このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。
(目次)
□はじめに
第一部
■第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
□第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
◎周防正行監督インタビュー
・おわりに
「検事の土俵」
逮捕されたのは、09年6月14日午後5時半頃です。
家族の連絡先を聞かれたので、バッグの中の携帯電話を取り出して電話番号を調べるふりをして、こっそり「たいほ」と三文字だけ打ちこんだメールを夫に送りました。漢字に変換する余裕はありません。夫は海外出張中でしたが、伝えれば一人で留守番をしている高校三年生の次女のことは、なんとかしてくれるだろうと思いました。子どもたちが、私の逮捕を報道で知るということだけは避けたかったのです。
逮捕状を見せられ、逮捕を告げられた後、移送車で拘置所に移されました。幸いにもカーテンで覆われていて、外から私の姿は見えないようになっていましたが、無数のフラッシュが焚かれているのがわかりました。
拘置所では着ている服を全部脱いで、身体検査をされ、指紋、掌紋も取られました。灰色の上下のトレーナーを着せられて写真を撮られてから、タオルや歯ブラシ、食器など最低限のものを渡されて、自分の部屋に連れていかれました。畳二畳にトイレと洗面台のついた個室です。就寝時間が過ぎていたので、暗く静かな部屋に入り布団を敷きました。「ここまではマスコミは来ない」――そう思ったら、自分でも驚いたことに朝まで熟睡していました。
逮捕されてからは、今度は拘置所の取調室で取り調べが行われました。狭い部屋で大きな机の向こう側に検事、こちらに私が座ります。私の座るパイプ椅子は床に固定されています。これは椅子を持ち上げて検事に襲いかからないようにするための工夫のようです。検事の机の横には事務官の机と椅子があって、事務官の椅子の後ろはすぐ壁という構造です。これも事務官の横を通りぬけて、被疑者が検事に襲いかかれないための工夫でしょう。取り調べはお昼過ぎから始まり、休憩や夕食をはさんで、夜の10時頃まで続くというのが平均的な形でした。拘置所の就寝時間は9時なので、みんなが寝静まった頃、刑務官に連れられて、拘置所の居室に帰るという毎日でした。
勾留第1日目の取り調べで、遠藤検事からいきなりこう聞かれました。
「勾留期間は10日、一回だけ延長ができるので20日間です。そのうえで、起訴するかどうか決めますが、あなたの場合は起訴されることになるでしょう。裁判のことは考えていますか」
それなら何のために20日間も取り調べをするのだろうと思いました。よく話を聞き、事実を調べて、本当に犯罪の嫌疑があるのかどうか確認するのではなく、もう結論は決まっている、というわけです。
遠藤検事は、こうも言いました。
「私の仕事は、あなたの供述を変えさせることです」
それなら、真実はどうやったら明らかになるんだろう、と思いました。その手段を持っている検察がそういう姿勢なら、いったい真相解明は誰がやってくれるのか、と。
それでも、取り調べに協力する姿勢は変えてはいけない、と思っていました。厚生労働省は捜査に協力するという方針でしたし、私が知らないこととはいえ、役所で起こった犯罪です。黙秘したりせずに、捜査には協力しなければ、と思っていましたから、どんなことでも聞かれたことには正直に、誠実に答えていました。
取り調べでは、検事はとにかく「倉沢が会いにきたはずだ」と言うわけです。「会った」という記憶なら確実ですが、記憶にないからといって「会っていない」とはなかなか言い切れない。検察はそれを上手に使って攻めてくるのです。
最初に倉沢さんが挨拶にやってきたという、事件の「入口」については、厚労省の職員たちも証言をしている、というのです。私が倉沢さんを上村さんの前任の係長に引き合わせ、手続きを説明してあげるように指示したことになっていました。遠藤検事から、「『入口』については、みなの供述が一致しているのに、なぜあなた一人だけ記憶がないのか」と問い詰められました。「長い裁判を考えたら、認める気はないか」とも何度も言われました。
