獅子風蓮のつぶやきブログ

日記風に、日々感じたこと、思ったことを不定期につぶやいていきます。

友岡雅弥さんの「地の塩」その36)「東北食べる通信」

2024-12-26 01:49:01 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt60 - 商品届くの遅れた! どうなる?

2019年3月18日 投稿
友岡雅弥

ある、広いくくりでいう「通販」で起こった出来事です。

「どんこ」というと、関西など西日本エリアでは、ハゼの仲間です。しかし、東北、北日本エリアでは、エゾアイナメを「どんこ」と言います。

東北太平洋岸、つまり東日本大震災被災地では、この魚は人気で、それを専門的に獲る漁師さんもいるほどです。安くて、おいしいのです。肝もおいしく(僕は、岩手の野田村で、よくどんこをたべます)。かなり深いところにいて、深海魚っぽい形をしているので、観光客とかは、あまり食べないようで、だからまだ安値なのかな、とか思ったりして。

秋から冬が旬です。


このどんこ。2013年だったか、2014年に、ものすごく不漁な年のありました。

ある通販で「どんこ」が特集されて、予約注文が殺到したのですが、まったく獲れません。

たいてい、こう言う場合は、他国産とか、他地域産を送ってお茶を濁すのですが、ところが、「獲れません」とあやまったのです。


これは、通販としてはあかんのかもしれません、通信販売ですから、販売できないならば、成り立たないはず。クレームで炎上!が普通かも。

しかし、苦情は0!なし!


むしろ、60を超える「心配」と「励まし」、「いつまでも、待っています」のレスポンスで、「炎上」したのです。


「東北食べる通信」です。

https://tohokutaberu.me


「通信販売」ではなく「通信」です。

販売に力点があるのではなく、「通信」に力点があります。

「広告」ではなく、「通信」つまり、「交流」に力点があります。


「東北食べる通信」の代表の高橋博之さんは、とても面白い人です。

岩手の県会議員(まったくの無所属、一匹狼)だったのですが、東日本大震災で、地盤であり、津波は関係なかった花巻から、ボランティアで、沿岸被災地に通ううちに、漁師さんたちの生き方に感銘を受けて、こんなすばらしい「人たち」また「生業」 を、みんなに伝えたい、と、議員を辞めて、「東北食べる通信」を創りました。

クール便で送られてくる箱のなかに、毎回、違う海産物や農産物とともに、その海産物、農産物を作った生産者さんのドキュメンタリー記事が載ってます。

そして、その産物の由来や歴史や生育法など。

レシピも当然載ってますが、申し訳程度。


つまり、生産者さんと、消費者を繋ぐ。

さらには、繋いで、あとは「直接交流を」と、手を離す。


たいてい、こう言う場合は、「オレがつなげたから、直接は、連絡したらだめ、オレを通せ」みたいな態度がほとんどですが、
「どんどん、勝手に交流してください。 むしろ、それがありがたい」


高橋さんは、「東北食べる通信」を「田舎と都会をかき混ぜる場」「お見合いの場」と位置づけています。


それで、「東北」は大きすぎるから、「勝手に、それぞれの港で、独立した雑誌を」 と、のれん分けもしています。


そして、そののれん分けした「食べる通信」(今、2018年末の時点で、39あります)が、ゆるやかな連携、ボスのいない、交流会などの交流の場で、お互いの頑張りを確かめあう。


そんな「食べる通信連合」をつくっています。

https://taberu.me


高橋さんは、こうも言ってます。

田舎が大変だから助けに行かなきゃいけない、はダメなんですよ。こっちも大変だけどね、都会の人も大変じゃないですか。介護難民、医療難民あふれて、もう限界都市一直線ですよ。

