獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

東村山市議転落死事件~創価学会側の主張(3)

2023-04-16 01:27:00 | 東村山女性市議転落死事件

JTCの井原武人氏は、山本芳実あるいは佐倉敏明の名前で多数の文章を発表しています。


その中のいくつかは、創価学会、元本部職員の北林芳典氏のホームページ(地湧の電子書庫)のリンクで、読むことができます。

このうちのひとつに、「東村山市議転落事件」のことを言及していましたので、引用したいと思います。

佐倉敏明「創価学会報道に見る 週刊誌のウソと捏造」(エバラオフィス、1996.03)

□はじめに
■第一章〈ドキュメント〉東村山市議転落死の真相
□第二章 オウムと学会を一緒にしたこじつけ報道
□第三章 証人喚問を「魔女狩り」に使う雑誌
□第四章 自民党の広告ページと化した選挙報道
□第五章 すべては宗教法人法を通すために
□第六章〈特別講座〉週刊誌のウソの見抜き方
□あとがき

 


(つづきです)

告訴でトーンダウンした『週刊現代』
 こうした背景があって、前述の『週刊文春』(反創価学会女性市議の「怪死」)、『週刊新潮』(女性市議「転落死」で一気に噴き出た「創価学会」疑惑)の第一報が出たわけだ。そして、これに続いて『週刊現代』が九月二三日号で「夫と娘が激白! 『明代は創価学会に殺された』」という見出しの記事を掲載した。
 記事の内容は、そのタイトルどおり、朝木市議の夫と娘のコメントを中心に構成されている。二人の談話がそのまま記事の主調となり、“朝木市議を創価学会が殺した”という印象を煽っている。たとえば、こんな調子だ。
 「母が死んだという一報がきたとき、すぐに母は殺されたんだと思いました。二年くらい前から尾行されたり、いたずら電話が続いたり……」(娘)
 「……そこから推測される事実は一つです。創価学会はオウムと同じ。まず汚名を着せてレッテルを貼り(万引き事件を学会の陰謀と言うのだ=筆者註)、社会的評価を落とす。そして、その人物が精神的に追い込まれて自殺したようにみせて殺すのです」(娘)
 「妻が自殺するはずがありません。創価学会に殺されたんですよ」(夫)
 一方的に娘や夫の憶測による感情的な談話をたたみかけ、それに対する事実の裏付けになるような証拠や検証は一切ない。事実は“謎だ”と、ぼかしているだけだ。
 しかし、たとえ遺族の談話だとしても、世間に向かって“殺された”と言われては、当の創価学会としても黙ってはいられない。同記事を事実無根の中傷記事だとして、創価学会本部は、名誉毀損罪で、同誌の編集・発行人と朝木市議の夫と娘を警視庁に告訴した。
 奇妙なのは、その告訴後の『週刊現代』の対応である。
 もし『週刊現代』が、確たる物的証拠なり、目撃者への取材を通した確かな手応えのなかで「殺された」と言い切ったのであれば、告訴された後の号では、その証拠なり、目撃者を登場させ、自分たちの記事は正確な事実のうえに積み重ねた正当な記事であるということをハッキリさせるべきであろう。
 だが、次号(九月三〇日号)では、「東村山市議『変死事件』の深まる謎と創価学会の『言論弾圧』」というタイトルの記事を載せた。
 どう考えても、おかしな話である。先に「殺された」と断定しておきながら、今度は「『変死事件』の深まる謎」と言う。
 これは、順序が逆ではないのか。「『変死事件』の深まる謎」を取材していったら、「学会に殺された」ということがわかってきた……というのなら理解できる。
 しかし『週刊現代』は、前号で、何の証拠も出さずに、あたかも創価学会が朝木市議を殺したかのようなキャンペーンを張っておきながら、告訴されるやたちまち「朝木市議の変死事件の真相解明は、今後の捜査の進展を待たねばならない。しかし、朝木市議に対する学会側の中傷・嫌がらせはあったのである」と、前号での“怪気炎”を一挙に卜ーンダウンさせ、引かれ者の小唄よろしく、問題の焦点を「学会側の中傷・嫌がらせ」のほうに持っていっている。
 この記事からも、前号では、夫や娘の感情的な談話の裏も取らず、“大丈夫だろう”という見切り発車で記事にしたという経緯がよくわかる。


