大綱
テーマ 御供養泥棒 漆畑行雄 その袈裟をはぎ返せ!
目的 ①極悪日顕の手先、法住寺の漆畑行雄の悪業を白目の元に晒し糾弾する。
②会員を悪の手先から守り抜き、断じて『寺に行かない・行かせない』
・活動について
2/4 『追放大会』参加者が『【元初の同志】グループ』として、誓いを立て、今までのビクトリー活動を発展させ、以下の活動を展開する。
①D作戦チーム(CUTされたら取り返す。脱会者・法華講にアタックする脱講チーム)
②特別個人指導班
・A班(葬儀・法要・墓・納骨の問題等に回答できるスペシャリスト。別名、メモリアルチーム)
・B班(宗門問題解説班、寺信心の色のついた人の脱色作業を行なう。※廃案になった名称、ハイターチーム)
・C班(主に怨嫉問題等で活動しなくなった人へ手をさしのべられるチーム。別名、人間復興・ルネサンスチーム)
③FOCUSチーム(漆畑行雄、女房、所化の悪業を暴くネタ取材班)
④賢者の利剣チーム(ミニコミ誌・仮称「利剣」を新たに編集発行する)
⑤特攻野郎Sチーム(男子部の特殊潜行活動班。別名、鉄砲玉)
⑥ワイフ・キャッチャーチーム(女房を徹底糾弾する、婦人部の追っかけチーム)
⑦四条金吾チーム(壮年部の特別抗議行動チーム。別名893部隊)
⑧十羅刹女チーム(婦人部の電話抗議行動チーム。別名、極道の妻たち)
⑨ネットワークチーム(寺周辺地域包囲対策作戦、略称、ネット)
⑩パトリオットミサイルチーム(今だに来る寺からの郵便物の回収作業班)
⑪ナポレオングループ(前進を合言葉に、不可能を可能にする唱題会の参加者。※廃案になった名称、わら人形グループ)
⑫広布の使者チーム(聖教新聞、創価新報を内部未購読世帯に推進する)
 以上、本部・支部地区のビクトリー責任者が核となって行動します」

「893(ヤクザ=筆者)部隊」に「鉄砲玉」「極道の妻」と、およそ宗教団体とは思えないネーミングをつけた特殊グループが編成され、寺院、僧侶やその家族に徹底した攻撃を加えているようすが分かる。

実例をいくつか紹介しよう。
まずは放火事件。1992年4月26日、広島市東区にある興福寺では、創価学会の女性会員が、トイレのベビーベッドに放火するという事件が生じた。幸い火はベビーベッドを焦がした程度でしたが、取り押さえられた女性会員は、青山聴瑩住職に対し、「池田先生がかわいそう、目が悪いから火をつけてこの寺を燃やしてやるつもりで来た」と発言している。
この他、沖縄県那覇市の光明寺、静岡県沼津市の蓮興寺などでも放火未遂事件が起こっている。
92年10月には、和歌山県新宮市の真福寺で、創価学会の地域幹部が、住職や家族を「ブッ殺す」と脅迫し、暴行を加える事件が発生した。日蓮正宗関係者が語る。
「事件が起こったのは平成4年10月17日の午後2時すぎ、創価学会支部長の錦某が寺に電話をかけてきて、対応に出た柳坂特道住職に対し、『俺や、古座の錦や。いいか、いまから俺のいうことをよく聞けよ。お前の息子を殺し、そして女房を殺し、お前をブッ殺す』といった後、『早く寺を出て行け、純真な学会員を騙して脱会運動をするな。池田先生の悪口をいうと俺が地獄に堕としてやる。俺は鉄砲玉だ、死ぬのは恐くない。熊野川の大橋の下か、海岸でサシで勝負しろ。仏法は勝負である。池田先生のために死ぬ』などと興奮して怒鳴りまくったそうです。 そのうえで、寺に押しかけてきて、再び『お前と女房を殺す』とわめいたため、夫人が警察に通報すると、住職に暴行を働いた。錦は、駆けつけた警察官に連行されましたが、そのとき、寺の周囲には、創価学会新宮会館の管理人である佐古一昭支部長や新宮圏の越瀬正和圏長が待機していた」
錦支部長は約1週間後の25日にも、再び「いまから寺に行ってお前を殺す。お前が留守ならちょうどいい、今晩寺へ行ってお前の女房と子どもを殺す」との脅迫電話をかけている。
「子どもを殺すといっているため、心配した小学校の先生が、住職の息子に付き添って寺まで 送ってきた。すると、ちょうど学会員が押しかけてきて大騒ぎをしていたため、『こんなにひどいんですか』と驚いていた」(先述の日蓮正宗関係者)


◆福岡・開信寺集団暴力事件
全国各地の寺院で創価学会員によるこうした暴行事件は頻発しているが、そうした事件の端緒となったのが、1991年4月15日に福岡市で起こった集団暴行事件である。
暴行を受けた柏崎住職が、診断書を添えて所轄の福岡県警西警察署に出した被害届にはこうある。
「突然、創価学会員の集団が本堂内に乱入し、それから30分にわたり、怒号と野次の中で彼らの集団暴行が繰り返されました。前後左右から押され、こづかれ、ひっぱられ、蹴飛ばされ、急報で駆けつけていただいた岡本巡査部長もたちまち彼等にもみくちゃにされ、警笛を鳴らしながら応援の警官を無線で呼んでくれました」
現場にいた法華講の八尋由夫講頭は、身体障害者一級の認定を受けている高齢者だが、多数の創価学会員にネクタイで首を締められ、足を蹴られて、長期入院を余儀なくされた。
同じく福岡県粕屋郡の教説寺では住職が仏具で殴られている。また、福井市の本縁寺では、乱入してきた男が本堂の太鼓をマサカリで叩き壊したうえ、お手伝いさんの顔を変形するほど殴りつけるという器物損壊、傷害事件も生じている。
「本堂や庫裡のガラスが割られることはしょっちゅう。車のフロントガラスが割られたり、ブレーキホースが切断されるという事件も各地で起きている。また、犬や猫の死骸、糞尿がまかれたケースもかなりある」(日蓮正宗関係者)