「田舎の農村漁村が限界都市を救うの」っていう考えを、「都市が限界集落を支える」考えにかぶせていけばいいと思うんですね。


面白いお兄さんなのです。また本も出てますので、ご覧ください。


『都市と地方をかきまぜる――「食べる通信」の奇跡』光文社新書

『だから、ぼくは農家をスターにする「食べる通信の挑戦』CCCメディアハウス

ものを買うって、いわば「毎日の投票」だと思うんです。

それによって、社会を少しづつ変えていける。

こころと志しをもった、生産者さんを少しでも支えて、そして、その「毎日」に思いを馳せる。


それによって、「私」も変わります。

 

 


解説
ものを買うって、いわば「毎日の投票」だと思うんです。
それによって、社会を少しづつ変えていける。

いい言葉です。

 

友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その35)新聞記者の鑑です

2024-12-25 01:26:37 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt58 - 「小字(あざ)」で語ること

2019年3月4日 投稿
友岡雅弥

通っているうちに、自分自身の地理的スケール感が、どんどん小さくなっていくことに気づきます。

「東北」というスケールから、「岩手」「宮城」「福島」というスケール。

さらには、福島では、昔から「浜中会津」と言われるように、「浜通り」「中通り」「会津」と、天気予報でも三つに別れて予報されているし、文化的にも違う。そこに、福島第一原発の「帰還困難区域」「避難解除地域」「避難解除準備区域」とあったり、線量が高いのに、その区域に入ってなかったり、ほんとに、数メートルの道路を隔てただけで、行政からの扱いが全然ちがったり。


「岩手は」「宮城は」「福島は」でも、だめで。

「盛岡は」「仙台は」「宮古は」でも広い。


それを痛感したことがあったんです。

かなり、通い続けている沿岸被災地があるんです。

ある時、そこの住民(その被災地にはもう住めないので、離れた仮設住宅に住んでいらした)で、初めてお会いする人としゃべってたとき、

「南蒲生のどちらですか?貞山堀の浄化センターの近くですか?」

「ああ、貞山堀からは離れていますよ。下屋倉のほう」

「下屋倉!鍋沼のバス停のところに知りあいいますよ。原屋敷の南蒲生の集会所には、取り壊される前の集会場のころから、国連事務総長が来られたあとも、なんどか、 寄せてもらいました」

「南蒲生の人ですか?」

「いえいえ、大阪です」

「わざわざ、来てくれて、わるいなあ」


この会話で、「仲間の端っこ」になったかな、という感じがしました。

それから、そのかたは、長年の友人みたいに、とてもよくしてくれています。


大阪や東京から、「そこ」をみるのではなく、「そこ」から見る視点を持たないとあかんような気がするんです。

県でもなく、市でもなく、町でもなく、「丁目」や「小字」の住所のスケールで。

 

 


解説
この会話で、「仲間の端っこ」になったかな、という感じがしました。
それから、そのかたは、長年の友人みたいに、とてもよくしてくれています。

新聞記者の鑑ともいうべき方ですね。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その34)行政(東京都)は「ぜんざい公社」そのもの

2024-12-24 01:16:21 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt57 - 規則ですから

2019年2月25日 投稿
友岡雅弥

福島県の富岡町に「夜ノ森」というところがありす。ながーく、見事な桜並木で有名なんですが、ここは福島第一原発事故の被害を象徴する場所でもあるんです。

それは、同じ夜ノ森地区のなかで、避難指示が解除されて、「戻ってもいいぞ、これからは政府の指示がないのに『避難』はないぞ、自主避難とみなすぞ」ということになっている地域と、
「線量が高いので帰還困難区域だから、立ち入り禁止だ、当然、除染もしないぞ」 という地域、
これが、フェンス一つで分けられているのが、はっきり分かるのです。


もちろん、あちこちありますが、ここは、交通量多い道路に面しているし、常磐線の架橋のフェンスで、びしっと線引きされていて、「向こう側」にも「こちら側」にも、家が多いので、とても目立つところなのです。


幅にして、10センチほどの金網のフェンスの向こうとこちらに、「核物理学的」な違いはあるでしょうか?ありませんね。

この場合の「線引きの規制」は、物理学的、医学的根拠というより、行政的なものかもしれません。


本来は住民に「危険を及ぼさないため」という「規則」が、なんか住民本位になってないような、根本的問題が見えてしまいます。

(写真:福島県富岡町夜ノ森 フェンス手前は、除染されて、帰ってくるように言われている地域。 向こうは、帰還困難区域。)