「なぜ記憶にないのか」と聞かれても困ります。ただ、そんなにみんなが会っているというなら、もしかしたら会っている可能性もあるのではないか、とは思いました。それでも、やってもいないことまで認めるわけにはいきません。検事の言うことと私の話は、ずっと平行線のままでした。
逮捕後も、「会っていない」と言い切る表現になっている調書が作られました。遠藤検事は、訂正の申し入れにはわりと応じてくださる方でしたが、この部分は、何度訂正を申し入れても、受け入れられず、根負けしてしまいました。
でも、こうしたことが続けば続くほどこれはワナではないかと、不安が募りました。もし、私が倉沢さんに一度でも、短時間でも会ったことを示す証拠があった場合、「会っていない」と言い切る調書があると、私が嘘をついた、ということにされてしまうのではないか……と。村木は嘘つきなので、否認していることも信用できない、という印象を裁判所に与えるために、わざと「会ってない」と言い切る調書を作っておこうとしているのではないか、と思いました。接見に来てくださった弘中弁護士に相談した結果、そのことを私が弘中弁護士のもとへ手紙に書いて送り、公証役場で確定日付をとって証拠化することになりました。先生が抗議してくれたためか、後になって「会った記憶がない」という表現の調書を取り直してもらいました。私の手帳や業務日誌に倉沢さんの名前は一度も出てきませんし、のちに弁護団が倉沢さんの保管していた膨大な数の名刺を調べてくれましたが、私の名刺は出てきませんでした。検察は、そういう私にとって有利な情報があることは何も教えてくれません。
初めにこういうことがあったので、納得がいかない調書には絶対にサインしない、と心に誓いました。とはいえ、調書作りでは、向こうはプロ。こちらは、まったくの素人です。 今日初めてグラブを着けた素人が、レフェリーもセコンドもいない状態でリングに上げられて、プロボクサーと戦わされるようなものです。弘中弁護士がこんなアドバイスをくださいました。
「村木さん、残念だけど、検察の取り調べというのは公平公正じゃない。裁判官というレフェリーもいないし、弁護人もついていない。今いるところは、検事の土俵なんだと思いなさい」
それを聞いて、「検事の土俵」で、私が勝つなんてありえないんだ、と分かりました。そうすると、私がやらなければならないのは、負けてしまわないこと。負けてしまわないというのは、やってもいないことを「やった」と言わないことです。きちんと自分の言ったことを書いてもらうなどということはあきらめて、嘘の自白調書を取られないということだけを目標とすることにしました。
いくら「検事の土俵」とはいえ、調書作りの方法には驚かされました。私はそれまで、調書というものは、被疑者や参考人が喋ったことを整理して文章化するものだと漠然と思っていました。ところが実際の調書の作り方はまったく違ったものでした。
検察は、自分たちが想定しているストーリーに沿って、それに当てはまるような話を私から一生懸命聞き出そうとします。それに対して、私は一生懸命反論をします。長時間そういうやり取りをした後、私の話の中から検察側が使いたい部分を、都合のいいような形でつないでいきます。彼らにとって都合の悪いことは、いくら話しても調書には書かれないのです。
【解説】
調書作りでは、向こうはプロ。こちらは、まったくの素人です。 今日初めてグラブを着けた素人が、レフェリーもセコンドもいない状態でリングに上げられて、プロボクサーと戦わされるようなものです。弘中弁護士がこんなアドバイスをくださいました。
「村木さん、残念だけど、検察の取り調べというのは公平公正じゃない。裁判官というレフェリーもいないし、弁護人もついていない。今いるところは、検事の土俵なんだと思いなさい」
それを聞いて、「検事の土俵」で、私が勝つなんてありえないんだ、と分かりました。
取り調べで自分に不利な調書を書かせないための闘いがいかに困難なことかが分かります。
いくら「検事の土俵」とはいえ、調書作りの方法には驚かされました。(中略)検察は、自分たちが想定しているストーリーに沿って、それに当てはまるような話を私から一生懸命聞き出そうとします。それに対して、私は一生懸命反論をします。長時間そういうやり取りをした後、私の話の中から検察側が使いたい部分を、都合のいいような形でつないでいきます。彼らにとって都合の悪いことは、いくら話しても調書には書かれないのです。
検察、おそるべし。
獅子風蓮