獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

村木厚子『私は負けない』第一部第2章 その4

2023-04-29 01:37:40 | 冤罪

このたび、村木厚子さんの著書『私は負けない-「郵便不正事件」はこうして作られた』(中央公論新社、2013.10)を読み、検察のひどいやり方に激しい憤りを感じました。
是非、広く読んでほしい内容だと思い、著書の一部を紹介したいと思います。

(目次)
□はじめに
第一部
□第1章 まさかの逮捕と20日間の取り調べ
■第2章 164日間の勾留
□第3章 裁判で明らかにされた真相
□第4章 無罪判決、そして……
□終 章 信じられる司法制度を作るために
第二部
・第1章 支え合って進もう
  ◎夫・村木太郎インタビュー
・第2章 ウソの調書はこうして作られた
  ◎上村勉×村木厚子対談(進行…江川紹子)
・第3章 一人の無辜を罰するなかれ
  ◎周防正行監督インタビュー
・おわりに


フロッピーに残された、おかしな日時

拘置所の中に差し入れられた証拠類は、必ず2回は目を通すようにしました。まず1回読んで、1日おいて、もう1回頭を空っぽにして読み直す。そうすると新たな発見があったりします。結構根気のいる作業でしたが、おかげでフロッピーに記録された作成時期に関する問題も、そうやって読み直している時に見つけることができました。
それは、國井検事についていた検察事務官が作成した、「公的証明書等データのプリントアウトについて」と題する捜査報告書でした。A4判一枚の文書に、上村さん宅から押収したフロッピーディスクから証明書ファイルのプロパティをプリントアウトした写真が載せてありました。
プロパティには、次のような日時が明示されていました。
▽作成日時 2004年6月1日1時14分32秒
▽更新日時 2004年6月1日1時20分06秒
▽アクセス日時 2009年5月29日
アクセス日時には、時間の表記はありませんでした。
この捜査報告書を見つけたときは、本当に驚きました。というのは、私は、取り調べの時に、証明書の作成記録はない、と信じさせられていたからです。國井検事は、何度聞いても、「そういうものはない」と言っていました。
私はメモ魔で、業務の記録をしっかりつけています。いつ、何が行われたのか正確にわかれば、私の無実を証明するきっかけになるかもしれません。証明書が偽造された事件ですから、その作成日時は特に重要です。だから私は、取り調べの時に、「証明書の作成に関して日付の分かるものはないんですか?」と聞きました。國井検事の答えは、「残念ながら、ないんですね」というものでした。通常であれば、文書の作成はパソコンに記録が残るのですが、たまたま、証明書が作られた時期から捜査が行われるまでの間に職場のパソコンの機種変更があったので、ハードディスクの中にデータが残っていないのは知っていました。それで、國井検事の話を「そうなのか……」と信用しました。彼は、上村さんの家の家宅捜索の様子を詳しく語り、その際押収したものについても話してくれました。証明書などのコピーがあって押収したと言っていました。しかし、フロッピーの話はいっさいしませんでした。保存したいのなら、電子データでとっておくのが普通だと思ったので、不思議に思って聞きました。
「おかしいですね。なぜ、紙で保存しておいたのでしょうか」
國井検事は、素知らぬ顔でこう言いました。
「彼のやり方なんですかね」
フロッピーがあったことには驚きましたが、1回目にこの捜査報告書を見た時には、子細に日付まではチェックしませんでした。当然に、検察のストーリーどおりの日付が記されているものと信じて疑わなかったのです。
翌々日、もう一度この捜査報告書を眺めていて、「あれ、おかしいぞ」とやっと日付のおかしさに気づきました。

 