あきれるスリカエの連続
 しかも、見切り発車で記事を書いておきながら、告訴されたら逆にそれを「言論弾圧」と言うのは、問題のスリカエもいいところである。「言論弾圧」と言うなら、『週刊現代』は自説(掲載記事)の正当性を客観的に立証すべきではないか。
 それもせず、それ以降、『週刊現代』は意地になったかのように反創価学会記事を掲載し続ける。それもスリカエの連続で――。
 一〇月二八日号〈これでも創価学会は「中傷・嫌がらせ」はなかったというのか!〉
 またもや何人かのコメントを中心に、さも学会による中傷・嫌がらせがあったかのようなイメージをつくりあげた記事を載せた。その一つひとつのコメントに対する検証も曖昧なのだ。しかし、ここで『週刊現代』がやるべきことは、何度も言うように、“学会が朝木市議を殺した”という自説に対する立証ではないのか。
 創価学会が『週刊現代』を名誉毀損で告訴したのは、学会が朝木市議を殺したかのような一方的な報道に対するものなのだから、このスリカエはだれが見てもおかしい。
 一一月二五日号〈東村山市議変死事件の遺族が刑事告発へ。「創価学会の宗教法人法違反」を問う!〉
 折から国会で宗教法人法の改正が問題になっていたときだけに、今度はそちらに話題を擦り寄せようという意図が見え見えである。自説の立証ができないからといって、相手のイメージダウンをはかるだけの報道を繰り返すことが、はたして社会的影響力の強いマスコミのすることなのだろうか。
 自分が間違っているのなら、素直に謝る。これは子どもでもわかる理屈だと思うが、居直りは見苦しい。
 創価学会に名誉毀損で告訴された当初、『週刊現代』の編集人である元木昌彦氏は、こうコメントしている。
 「(『週刊現代』九月二三日号の記事は)事件の関係者や肉親への取材に基づいてリポートしたもので、内容には十分な自信をもっている」
 しかし、その後のこういう報道姿勢を見ていると、ますます『週刊現代』の「自信」の存在が疑わしくなってくる。
 たとえば、問題の九月二三日号の記事では、朝木市議の転落死が「自殺ではない」ことの根拠として、市議の遺体を検案した嘉数能雄医師の証言を、次のように紹介している(九月三〇日号にも掲載)。
 「検案を開始したのは午前4時ごろからでしたが、自殺と判断できる材料はありませんでした。遺体の状態は肋骨がほとんど折れて肺に刺さっていた。そこからの出血で死亡したと判断しました。頭部に損傷はなく、足の指も踵も損傷はありません」
 さらに、こう記事をつないでいる。
 「この証言は、新たな謎を呼ぶ。朝木さんが転落したとみられるビルの5階と6階の間の踊り場の手すりには、朝木さんの指紋がついていて、朝木さんは手すりにぶら下がってから、飛びおりたようだと警察は説明してきたのだが、それならば足を下にして転落するはずだ。前出の嘉数医師も、『足を下にして落下したとは考えられません』と証言する」
 ところが、嘉数医師は、筆者の取材に対して、こう述べているのだ。
 「私は『週刊現代』の記者に『足を下にして落下したとは考えられません』などとは言っていません。私は死因について話しただけで、それを記者が勝手に解釈して、そういう言い回しに変えたのでしょう。
 二号(九月二三日号と同三〇日号)にわたって、私の証言として『朝木さんの遺体からは自殺と断定できるような材料は見つかりませんでした』と自殺を否定するかのようなコメントをしたことになっておりますが、これは状況説明を省いて都合のいいところだけを自殺否定のコメントに使ったんです。
 私かお話したのは『これから捜査するのだから、いまの段階ではまだ自殺も他殺も判断できない』と言ったのです」
 すでに述べた、朝木市議の第一発見者のコメントとして使われた「落ちたんですか?」「いいえ」という否定の返答にしても、この嘉数医師のコメントにしても、一部の週刊誌記者は自分の都合のいいように人のコメントを「勝手に解釈して、そういう言い回しに変え」ることが仕事だと思っているようだ。

 

(つづく)

 


解説
 一方的に娘や夫の憶測による感情的な談話をたたみかけ、それに対する事実の裏付けになるような証拠や検証は一切ない。事実は“謎だ”と、ぼかしているだけだ。
 しかし、たとえ遺族の談話だとしても、世間に向かって“殺された”と言われては、当の創価学会としても黙ってはいられない。同記事を事実無根の中傷記事だとして、創価学会本部は、名誉毀損罪で、同誌の編集・発行人と朝木市議の夫と娘を警視庁に告訴した。


確かに、朝木議員が何者かによって殺されたという「事実の裏付けになるような証拠や検証」はなかったかもしれません。
ここだけを読むと、遺族の「憶測による感情的な談話」をもとに記事をでっち上げたという創価学会側の言い分はもっとものようにも聞こえます。
しかし、事件が起こる前の、朝木議員や「草の根」に対する執拗な嫌がらせ、矢野氏に対する暴行事件など、当時の異常な雰囲気のなか「転落死事件」が起きたのですから、遺族としては「殺された」という疑念を抱いたのは当然でしょう。

事件をとりまく、さまざまな出来事は、乙骨氏の著書に詳しく書いてありますが、佐倉氏の著作で、はほとんど触れられていません。

獅子風蓮