さて、先代桂春蝶さんの、ネタに新作落語の「ぜんざい公社」というのがあります。

当代、春蝶さんは、ちょっとウヨクっぽい発言で、しばしば炎上していますが、ここでいう春蝶さんは、先代です。

桂枝雀さん、林家小染さんと並ぶ、四天王後を背負おうとされていた、俊英でした。でも、枝雀さんも小染さんも、春蝶さんも、若死にされました。


春蝶さんは、古典も新作も両方とも得意でした。


「ぜんざい公社」は、ぜんざい屋さんが国営になるという話で、ものすごいビルディングです。

すごいビルなので、どんなぜんざい食べさせてくれるんかなと飛び込んだ1人の男。

どうせなら、一番エエのを食べようと、「特別ぜんざい」を注文しようとします。北海道産の大納言小豆、沖縄県産の砂糖です。

しかし、今日手続きしても、議会の審議と議決が必要なので、受け渡しは来年になる。

ほしたら、「一般」で結構です。

では、18番の窓口に行ってください。

18番の窓口では、身分証明書などの本人を確認するものが必要。

そして、書類を作成。

なぜかというと、誰がぜんざいを食べたかということを詳細に記録につけて、「来年度の予算概算要求」に出さねばならない、何と言っても、ぜんざいの売り上げと共に、税金で運営されているから。公開原則があるわけです。


代理人の場合は、委任状がいる。


書類作成の手数料は、出納窓口に行って払う。

餅を焼くためには、消防署に行って、「室内で火を使う」手続きをする。

また、バージョンによっては、「産油国」からの「石油輸出入許可書類」がいる。


面倒くさいから、生で食べる、というと、診療所で、健康診断を受けねばならない。


てなことで、健康診断料も含めて、数千円となったぜんざい。

ホールスタッフに「ねえちゃん!」と呼びかけて、「国家公務員にねえちゃんとはなんですか!」と叱られたりしながら、いよいよ、その数千円のぜんざいを食べようと蓋をとったら、「汁」がない。


「当公社は、国営です。甘い汁は、全部、吸ってます」

というのが、サゲです。


なかなか、新作としてはよくできているネタで、東西多くの落語家が高座にかけてます。

もちろん、行政の四角四面の融通のきかないところとかを、ちくちく風刺していて、 小気味よくて、なかなかいいネタだと思います。


ちょっとトリビアになりますが、この「ぜんざい公社」には、ルーツがあります。

それは、明治に活躍した三遊亭遊三の「士族のしるこや」です。

関東では、汁があるのが「汁粉」で、「ぜんざい」は餅に小豆餡がかけているものです。汁がないのです。

神田に住んでいた叔母に、老舗中の老舗、神田竹邑で「あわぜんざい」をよくご馳走になりました。いわば、関東のぜんざいというのは、赤福餅をお椀にいれたようなものです。


さて、「士族のしるこや」(「素人汁粉」とも)を創作した、三遊亭遊三は、なかなかの芸達者で、あの古今亭志ん生の十八番の「火炎太鼓」は、志ん生がこの遊三の高座を観て、これはすごいと唸り、自分の持ちネタとしたものです。

幕末というか、明治維新というか、上野でのいくさで、幕府軍の彰義隊に加わり、官軍と戦ったという武士で、維新後は士族として、裁判官となったという人です。そして、芸人になったわけですから、いわばエリート的人生を捨てた、なかなかの気骨の人でした。


だから、エラい人を風刺する芸に秀でていて、「士族のしるこや」でも、威張り散らすしるこ屋の主人とか、元は姫君で大奥で着るような着物を着てしるこを運び、お客さんに、「この下郎、ひかえよ」という「女給」さんの描写が絶妙であったと伝えられます。