 

 


解説
「893(ヤクザ)部隊」に「鉄砲玉」「極道の妻」と、およそ宗教団体とは思えないネーミングをつけた特殊グループが編成され、寺院、僧侶やその家族に徹底した攻撃を加えているようすが分かる。

組織のトップが下した宗門との対決姿勢に則って、これらの特殊グループが作られ、寺院、僧侶やその家族に徹底した攻撃を加えられたことが分かります。
おそらく東村山市でも、朝木さんと「草の根」を潰すというトップの指令に則って、これに準じた特殊グループが作られたと思われます。
その中に、「万引き替え玉作戦」「怪文書ファックス作戦」などもあったのかもしれません。

 

獅子風蓮


乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅲ章 その2

2023-02-21 01:15:37 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
■Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき


日蓮正宗と創価学会の関係略史


◆信徒団体としての創価教育学会
ではなぜ、日蓮正宗と創価学会の関係がここまで悪化したのか。その関係の推移を簡単に振り返ってみることにしたい。
日蓮正宗と創価学会の関係は、1928年(昭和3)に東京・白金小学校長牧口常三郎と、その弟子で塾および出版業を経営していた戸田城外(のちの城聖)が日蓮正宗に入信し、30年に牧口を会長、戸田を理事長として創価教育学会を創設したことに始まる。
以後、創価学会が自らを「日蓮正宗創価学会」と称していたように、両者は、宗門とその信徒団体としての関係を維持しつつ、戦後の高度経済成長期を迎え、日本最大の教団へと発展していく。
しかし、蜜月関係に見えた両者は、実際には、しばしば激しい衝突と軋轢をくり返していた。というのも、日蓮正宗は法主を中心とする僧侶主導型の伝統仏教教団であるのに対し、創価学会およびその前身である創価教育学会は、会長をヒエラルキーの頂点とする在家教団的色彩の極めて強い組織であり、当初から水と油の関係を内包していたからである。
1943年(昭和18)7月、創価教育学会の会長牧口は、治安維詩法違反と伊勢神宮の大麻(神札)に対する不敬罪で特高警察に逮捕、拘留され、取り調べを受けるが、その尋問のなかで、創価教育学会の指導理念および目的、そして日蓮正宗との関係をるる供述している。創価教育学会(創価学会)の体質や日蓮正宗と創価教育学会の関係を知るうえで牧口の供述はたいへん興味深い。
牧口は次のように語っている。
「私の価値論(牧口が著述した哲学書『価値創造論』のこと=注筆者)は日蓮正宗の本尊に帰依すること、具体的には創価教育学会に入会する事に依って、本会の信仰が人生生活と如何に関係が大きいか、価値が大きいかを判定認識せしむるのが指導理念でありまして、人生生活の全体主義目的観を確然と把握せしめ、本尊の信仰に依る異体同心、共存共栄の生活を体得実証せしむるにあるのであります。故に本会に入会するに非れば、個々の生活の幸福安定は勿論得られませんし、延いては国家社会の安定性も得られないと私は確信して居ります」(「特高月報・創価教育学会会長牧口常三郎に対する尋問調書抜粋」)
創価教育学会に入会しなければ幸福は得られず、国家の安定もないと主張する牧口は、日蓮正宗との関係を次のように述べている。
「只今申上た通り日蓮正宗に所属して居る事は間違いありません。総本山は静岡県富士郡上野村日蓮正宗総本山大石寺で会員は悉く日蓮正宗の信者として常在寺、歓喜寮、砂町教会、本行寺に於いて授戒をして居りますが、創価教育学会其のものは前に申上げた通り日蓮正宗の信仰に私の価値創造論を採入れた処の立派な一個の在家的信仰団体であります」
「私は正式の僧籍を持つ事は嫌ひであります。僧籍を得て寺を所有する事になれば、従って日蓮正宗の純教義的な形に嵌った行勤しか出来ません。私の価値創造論をお寺に於宣伝説教する訳には参りませんので、私は矢張り在家の形で日蓮正宗の信仰理念に価値論を採入れた処に私の価値がある訳で、此処に創価教育学会の特異性があるのであります」
檀家制度を紐帯とする伝統仏教教団日蓮正宗と、会長自ら「立派な一個の在家的信仰団体」と公言してはばからない創価教育学会が、二人三脚で歩むことは、所詮、無理な相談だった。
事実、創価教育学会は、1942年(昭和17)、のちに日蓮正宗の64世法主となる堀米泰栄(のちの日淳)吊し上げ事件を起こすなど、設立当初から、日蓮正宗と軋轢を生じている。
牧口、戸田をはじめとする幹部12名の一斉検挙、そして牧口の獄死によって壊滅的打撃を受けた創価教育学会は、終戦後、理事長だった戸田を中心に創価学会として再出発。戸田が会長に就任した1951年(昭和26)5月以後は、“折伏大行進”を大々的に展開、飛躍的に勢力を拡大し、55年には国立戒壇建立、王仏冥合を旗印に政界進出を果たし、名実ともに日本最大の教団へと発展する。
この間、創価学会は、戸田のもと、日蓮正宗に対し攻撃と懐柔をくり返し、しだいに僧俗関係のイニシアチブを把握、在家教団としての性格を強化していった。

