柳原滋雄氏は中田光彦の名前で多数の文章を主に創価学会系の雑誌『潮』に発表しています。
Wikipediaによると、柳原滋雄氏は、早稲田大学在学中の1985年に、創価学会へ入会。
創価学会員である柳原滋雄氏の主張は大きなバイアスがかかっていると見た方がいいでしょう。
柳原滋雄氏は自身のホームページの中で「コラム日記」を書いており、「東村山市議転落事件」についても現在も積極的に記事をアップしています。
さっそく、「柳原滋雄のホームページ」からいくつか気になる記事をピックアップしてみましょう。
■東村山市議の闇12 空白の50分間(2022/12/07 水曜日)
この事件の真相を解くカギは「空白の2時間」と呼ばれてきた9月1日当日の午後10時40分から翌日0時30分にあるともされてきた。この用語は宇留嶋著『民主主義汚染』で最初に活字にされたと思われるものだ。
矢野穂積が朝木明代の所在確認のために東村山署に電話したと矢野本人が主張している時間が午後10時40分。だが東村山署に残された記録では翌日の0時30分という「誤差」があった。『民主主義汚染』では、矢野の主張する10時40分は虚偽で、実際に架電した0時30分まで「空白の2時間」があったと紹介している。
実際はその前にも、朝木明代と矢野穂積が弁護士に相談して帰ってきてから、矢野は地元の自治会長の会議に出席するために事務所を出て、朝木明代が単独で事務所にいた時間があった。矢野が9時10分に事務所に戻るとだれもいない状態で、転落事件はそれからほどない10時に発生。つまり矢野が事務所に戻った午後9時10分から翌日0時30分までが空白となっており、なかでも9時10分から10時までの50分間が事件のカギを握る重要な時間なのだ。その間に何が起こったのか。
NTTの記録などによれば、朝木明代は自宅に戻ったあと、9時19分に事務所に電話をかけ、「気分が悪いので少し休んで戻る」と告げたとされる。いずれにせよ午後10時には転落現場に明代の姿はあったわけで、草の根事務所は、朝木の自宅と転落現場の中間点にあった。明代は自宅を出て、いったん事務所に戻ってから転落現場に向かったと考えるのが、立地的には自然だ。事務所と転落現場は歩いて数分の距離。事務所に30分後の9時50分に戻ったとしても、なんら不自然さはない。
重要なヒントは、転落時の明代が靴をはいていなかった事実だ。また転落前の一人きりの時間帯に、外をふらぶらと徘徊していた様子も目撃されている。その中に彼女が万引きを行った洋品店周辺も含まれていた。明代は、自ら起こした万引き事件を気に病み、心虚ろな状況にあった可能性が高かった。
その明代が再び事務所に戻ったとき、矢野穂積と顔を合わせた際に何があったのか。推測にすぎないが、何らかの衝突めいたやりとりがあり、明代は靴もはかずにそのまま飛び出して行った。そう考えるのが最も理屈にかなう。
矢野にとっては、この時間帯のことを詮索される事態が一番まずかった。事件後、矢野が警察による事務所内捜査を自ら拒んだ事実がそのことを裏づける。事件直後に新聞記者の一人が、事務所に女性の靴があったのを見ていたとの話も残る。
当時の週刊誌記事は、明代の靴が事務所にも自宅にもなかったと平然と書いたが、それらは矢野の主張が正しいことを前提にした記述にすぎなかった。自らの利害のために平然と虚偽を並び立てるタイプの人間であることを何ら考慮しないで垂れ流した記事でしかなかったからだ。
■東村山の構図14 真相の推理(2023/02/13 月曜日)
1995年の転落事件は、朝木明代が自らの万引き事件に責任を感じ、突発的に行った「ためらい自殺」にすぎなかった。もし明代が病院に運ばれた後回復していたら、真相ははっきりしたはずだ。だがフェンスに胸部をしたたかにうちつけ、多くの失血を伴った転落は彼女の命を奪ってしまった。その死を自分本位に利用したのが矢野穂積だった。
以下は私の推測となるが、矢野と明代の間で最後にどのような会話がなされたかがより重要となる。その会話が明代がハダシで外に飛び出す行動を生んだと考えられるからだ。
「お前なんか、死んでしまえ」、あるいは「死んで詫びろ」と矢野が言い放った可能性は十分にある。売り言葉に買い言葉で明代が「死んでやる」と外に飛び出した可能性も濃厚だ。それは突発的な反応であったために、靴もはかずに飛び出し、ビルの高いところに昇ってみたが、実際は下を見て怖気づき、本能的に手すり部分にしがみついた。その結果、下までそのままズルっと落ちてしまったというのが現場の状況からの矛盾のない推察と思われる。
(以下省略)
【解説】
宇留嶋著『民主主義汚染』が今回の議論の論拠になっているようですが、宇留嶋氏とはどのような人物なのでしょうか。
ジャーナリスト宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」等と呼ぶことの検証
この記事を読むと、宇留嶋瑞郎氏を「創価学会御用ライター」と呼ぶのは適当ではないと言うことらしいのですが、学会系の『潮』に学会寄りの文章を多数載せていることは事実であり、私からみるとお抱えジャーナリストといえなくはないような。
さて、宇留嶋氏の指摘するところの「空白の2時間」ですが……
明代は自宅を出て、いったん事務所に戻ってから転落現場に向かったと考えるのが、立地的には自然だ。事務所と転落現場は歩いて数分の距離。事務所に30分後の9時50分に戻ったとしても、なんら不自然さはない。
重要なヒントは、転落時の明代が靴をはいていなかった事実だ。また転落前の一人きりの時間帯に、外をふらぶらと徘徊していた様子も目撃されている。その中に彼女が万引きを行った洋品店周辺も含まれていた。明代は、自ら起こした万引き事件を気に病み、心虚ろな状況にあった可能性が高かった。
その明代が再び事務所に戻ったとき、矢野穂積と顔を合わせた際に何があったのか。推測にすぎないが、何らかの衝突めいたやりとりがあり、明代は靴もはかずにそのまま飛び出して行った。そう考えるのが最も理屈にかなう。
ここが、柳原氏と矢野氏の間で一番の争点になるところでしょう。
このあたりに焦点を絞って、今後、他の資料を検証していきたいと思います。
それにしても、「推測にすぎないが」と前置きながらも、柳原氏は、「空白の2時間」に、再び事務所に戻った朝木さんと矢野氏の間に何らかの衝突めいたやりとりがあったとするのは、飛躍がすぎるのではないでしょうか。
柳原氏のストーリーとしては一番の悪は矢野氏で、矢野氏が朝木さんを罵倒したために、朝木さんが靴もはかずに事務所を飛び出し、ビルの上から飛び降り自殺をはかったというものです。
いくら気が動転していたからといって、たとえ罵倒されたとしても、市議会議員ともあろう人物が靴もはかずに事務所を飛び出したりするものでしょうか。
柳原氏の「推測」には、ムリがあるように思います。
Wikipediaによると、矢野氏は2021年11月30日に亡くなっています。
もう訴えられる心配がないから、矢野氏については何を書いても構わないと思っているのでしょうか。
柳原氏、卑劣です。
(このシリーズは終了)
獅子風蓮