さらにトリビアをいうと、この「士族のしるこや」が三代目桂文三によって改作され、士族ではなく、官吏のお役所仕事、また何かというと「印鑑」を押したがることを風刺した、そして、桂米朝さんが、書類書類の役所を風刺した今の形にしたものです。


さて、最近、私の知りあいが代表をしている東京のある認定NPOで起こった出来事を紹介します。


ずっと、性被害や虐待などの被害者となっている(なりつつある例も含めて)中高生の女性を対象とした、ほんとにきめの細かいというか、かゆいところに手が届くというか、ほんとの当事者のニーズを的確に聞いているというか、そういう、とても高品位の取り組みをしているNPOです。


ところが、アウトリーチを拡大するために、移動カフェをしようという話になり、そうなると、道路や舗道の使用許可の都合で、どうしても行政(東京都)との関わりが出てくる。それで、その部分については、行政とタイアップしてやり始めたわけです。


そうすると、なんとなんと、行政から、そのカフェを利用した女子中高生の名前や住所を毎回提出せよ、という話が高圧的に来たわけです。

行政は、「規則ですから」とか、「税金を使ってるので、開示する請求が市民から来たら、開示せねばなりませんので」という訳です。

これ、「士族のしるこや」「ぜんざい公社」そのものです。


これ、想像してください。あきませんよね。


つまり、犯罪被害者、犯罪被害ボーダーな子どもたちです。その子たちのプライバシーは、守らねばならない。行政は、DV被害の場合とかでも、加害者にうっかり被害者が今どこにいるかの情報を渡したりしてますよね。その危険性があるし、ある意味、そのカフェにやっと来た子どもたちもいるわけです。

そこで、「ここに名前と住所書いて」と言えますか?

最後のセーフティネットが、その当事者側ではなく、行政側のエージェントになっていると、敏感に当事者は感じますよね。

そうなれば、もう来ません。

最後のセーフティネットが断たれてしまうわけです。


何のためにという大前提は、子どもたちを犯罪被害から救うためです。

その大前提が、「規則ですから」という言葉で、覆われて隠れてしまっている。

それから、それよりもっと以前に、「現場でそう言えば、どうなってしまうか」という、現場経験からの想像力がないわけです。

実際、市民のなかに、直接、そのカフェに来て、同様のクレームをがなり立てる人もいる。

 

みんな、賢くならんとあきません。

 

 

 


解説
前半は、落語「ぜんざい公社」を元に軽快に話を進めます。
やがて、NPOの真摯な取り組みに対して融通の利かない行政(東京都)のやりかたを手厳しく批判しています。

今回のエッセイも秀逸でした。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

獅子風蓮


友岡雅弥さんの「地の塩」その33)坂の多い大阪の風景

2024-12-23 01:47:34 | 友岡雅弥

友岡雅弥さんは、執筆者プロフィールにも書いてあるように、音楽は、ロック、hip-hop、民族音楽など、J-Pop以外は何でも聴かれるとのこと。
上方落語や沖縄民謡にも詳しいようです。
SALT OF THE EARTH というカテゴリーでは、それらの興味深い蘊蓄が語られています。
いくつかかいつまんで、紹介させていただきます。

 


カテゴリー: SALT OF THE EARTH

「地の塩」という意味で、マタイによる福音書の第5章13節にでてきます。
(中略)
このタイトルのもとに書くエセーは、歴史のなかで、また社会のなかで、多くの人々の記憶に刻まれずにいる、「片隅」の出来事、エピソー ド、人物を紹介しようという、小さな試みです。


Salt56 - 日本を背負った人たち

2019年2月18日 投稿
友岡雅弥


大阪市は、東京23区と比べて、首長の傲慢さとかは同じなのですが、地理的に大きな違いがあります。その一つは、東京は坂が多い、しかし、大阪市内は坂が少ないこと。

東京は、あちこちに坂があって、わりと上り下りがあります。

でも、大阪市内は、北部はただただ平坦です。南部は坂がありますが、これがいたって単純。


例えば、新今宮から天王寺、難波から上本町、長堀から清水谷。大阪市内の地理をご存知なかたは、これらが、西から東へ直進する「通り」であるということはお分かりでしょう。