◆宗教法人取得をめぐる対立
その顕著な例を宗教法人取得の経緯に見ることができる。52年8月に創価学会は、東京都認証の単立宗教法人資格を取得。宗門とは独立した一個の宗教法人としての体制を整備した。
だが、信徒団体が独立した宗教法人の資格を取得することについては、日蓮正宗内部に反発が強く、両者は、創価学会の宗教法人取得をめぐって激しく対立した。
戦端を開いたのは創価学会だった。創価学会が宗教法人取得のための公告を行った1952年は、宗祖日蓮が、宗旨を開いてから700年の節目にあたっており、日蓮正宗では、立宗記念日である4月28日に大石寺で「立宗七百年慶讃大法要」の開催を予定していた。この「立宗七百年慶讃大法要」を、創価学会は、宗教法人資格の取得を快く思わない宗門に対する威圧、デモンストレーションの場と位置づけ、「狸祭り」と称して、老僧に対する暴行事件を断行しなのだった。
標的になったのは、日蓮正宗の老僧・小笠原慈聞。小笠原は、戦前、国体の明徴を唱え、大東亜戦争遂行のために国民精神の総動員を図った軍部政府の宗派合同政策に協力するため、神が本地で仏はその垂迹(化身)であるという「神本仏迹」論という迎合教義を唱え、「仏本神迹」の立場をとり宗派合同に断固として反対した宗門執行部と対立した異端僧侶だった。
戸田は、小笠原の体制翼賛の動きが創価教育学会弾圧の引き金になったと強調、小笠原こそ牧口獄死の戦犯であると青年部貝を扇動して、小笠原を吊し上げ、暴行を加えることで、創価学会の威力を日蓮正宗に見せつけたのである。
だが、清浄であるべき総本山を、それも慶祝のための大法要を暴力事件で汚された日蓮正宗の大多数の僧侶は、創価学会の蛮行に猛反発。宗教法人資格取得に伴う宗制宗規の変更と「狸祭り事件」の処理を議題として、6月26日から4日間にわたって開催した宗門の議会である第47臨時宗会において、戸田の総本山大石寺への登山禁止ならびに法華講大講頭の罷免処分を含む問責決議を採択する。
さらに創価学会の宗教法人資格の取得に反発する議員らの提案に基づき、新宗制のなかに、
「檀徒及び信徒は本宗が包括する宗教法人以外の宗教法人を設立する事ができない(宗務院の意向によって「宗教法人に加入することが出来ない」に修正)」
との一条を入れることを賛成多数で可決。宗会は、創価学会に対し全面対決する意志を明らかにした。
戸田は、宗務院に対し、宗教法人取得の理由を、
「我々の折伏活動が全国的活動となり、邪宗との決戦に至る時の大難を予想し、本山を守護し諸難を会長の一身に受けるため」
と説明。宗教法人の取得を認めさせることに躍起となっていたが、修正案の可決によって宗教法人の取得が困難になるとみるや、宗会ならびに学会批判派僧侶との全面対決、全面闘争を指示。同年7月8日の臨時青年部幹部会で「御僧侶と悪侶とをはっきり区別して御僧侶は絶対に護り切る。悪侶は徹底的に責め切る」ことを決議させ、全国の青年部に一大闘争に入るよう檄を飛ばした。
これに基づいて青年部は、宗会議長市川真道(横浜・久遠寺住職)をはじめとする全国の反学会派僧侶の吊し上げを開始。当時の『聖教新聞』には、青年部幹部が大挙して寺に押しかけ、住職を取り囲み、長時間、脅迫と胴喝をくり返すという、極めて違法性の高い吊し上げを加えているようすが、得々として報じられている。
こうした青年部を使嗾しての脅迫、恫喝というムチをふるう一方で、戸田は、宗務院に対し五重塔の修復というアメを提示。最終的に、宗会決議を取り消させ、独自に東京都認証の単立宗教法人を取得することに成功する。
以後、両者は、表面上は僧俗和合路線を維持するものの、しばしば水面下で衝突。1960年(昭和35)に池田大作氏が戸田の跡を継いで三代会長に就任した後は、妙信講問題(1971年)、管長罵倒事件(72年)、国際センター問題(74年)、第一次宗門紛争(77~80年)と、ほほ毎年のように対立と和解をくり返した。