「バックデート」の意味

なぜ、この証拠が重要なのかというと、検察のストーリーでは、問題の証明書は、04年6月8日から10日の間に作られていないとおかしいのです。つまり、凜の会が8日に郵政公社に行ったら、「申請書類の中に証明書がない」と言われ、倉沢氏が慌てて私に「急いで5月にバックデートした証明書を作ってくれ」と頼みに来て、それから私が上村さんに指示をして作らせた、ということになっています。凜の会が証明書を郵政公社に提出したのは10日です。この10日は、郵政公社側に記録が残っているので、確実です。
プロパティで示されている最終更新日は、私が倉沢氏から頼まれて上村さんに指示をしたはずの日よりも1週間も前です。しかも午前1時過ぎという時間帯は、5月31日の深夜の延長と考えられますから、バックデートしなくても5月中の日付で証明書を発行できるタイミングです。実はこの「バックデート」というのは、検察のストーリーにとって、とても重要な意味を持っていました。当時課長であった私は、証明書を発行する権限を持っていました。だから、私が決裁書にサインをすればいいだけで、わざわざ「偽造」をする必要はありません。そこで検察は日付をバックデートした証明書を発行するよう頼まれたので、正規の決裁手続きが取れず、それで証明書を偽造したというストーリーにしていたのです。
よくよくこのプロパティを見直し、やはりこれは決定的な証拠になるのではないか、と思いました。接見に来てくれた弁護士に説明をし、さらに弁護団宛ての手紙にも書きました。
國井検事が作成した上村さんの調書にも、フロッピーのことはまったく載っていません。後で、上村さんの被疑者ノートを見たら、彼はフロッピーのプロパティを見せられていました。それまで、作成したのは証明書に書いてある5月28日だと思い込んでいたのが、プロパティを見せられて、自分の記憶が信じられなくなり、そこを國井検事に揺さぶられて、検察側のストーリーを受け入れていくようになっていきます。それなのに、フロッピーのことを一言も調書で言及しないのは、意図的に隠したとしか考えられません。その重要性が分かっているからこそ、隠したのです。
隠していたはずのフロッピーの情報を記した捜査報告書を弁護側が入手できたのは、記録がすべて特捜部から公判部に移され、フロッピーを巡る事情を知らない公判部が、うっかり開示してしまったからでしょう。
証明書の偽造の罪に問われているわけですから、そのデータを保存したフロッピーは、最も基本の証拠のはずです。それなのに、それを証拠提出しない。それどころか、フロッピーは上村さんや私への取り調べが終わった直後に、上村さんに還付されていました。その前に前田恒彦検事が改竄をしていたことが分かったのは、私に対する判決が出た後です。
改竄は前田検事一人の行為かもしれませんが、捜査段階でのフロッピー隠しについては、國井検事も同罪と言えるのではないでしょうか。裁判の証言や最高検察庁の検証でも、そこのところは明らかになっていません。私は、どうしても事実が知りたくて、後に最後の手段として国家賠償請求訴訟を起こしたのですが、請求を国に認諾(原告の主張を認めて争わないこと。したがって証人尋問等も行われない)されてしまい、この点について國井検事などに対する証人尋問もできませんでした。
もう一つ、フロッピーを巡って残念だったことがあります。それは、検察はどこかで間違いに気づいて、方針を直してくれるかもしれない、という期待や信頼が裏切られたことです。
プロパティの問題に気がついた頃は、私はまだそういう期待や信頼を持っていました。ところが、公判前整理手続で弁護側がフロッピーの報告書を証拠請求すると、検察側は猛反対したのです。公判部で主任を務めた白井智之(しらいともゆき)検事は、「本当に証明書データが保管されていたフロッピーかどうか分からない」「本当だとしても、この最終更新日は、印刷した日とは違う」などと言って、激しく抵抗しました。私が指示した、という日より前に作られていたということは明らかなのに……。
検察の上層部は、10年1月27日の初公判での弁護側の主張が報道されて、フロッピー問題に気がついて、高等検察庁や最高検も含めて大騒ぎになったようです。でも、問題点は前年秋の公判前整理手続ですべて明らかになっていたのです。
他にも、弁護側が出そうとした証拠に検察が猛反対したことがありました。厚労省職員の中で、政策調整委員を務めていた方が、「村木さんはこういう案件があったと知らないはずだ」という供述調書を作ってくれていたんです。政策調整委員は、各局に一人ずついて、その局の仕事のコントロールタワーになります。とりわけ国会や議員関係の業務は、この政策調整委員がしっかり把握しています。検察ストーリーでは証明書の発行は「議員案件」だということだったので、国会議員との関係をよく知っているこの政策調整委員の供述調書は重要でした。その政策調整委員の役割をルール化した書面が、厚労省の中にあるのですが、それを証拠請求したら、検察側は大反対でした。ルールブックがあるのに、それを無視し、「政策調整委員というのは複数の局の間を調整するのが仕事です」という事実を歪めた供述調書を証拠として使おうとしました。客観的な事実をまったく尊重せず、自らに都合のいい供述調書をつくって証拠にしようとするこの対応に、本当に落胆しました。
公判前整理手続には私も出席しました。どうしても軌道修正しようとしない姿を目の当たりにして、検察に対する失望が広がると同時に、裁判所の対応には希望を持つことができました。私の事件が、大阪地裁第12刑事部(横田信之裁判長)に係属となった時、大阪の弁護士さんたちが「いい裁判官に当たった」と喜んでいました。それを聞いて弘中弁護士は、「事件が起きた場所は東京で、被告人も他の関係者も皆東京周辺にいる人なのだから、東京地裁に移管すべきだと主張しようと思ったが、評判のいい裁判長だったのでやめた」と言っておられました。実際、公判前整理手続の間に、検察にはいくら言ってもなかなか分かってもらえなかった、厚労省の決裁ラインや仕事の手順などについて、裁判長は理解しようとし、検察に資料の提供を求めたりしてくださいました。検察に対して、証人として呼ぶ人と呼ばない人はどういう切り分けになっているのかを尋ねる場面もありました。決して検察の言いなりではなく、裁判官が自分なりに事件の構図を頭の中に描こうとしているのがよく分かりました。私の話も、もしかしてここなら通じるのかもしれない、と思いました。
本来、裁判所に当たり外れがあってはならないとは思うのですが、大阪地裁第12刑事部の裁判官の方々に担当していただけたのは、とても幸運でした。

 


解説
公判前整理手続には私も出席しました。どうしても軌道修正しようとしない姿を目の当たりにして、検察に対する失望が広がると同時に、裁判所の対応には希望を持つことができました。
(中略)本来、裁判所に当たり外れがあってはならないとは思うのですが、大阪地裁第12刑事部の裁判官の方々に担当していただけたのは、とても幸運でした。

そういえば、テレビドラマ、竹野内豊主演「イチケイのカラス」で描かれた破天荒な裁判官・入間みちお、好きでした。
裁判官に当たり外れがあるなんて困りますが、検察の主張に偏らず、少しでも真実に近づこうとする裁判官が増えることを期待します。

 

獅子風蓮