大阪市内の東西の道は「通り」、南北は「御堂筋」「なにわ筋」「四ツ橋筋」「堺筋」と「筋」です。

この大阪南部の「通り」は、すべて、かなりの勾配をともなった「登り坂」です。そして、坂を登りきって、さらに東へ進むと、こんどは、だらだらっとした「下り坂」になります。


大阪市南部は、真ん中を南北に小高い丘が貫いている構造を持っています。この小高い丘を上町台地と言います。

もともとは、この台地は半島で、東西に海が広がっていたのです。海に向かって南北に突き出た半島だったのです。

だいたい、弥生時代です。それが、淀川と大和川が運ぶ砂で、東が埋まり、湖となり、さらに、完全に平野となりました。そして、西側も少しづつ海に向かって陸地が広がっていったのです。

上町台地の上に、四天王寺がありました。ここからガーっと西にむかって下り坂があるのですが、四天王寺が出来たころには(だいたい聖徳太子のころ)には、まだその下り坂の向こうは海で、ここに、大陸や韓・朝鮮半島からの船が着いたのです。


四天王寺は、その人たちを迎える「海辺の迎賓館」の役割を果たしたのです。

鎌倉時代でも、まだ海がかなり近かったと見えて、四天王寺の有名な「石製の鳥居」 は、平左衛門尉の寄進とか言われていますが、平左衛門尉は、各地の「港」の支配権を持っていたらしいので、その関係があるのかもしれません。


江戸時代~明治となると、この四天王寺からの坂の下は土砂が堆積し完全に平野です。そこに「長町(名護町とも)」の巨大スラムが広がっていきました。

だいたい、水はけの悪い、じめじめとしたところには、スラムが広がります。


この四天王寺と長町スラムの間の急な坂は、逢坂。逢坂を下って、長町に入る手前は「合邦ヶ辻」と言われて、文楽や歌舞伎の「摂州合邦辻」、能の「弱法師」の舞台です。「合邦」の地名の由来は、仏教シンパサイザーの聖徳太子と、仏教排斥論者の物部守屋が、法について争った「合法四会」に由来するのではないかなぁと言われています。


ハンセン病となった主人公・俊徳丸の物語で、そのクライマックスが「合邦ヶ辻」で、今もここにある「閻魔堂」の由来記でもあります。もちろん、なんらかの事実が人々の口から口に伝承され、人の涙を誘う要素を付け加えられて伝説となったのでしょう。


さて、この坂、逢坂には、「立ちん坊」と言われる人たちが、うろうろしていました。


「立ちん坊」は、上方落語のマクラ(噺の本題への序章)でよく出てきます。

長ーくて、わりと急な坂です。坂の下のところで立って荷車が来るのを待っているのが「立ちん坊」です。坂が急で長いので、荷車を上まであげるのになかなか苦労する。そこで「立ちん坊」さんは、自分で縄を持っていて、荷車の前にかけて引っ張ったり、また後ろから押したりするのです。

かってに手伝うのです。仲仕からいえば、ただでさえ安い手間賃から、さらにいくばくかを「立ちん坊」にあげないといけないので、いやといえばいやなわけですが、それが 「いや」と断れないほど、苛酷な労働なわけです。

大森貝塚を発見したエドワード・モースが、このような記録を残しています。


「ある階級に属する男たちが、馬や牡牛の代わりに、重い荷物を一杯積んだ二輪車を引っ張ったり押したりするのを見る人は、彼らの痛々しい忍耐に同情の念を禁じ得ぬ」
――エドワード・モース


近代のヨーロッパでは、物流が飛躍的に発展したのですが、そのほとんどが馬(荷馬車)によるものでした。

しかし、残念ながら、日本は牛(岩手の塩や鉄を遠隔地に運んだ「塩べコ」は有名ですが) や馬による物流は未発達でした。


1902年(明治35年)、東京府(当時は東京都ではなく、東京府)の物流ですが、人力の荷車が、11万650台だったのに対して、荷馬車は3839台です。30倍!