◆第二次宗門紛争と宗門・脱会者攻撃
そうした積もりに積もった軋轢と確執が噴出したのか、1990年(平成2)の12月未。
日蓮正宗が、宗規の変更を理由として、創価学会名誉会長池田大作氏を法華講総講頭(信徒総代)から実質的に解任したことから、第二次宗門紛争といわれる今回の対立が表面化した。
91年に入って日蓮正宗は、創価学会に対し、阿部日顕法主ならびに僧侶の指導訓戒に従うよう、たびたび警告するが、学会側はこれを無視。再び「狸祭り事件」や「宗会議員吊し上げ事件」時と同様、日蓮正宗に対する全面闘争を宣言し、日顕法主の退座や学会寄進寺院の明け渡しを要求して、全国的規模で激しい宗門攻撃を展開するようになる。
その結果、日蓮正宗側も態度を硬化。91年6月に創価学会員の総本山・大石寺参詣を禁止、同11月7日に創価学会の解散を勧告、同11月28日に破門処分に踏み切り、60年におよぶ関係を清算したのだった。
これに対し創価学会側は、日蓮正宗からの破門を「魂の独立」と形容。さらには日蓮正宗を日顕法主の名を冠した「日顕宗」と呼称し、これを「撲滅」するまで戦うとして、宗門攻撃をエスカレート。機関紙藷をフル活用しての非難中傷、寺院への抗議行動、官憲への告訴・告発、暴力行為、脅迫行為、威嚇行為と、適法、違法を問わぬあらゆる手段を講じて、寺院、僧侶そして脱会者に対し激しい攻撃を加えるようになる。
ちなみにこの時朋、総本山である大石寺には、一日平均800本の抗議電話、脅迫電話が殺到したという。1日24時間を分で割ると1440分。単純計算で、2分弱に1本、脅迫電話、抗議電話がかかってきたことになる。それらの脅迫電話のなかには、「ダイナマイトを仕掛けた」との脅迫電話を執拗にかけ続けて逮捕された、香川県高松市の本部副婦人部長堀田某のような例も含まれている。
この時期、創価学会は、末端組織の地区(約50世帯)に、日蓮正宗攻撃、寺院攻撃の最前線部隊として、「日顕宗撲滅対策委員会」という宗門攻撃を専門にする特殊グループを設置、日蓮正宗に勝利するという意味で名づけられた「ビクトリー委員会」と連携して、全幹部一丸となって、「日顕宗撲滅運動、○○寺対策の戦いを行なう」ことを指示している。
93年に出された指示文書にはこうある。
「日顕宗は、今、御本尊授与(破門を受けて創価学会が、自前の本尊を作成し、会員に販売していること=注筆者・以下同)によって決定的な打撃を受けており、断末魔のあがきをさまざまにしようとしている。(中略)日顕撲滅の最大のチャンスが来た。日顕撲滅なくして「創価ルネサンス勝利の年(1993年)」の決着はなく、『栄光の年(94年)』の幕開けはない。11・18(創価学会創立記念日)をこの戦いに勝利して迎えよう」

 


解説
創価学会員や脱会者、アンチの方にとっては周知のことと思いますが、一般の方が、「東村山女性市議転落死事件」の背景を理解するためには、必要な事項です。

獅子風蓮


乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅲ章 その1

2023-02-20 01:59:31 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
□Ⅱ章 疑惑への道のり
■Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき


Ⅲ章 対立の構図


朝木明代市議が学会問題に取り組んだ契機と背景


◆女性蔑視の暴言
「なんだ、女のくせに」
朝木さんが創価学会・公明問題に取り組むようになったのは、この女性を蔑視した心ない暴言をきっかけとしている。
1992年(平成4)6月30日、朝木さんは、東京・府中市の自治会館で開かれた「多摩川流域下水道北多摩第一幹線対策協議会」の総会に、理事として出席した。
「多摩川流域下水道北多摩第一幹線対策協議会」とは、多摩川流域の下水道整備を促進するために作られた組織で、東村山をはじめ、立川、国分寺、府中、小金井、小平の近隣6市の市長、議長、議員で構成されている。「対策協議会」と称するものの、実質の協議はなし。実態は、国や都から下水道建設の補助金を獲得するためのトンネル機関として、国会議員秘書や都議会議員に対するいわば「官々接待」「政官接待」の場と化していた。
6月30日の午後3時から開かれた総会も、総会とは名ばかりで、1時間ほど決算や予算についての形式的な審議を行った後は、地下のレストランで、ウイスキーのボトルまで用意した本格的を飲み会が行われる手はずとなっていた。
こうした「対策協議会」のあり方を批判していた朝木さんは、総会の席上、飲み食いに公費の大半を支出する「協議会」の実態を問題にし、公費のムダ使いをやめるよう要求した。その際、公明党の大賀昭彦小金井市議から、「なんだ、女のくせに」との暴言を浴びせられたのである。
そのときの模様を、92年7月15日付『東村山市民新聞』第35号は、
「こんな人物が議員? 発言妨害・女性蔑視はお構いなし そこのけ公明議員だゾ ただ酒、タダメシ、当たり前」
との見出しで、次のように報じている。
「各市から、6万円ずつ出す公費の負担金の大半が、何と、この飲み会と『研修旅行』の一人約6000円の昼食代に消えている。
そこで理事の草の根市民クラブ・朝木明代議員は、この総会で、公費のム夕を徹底的に追及した。
が、ただ酒、タダメシ当たり前の小金井の公明・大賀昭彦議員は、たまらず、円卓式の会議場の出席者約40名の中で、ただ一人、お経で鍛えた大声で、朝木議員の発言を妨害し続けた。
朝木議員が『静かに』と注意したところ、公明・大賀議員は『なんだ、女のくせに』と、会場全体が息を呑む程、大声で暴言。
人権無視や女性差別も平気、公明党議員の戦前以前のレベル。公明支持者も驚き」
不可解な転落死のちょうど2カ月前に当たる95年7月1日、朝木さんは、東京・大田区の区民センターで開かれた、「創価学会による被害者の会」主催の緊急フォーラム「今、宗教法人法を考える」に出席・挨拶したが、その際、創価学会・公明問題に取り組んだ契機と経過について、こう語っている。
「私は、東京の東村山市で市議会議員3期、9年目に入ったところです。8年前、初めて議会に入ってからは、とくにきっかけをつかめなかったことから、創価学会・公明党の問題は議会のなかでは、取り上げにくかったんですが、3年前、ある公の席で、小金井市の市議会議員、大賀議員という議員が、私にむかって『女のくせに、なんだ』と暴言を吐いたことから、創価学会・公明党との全面戦争に入ったわけです。それをきっかけとしまして、東村山市のなかでも、例えば、市民相談係の職員が、創価学会幹部の方であるとか、それから公明党議員の業者癒着の問題であるとか、創価文化会館の池田大作専用施設にまで課税をしないという問題とか、さまざまな観点から創価学会・公明集団の問題を取り上げてきました。議会のなかでそのような活動をする一方で、『東村山市民新聞』という地域のミニコミ紙を通じて、そのような問題を地域の皆さんに知っていただく活動をずっと続けてまいりました」
もっとも、朝木さんは都立武蔵高校を卒業後、創価学会のメインバンクとして知られる三菱銀行に就職していた。それも創価学会の口座を担当する四谷支店に配属されていた。夫の大統さんは、朝木さんの口から、創価学会の金権体質が語られたことを憶えているという。
「外国為替を担当していたということでした。ときどき、『創価学会の口座には考えられないような巨額の金が短期間で入ってくる』とか『海外によく大金を送金していた』『銀行の幹部は創価学会に頭があがらないのよ』などと話していたことを憶えています」
あるいは、メインパンクの創価学会担当セクションで見聞した創価学会の金の流れが、厳しい創価学会認識の原点となっていたのかもしれない。

◆脱会希望者に寄り添う
創価学会・公明に対する「全面戦争」の口火を切ったのは『東村山市民新聞』だった。大賀議員の暴言のあった「多摩川流域下水道北多摩第一幹線対策協議会」の模様を詳報した彙村山市
『東村山市民新聞』第35号で、朝木さんは、創価学会からの脱会を希望する次のような学会員の投書を紹介したのである。
「私は、あることを創価学会関係の人に相談したことがきっかけで、創価学会に入りましたが、3カ月後頃から、紹介者に、やめたいと言ったら、昔、私自身がいじめられっ子だったことをとりあげ、子供も同じ道を歩むぞ! などと言われ3年が過ぎてしまいました。選挙の度に公明党に投票るよう近隣の学会関係の人にいわれ、何度も無理に自宅訪問されたり、集会にでるようしつこく言われ、やめたいと言うと、いやがらせです。育児もあり、髪の毛がぬけてしまいました。学会をやめたいのでぜひ、力を貸して下さい」(連載コラム「議員への手紙から」)
これに対し朝木さんは、
「学会員や公明党議員の中には、平気で人権侵害する人がいます。応接しますので、頑張って!」
とエールを送っている。

同様に、町田市議会の公明党議員が、公費支出の議員旅行で同僚の女性議員と混浴、題となった事件を報じた11月18日付『東村山市民新聞』第38号では、脱会の方法を問い合わせる学会員に対し、朝木さんは次のように呼びかけている。
「学会本部への脱会の手続きは、いくらでもお手伝いします。嫌がらせや人権侵害とは、弁護士と協力して、徹底して闘います。ご心配いりません」
この時期、朝木さんは、脱会を希望する学会員の代理人として、数多くの脱会届を学会本部、秋谷栄之助会長宛に郵送している。脱会を希望するものの、脱会の意思を明らかにすると、地域の学会組織から執拗な嫌がらせや攻撃を受けるため、脱会したくても恐くて脱会できなかった学会員の代理人となって、創価学会との交渉窓口になることを、朝木さんは請け負ったのである。
朝木さんが代理人となって創価学会本部に送った「脱会届」は、次のような文面であった。

「今般、一身上の都合で創価学会を脱会いたします。
以後、接触を希望する場合は、代理人朝木明代に連絡願います。
 〇月〇日          〇×〇夫
 創価学会会長 秋谷栄之助殿」

公称840万世帯、1300万会員という巨大組織のマンパワーが生み出す金と票を武器に、権力を拡大してきた創価学会にとって、もっとも困るのは会員の減少。その会員減少につながる脱会の奨励は、創価学会にとってゆるがせにできない大問題であった。その意味では、当初から、朝木さんは虎の尾を踏んでいたといえよう。

◆「解散勧告書」と「破門通告書」
ではなぜ、朝木さんが脱会を希望する学会員の代理人を務めるようになったのか。そのバックグラウンドには、日蓮正宗と創価学会の深刻な対立抗争があった。
周知のように創価学会は、1991年(平成3)11月7日、日蓮正宗(宗門)から解散を勧告され、同月28日、教義、信仰上の違背と数多くの社会的不正を犯していることを理由に、破門された。
宗教団体や信仰集団において教義違背、すなわち異端信仰は、最大の罪。「カノッサの屈辱」を持ち出すまでもなく、懺悔、悔俊なき場合、破門される例は古今東西を通じて少なくない。その意味では、本尊摸刻(偽造)事件をはじめとするさまざまな教義違背を理由に、日蓮正宗が創価学会を破門したことは決して珍しいことではない。
だが、今回の破門処分で特異なのは、創価学会と公明党が一体となって行った言論出版妨害事件をはじめ、共産党宮本委員長宅盗聴事件、替え玉投票事件などの選挙違反事件、1億7500万円金庫事件やルノワール疑惑など、創価学会が宗教団体にあるまじき違法行為や社会的不正を数多く犯していることを問題視し、創価学会は宗教法人として適格ではないと指摘している点である。
「解散勧告書」ならびに「破門通告書」には、次のようにある。
「創価学会では、かつて言論出版妨害問題や選挙時の替え玉投票事件、また共産党宮本委員長宅盗聴事件や『月刊ペン』事件等、反社会的な行動やスキャンダルなどで、社会から幾多の厳しい指弾を浴びましたが、近年に至っても、なお会員による身代金6億円を要求した本宗住職僧侶誘拐事件、会員である公明党議員たちによるリクルート事件や砂利運搬船汚職事件等の数々の贈収賄事件、1億7000万円入り金庫投棄事件、ルノワールの絵画取引にかかる疑惑、墓地造成にかかる脱税事件や株売買にかかる損失補てん疑惑等、巨額の不正疑惑事件が頻発しております。
創価学会では、これらの疑惑事件等の発覚によって、本宗の信徒団体のあり方から著しくかけ離れた醜い姿を現すとともに、このような金銭問題にまつわる創価学会の実態が、社会から、その公益法人としての資質や責任を、厳しく問われる結果を招いております」(解散勧告書)
「創価学会における、度重なる巨額の金銭不祥事件にまつわる社会的不正・疑惑事件は、創価学会自体が、宗教法人としての資質や責任を厳しく問われる、反社会的実態を露呈したものであります。これは、同時に、本宗の社会的信用に著しく傷を付け、広宣流布への大きな傷害となっております。しかも、毎年行われる財務では、多額の寄付を集めて、実際に本宗信徒の生活を苦しめ、窮地に追いやっている事例も少なくありません。このような創価学会の実態は、本宗信仰の信条はもとより、宗教団体の目的からも著しく逸脱するものであると断じます」(破門通告書)