一つの人力荷車は、だいたい500キログラムを運ぶのです。


日本の近代化は、司馬遼太郎が言ったようなエラい人たちの肩に背負われていたのではなく、モースが「同情の念を禁じ得ぬ」と語った、無名の人たちの「痛々しい忍耐」の上に背負われていたのです。

 

 


解説
前半は、大阪の街の地理が手に取って分かるような表現ですね。
まるで「タモリのブラタモリ」を観ているかのようです。

 

しかし、残念ながら、日本は牛(岩手の塩や鉄を遠隔地に運んだ「塩べコ」は有名ですが) や馬による物流は未発達でした。
(中略)
日本の近代化は、司馬遼太郎が言ったようなエラい人たちの肩に背負われていたのではなく、モースが「同情の念を禁じ得ぬ」と語った、無名の人たちの「痛々しい忍耐」の上に背負われていたのです。

庶民を見る友岡さんの目はどこまでも優しいです。


友岡雅弥さんのエッセイが読める「すたぽ」はお勧めです。

 


獅子風蓮


【みんなの声】友岡雅弥さんに関する情報を募集しています。

2024-12-22 01:34:24 | 【みんなの声】

友岡さんのことを知れば知るほど、いろんな方面の知識が豊富で、宗教の本質をついた素晴らしい文章を残された、すごい方だと分かりました。

これからも、友岡さんの文章を拾っていく作業を続けていきたいと思いますが、ゆくゆくは友岡さんの想いを受け継ぐことを目指したネットワークを作れたらと思っています。

その土台として、友岡さんの思想を少しでも整理して、多くの人の前に披露できればいいと思うのです。

ネットに友岡さんの文章を紹介してくださった方々、できれば連絡を取り合えれば幸いです。

「妙法の万葉集」の京都乃鬼さん。

「友岡さんとの思い出」の阪大博士さん。

「SNS上の友岡雅弥さんの言葉」を紹介して下さったkaragura56さん。

それと「すたぽ」運営者の方々。

ネット上の友岡さんの言葉を引用させていただきありがとうございました。

記事には、私の一方的な「解説」を付け加えましたが、おかしなところ、補いたい部分がありましたら、コメント欄にご意見をお寄せ下さい。


それ以外の方も、友岡さんの思い出や、ご意見・ご批判などありましたら、なんでもいいので、遠慮なくコメントしてください。

最後になりましたが、友岡さんのご冥福をお祈りいたします。

そして、ご遺族の方の話が、伺えたらと思っています。

 

PS)これまで友岡さんの文章を読んで、大事だなと思ったり、議論の余地がありそうだ、あるいは疑問に思ったことを思いつくまま書いてみます。

ご意見がありましたら、どなたでも書きこんでください。

●友岡さんによると、池田氏は「選挙は福運を消すんだよ」と仰ったとのこと。(妙法の万葉集:友岡雅弥さんの言葉 その13) これは本当なのか。

本当なら、なぜ今も日本では創価学会は会員を選挙に駆り立てるのか。

●友岡さんは池田氏のことが大好きで、評価しているようです。でも、友岡さんや高山先生、野崎至亮氏、高倉氏が参加されていた勉強会では池田氏についてどのような話を交わされていたのでしょうか。高倉氏はこの勉強会に参加してから、学会の組織や池田氏に対して批判的になり、裁判やブログて「池田カルト一派」などという表現をするようになりました。ちなみに高倉氏は、次のような友岡さんの発言を紹介しています。
「池田名誉会長の発言は、すべて感情的なものである。秋谷会長(当時)は、池田名誉会長に振り回されている。」
(創価学会池田カルト一派との裁判シリーズ その32)

●友岡さんとの思い出を綴っている「阪大博士」さんは、友岡さんを査問した創価学会幹部の名前を把握していますが、ネットではイニシャルしか書いていません。そろそろ実名を明かしてもいいのではないでしょうか。

 

 

 

 

獅子風蓮