95年12月8日、宗教法人法改正案が、創価学会の全面支援を受ける新進党を除く与野党の賛成多数で可決成立した。今回の改正の主要なポイントは、以下の3点。
①複数の都道府県で活動する宗教法人の所轄を都道府県知事から文部大臣に移管する。
②財務書類等の提出を義務づけ、信者など利害関係人の閲覧を認める。
③宗教法人法第81条が定める解散事由に該当する疑いのある宗教法人への質問権を所轄庁に与える。
いずれも創価学会にダイレクトに影響する内容だけに、今回の宗教法人法の改正を、創価学会は、“国家権力による宗教弾圧”“創価学会を潰すための自民党の策謀”であるとして、徹底した反対キャンペーンを展開した。
その宗教法人法は、第81条において、宗教法人の法定解散をこう規定している。

「第81条 裁判所は、宗教法人について左の各号の一に該当する事由があると認めたときは、所轄庁、利害関係人若しくは検察官の請求により又は職権で、その解散を令ずることができる。
一 法令に違反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと。
二 第二条に規定する宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたってその日的のための行為をしないこと」

95年末に、地下鉄サリン事件をはじめとする凶悪犯罪、違法行為をくり返しでいた宗教法人オウム真理教の法定解散が東京地裁で決定したが、その法的根拠は、この宗教法人法第81条一項の「法令に逮反して、著しく公共の福祉を害すると明らかに認められる行為をしたこと」にある。
日蓮正宗が、「解散勧告書」ならびに「破門通告書」で、創価学会の反社会的体質を指弾し、「このような創価学会の実態は、本宗信仰の信条はもとより、宗教団体の目的からも著しく逸脱するものである」と断じたのは、創価学会の法定解散を想定していたからにほかならない。

◆宗教法人資格喪失「通告書」
日蓮正宗は、この破門通告から5カ月後の1992年3月28日、創価学会の宗教法人事務を所轄する東京都の鈴木俊一知事(当時)に対し、創価学会は宗教法人資格を喪失したとの「通知書」を、阿部日顕管長をはじめとする宗教法人日蓮正宗の責任役員名連記のうえで送付している。
当時、東京都知事に対しては、元都議会副議長で都議会公明党の幹事長等を歴任した龍年光氏を中心とする元学会員有志が、創価学会の法定解散を求めて、22万4477人の署名を提出しており、日蓮正宗の「通知書」はその援護射撃の意味をもっていた。「通知書」にはこうある。
「宗教法人『日蓮正宗』といたしまして、宗教法人『創価学会』に関する件について通知いたします。
創価学会は、初め創価教育学会として発足し、その後日蓮正宗の信徒団体となりました。同会は、昭和20年に創価学会として再生し、昭和27年8月27日付をもって、東京都知事より日蓮正宗の信徒団体でありながら宗教法人創価学会として認証され、同年9月8日には宗教法人の設立登記を完了しております。
日蓮正宗は、この創価学会に対し、創価学会が宗教法人設立時に日蓮正宗に約束した、日蓮正宗信徒団体としての必要な三条件を守らず、もはや同会が日蓮正宗の信徒団体として認め難い状況にたちいたりましたので、平成3年11月28日付をもって破門にふしました。この破門により、創価学会は、日蓮正宗とはまったく無関係を団体となりました。
しかも、依然として、創価学会規則第3条には、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない」とあります。
これは宗教法人法第2条に定める宗教団体としての構成要件のなかの『ひろめ』るべき『信仰の教義』を欠くこととなり、明らかに宗教法人としての適格性を欠くものでありますから、御承知いただきたく、この点通知いたします。
           以上
平成4年3月28日
    静岡県富士富市上條2057番地
    宗教法人日蓮正宗
     代表役員(管長)阿部日顕
     責任役員(総監)藤本日潤
     責任役員(重役)早瀬日慈
東京都知事 鈴木俊一殿」

この「通知書」に記されているように、創価学会は、認証を受けた宗教法人規則のなかで、宗教法人としての目的を次のように定めている。
「第3条 この法人は、日蓮大聖人御建立の本門戒壇の大御本尊を本尊とし、日蓮正宗の教義に基づき、弘教および儀式行事を行ない、会員の信心の深化、確立をはかり、もってこれを基調とする世界平和の実現と人類文化の向上に貢献することを目的とし、これに必要な公益事業、出版事業および教育文化活動等を行なうものとする」

この規定に明らかなように宗教法人創価学会とは、日蓮正宗の本尊である「本門戒壇の大御本尊」を本尊とし、「日蓮正宗の教義に基づ」いて宗教活動その他を行うことを目的として設立された宗教法人なのである。
だが、破門によって創価学会と日蓮正宗との関係は断絶。創価学会は、日蓮正宗の本尊を拝むことも、日蓮正宗の教義に基づいて活動することもできなくなった。この繕果、創価学会は、宗教法人設立の前提条件を失ったというのが宗門および龍氏らの主張である。
前述のとおり宗教法人法第81条二項は、宗教法人がその規則に定めた「宗教団体の目的を著しく逸脱した行為をしたこと又は一年以上にわたってその目的のための行為をしない」場合、法定解散させることができると規定している。破門された創価学会が、この解散事由に当たると見る識者は多い。
「日蓮正宗を護持する信徒団体として、宗教法人資格を得た以上、破門によって宗教法人設立の目的が喪失したと考えるのか妥当。すでに破門から4年以上経過しているのだから、創価学会が、宗教法人法第81条二項の解散事由に該当するのは明白だ」(日大法学部教授北野弘久氏)
こうした事実を背景にして、日蓮正宗は、創価学会の宗教法人事務を所聴する東京都知事に、創価学会は宗教法人としての適格性を欠いたと通知、創価学会の宗教法人資格を早急に見直すべきだと主張したのである。

 


解説
朝木さんは都立武蔵高校を卒業後、創価学会のメインバンクとして知られる三菱銀行に就職していた。それも創価学会の口座を担当する四谷支店に配属されていた。夫の大統さんは、朝木さんの口から、創価学会の金権体質が語られたことを憶えているという。
「外国為替を担当していたということでした。ときどき、『創価学会の口座には考えられないような巨額の金が短期間で入ってくる』とか『海外によく大金を送金していた』『銀行の幹部は創価学会に頭があがらないのよ』などと話していたことを憶えています」
あるいは、メインパンクの創価学会担当セクションで見聞した創価学会の金の流れが、厳しい創価学会認識の原点となっていたのかもしれない。

あるいは、朝木さんがメインパンクの担当セクションで創価学会の金の流れを見聞したことが、「なんとしても『草の根』、朝木を潰せ」ということになった大きな理由の一つかもしれませんね。

私が不思議でならないのは、本来政治浄化を目指して都議選に打って出た公明党だったはずなのに、どうして東村山市の公明党市議たちは、市のだらしない金銭感覚を追及する「草の根」と協力するのではなく、敵対する立場を取ったのかということです。
初期の公明党都議の志から遠く離れて、すでに全国的に公明党議員の与党化が進み、全体的に堕落してしまったということでしょうか。
それとも、「なんとしても『草の根』、朝木を潰せ」という東村山市の特殊な理由があったのでしょうか。
公明党関係者の意見が聞ければうれしいです。
是非、コメントを寄せてください。

獅子風蓮


乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』Ⅱ章 その4

2023-02-19 09:53:15 | 東村山女性市議転落死事件

乙骨正生『怪死―東村山女性市議転落死事件』(教育史料出版会1996年5月)
より、引用しました。
できるだけ多くの人に読んでいただく価値がある本だと思いますので、本の内容を忠実に再現しています。
なお、漢数字などは読みやすいように算用数字に直しました。

なお、乙骨さんにはメールで著書を引用している件をご報告したところ、快諾していただきました。
ありがとうございます。

(目次)
□まえがき
□Ⅰ章 怪死のミステリー
■Ⅱ章 疑惑への道のり
□Ⅲ章 対立の構図
□Ⅳ章 たたかいの軌跡
□Ⅴ章 真相を明らかにすることは民主主義を守ること
□あとがき

 


(つづき)
「草の根」に対する攻撃の数々

◆襲撃
万引き事件以後、朝木さん、矢野氏をはじめとする「草の根」周辺はにわかに騒然としてくる。暴行、脅迫、放火などの違法かつ異常な攻撃が次々と発生したからである。最初に起こったのは矢野氏に対する暴行事件だった。事件は、万引き事件での送検からわずか4日後の7月16日に起こった。
そのときの状況を矢野氏はこう語る。
「7月16日の午前3時すぎ、草の根の事務所から自宅に帰ろうと自転車で市内を走っていたところ、道路に寝ている男を2人連れの男性が介抱し、道路脇に寄せている現場にさしかかった。酩酊しているのかと思い、停車してようすを見てから、行き過ぎようとしたところ、寝ていた男がいきなり起き上がり、襲いかかってきた。最初は、胸ぐらをつかんで挑発するだけ、抵抗しないと分かると、『サツにちくるなよ』などといい、ヘッドロックしたうえで、顔面や頭を激しく殴りつけてきた。50メートルほど引きずりまわされたが、近くの民家の犬が激しく吠え始めたため、犯人は、私の自転車をたたきつけたうえで、自分の自転車ですばやく逃走した。しかたなく自転車を起こして、自宅に向かって走りはじめ、数百メートル行ったところ、再び、後ろから犯人が現れ、襲ってきた。正直、ゾッとし、急いで逃げようとしたが、体当たりされ、再び暴行を加えられた。2度日は前にも増して激しく殴られ、蹴られしたため、“殺される”と思い、『助けてくれ』と何度も声を出したところ、近くの公園にいた若者のグループが駆けつけてきてくれたので、ようやく助かった。一度ならず二度までも執念深く襲ってきている。酩酊を装いながら、素早く動いたことといい、酔っぱらいを装って待ち伏せていたとしか考えられない」
この事件で矢野氏は、前歯を折るなど、頭部・顔面挫傷で全治2週間のケガを負った。事件当夜、東村山署の当直担当は朝木さんの不可解な転落死のときと同じく須田係長だった。

◆威嚇・待ち伏せ
朝木さんの怪死から20日ほどたった9月21日、矢野氏は、偶然、東村山駅前の飲食店で、仲間5人と酒を飲んでいる暴行犯を発見し、東村山署に110番通報。男は、東村山薯に連行され、取り調べを受けるが、なぜか同署はまもなくこの男を釈放している。
翌日、釈放された男は、「草の根」事務所に現れ、矢野氏を威嚇するように睨みつけている。
さらに10月3日には、仲間数人と矢野氏の自宅前で、矢野氏を待ち伏せるなど異常な行動を見せている。
こうした事態を踏まえて、矢野氏は、東村山署に対し、徹底した捜査と男の身元の開示を要求したが、東村山署はかたくなにこれを拒否している。
ちなみに、この男は市内多摩湖町に住む事件当時十八歳の少年I・S。本人は、以前、創価学会員の友人にすすめられて題目を唱えたことは認めるが、創価学会員ではないと否定している。
未成年ではあるが、被害者が暴行事件の犯人と断定する人物を、警察はなぜ拘束しないのか。
また、その後も野放しにしているのはなぜか。万引き事件という軽微な犯罪を「20日もかけて捜査」する一方で、暴行というより悪質を犯罪を捜査しない東村山署の対応は不自然である。

◆脅迫
矢野氏に対する暴行事件のあった7月16日の翌17日朝には、「草の根」事務所の周辺4カ所に、
「こんな議員をトップ当選させたパカな東村山市民よ早く目を覚ませ市の恥『草の根』をこの街から排除しない限り東村山は全国の笑い者になる 議会の進行を妨害するだけで、何の建設的意見も持たづ(ママ)能力もない『草の根』を即刻、追放しよう」
とのビラが張られている。以後、
7月19日:朝木さんの自転車のブレーキが壊されており、知らずに乗った朝木さんがブロック塀に衝突し、手を負傷。
7月22日:「市の恥『草の根』をこの街から排除しない限り東村山は全国の笑い者になる」
というビラがまかれる。
8月2日:市内を自転車で走っていた矢野市議の前後をトラックが挟み、引きずり回し、事故寸前となる。後ろの軽トラックに乗っていた男が幅寄せし、フラッシュを焚いて威嚇。
この男は、朝木さんの葬儀終了後の9月5日にも矢野氏に対し8月2日と同じょうな威嚇を加えたが、控えていた車のナンバーから、市内在住の創価学会男子部S・Hであることが判明。8月30日に出されていた被害届をもとに、東村山署が9月14日に事情聴取を行っている。この
S・Hが学会員であることを、当初、創価学会は未確認としていたが、9月下旬、西口浩広報室長が正式に学会員であることを認めている。
8月10日:市役所で『草の根』を誹謗するビラがまかれる。
8月19日:直子さんのポケベルに、死を意味するのか、「4444……」という脅迫メッセージが、1日12回も入る。
8月20日:朝木さんの自宅の門柱上に、灯油を染み込ませた新聞紙の入ったコンビニエンスストアーの袋が置かれ、火がつけられていた。東村山署のこの日の当直担当も、須田係長だった。
こうした経緯から朝木さんは、須田係長を「創価学会員では」と疑っている(『週刊新潮』の取材に対し、本人は否定)。
8月26日:「草の根」事務所に黒色火薬とともに「ばく死」と書かれた脅迫状が届く。
8月28日:朝木さんが参加する予定だった高知のシンポジウム主催者の連絡先の携帯電話に、「シンポジウムを中止しろ。このままだったらただですむと思うなよ」との男性の声と、「講師が五体満足で来られると思うなよ」との女性の声の脅迫電話が入る。ちなみに8月21日に高知県下で行われた創価学会の地区部長会では、F副県長が、「ヤイロ鳥のシンポジウムを断固粉砕する」と発言していた。

◆「いつ殺されるかわからない」
こうした脅迫は、朝木さんの死後も相変わらず続いており、矢野市議の暴行犯I・Sが東村山署の取り調べを受けた9月21日には、「草の根」の事務所に次のような脅迫ファックスが送信されてきている。
「矢野聴積、朝木を自殺に追いやったのはお前なのは判っている。小細工ばかりしないで正直に白状しろ。
万引事件で自分たちの『草の根』が傷付いたと、朝木を虐めて精神的に追いやったのはお前だ。
(中略)
お前が本当の意味でたった一つ社会に貢献できることは、お前が死ぬことだ。死ね。
何なら、お前の死を手伝ってやってもいいぞ。
                   死ね矢野。
  東村山を近代社会に進化させる会より」
一連の暴行や悪質な嫌がらせを朝木さんはどのように感じていたのだろうか。
「母は、身の危険を強く感じていたようです。『自分はいつ殺されるかわからない』と口癖のように話していました。ですから、もし、自分が死ぬようなことがあったら、葬式は無宗教で、香典ももらわないように」ともいっていました」(直子さん)
いずれも単純ないたずらとは考えにくい。朝木さんをはじめとする「草の根」を恨む組織的背景が感じられる。だが、東村山署は、こうした背景を考慮せず、事件発生直後から一貫して朝木さんの死を、「事件性は薄い」と見る立場に終始しているのである。

 

 


解説
この事件で矢野氏は、前歯を折るなど、頭部・顔面挫傷で全治2週間のケガを負った。事件当夜、東村山署の当直担当は朝木さんの不可解な転落死のときと同じく須田係長だった。

まったく酷い事態です。
これでは、東村山警察署の一部の人間(須田係長と千葉副署長)が創価学会の組織と連携して、朝木議員や「草の根」を潰すために暗躍していたと思われてもしかたがありませんね。


獅子風蓮