「多摩川水系は一級 河川」
多摩川水系に係る河川はすべて一級。
支流のー秋川(37km)ー 淺川(36km)ー野川(22km)ー日原川(20km)ー平井川(18.7km)ー大丹波川(10.5km)他。
ことごとくが「一級河川」である。
多摩地区を流れる川は、すべてー残堀川ー大栗川ー 三沢川ー仙川も支流の支流も、一級河川ということになる。
「河川法」
(一級河川)第四条・第一項に····。
「一級河川」とは、国土 保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したものに係る河川(公共の水流及び水面をいう。 以下同じ。)で
国土交通大臣が指定したものをいう。···· 以下省略。
(二級河川)第五条・第一項に ···· 「二級河川」とは、前条第一項の政令で指定された水系 以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で都道府県知事が指定したものをいう。 ···· 以下省略。とある。
今回、多摩川支流を歩いて、どうしてこんなに小さな川が一級河川と思った。
河川の大小、 河川の長さ、河川の流域面積の広さ、などなどには係り無く、つまりその川が氾濫したときにどのような 重大な影響を
およぼすかということから、「一級河川」が定められ整備がすすめられるということを知った。
千歳烏山
京王線相模原線ー| 「京王多摩川」ー稲田堤ーよみうりランドー稲城ー若葉台ー永山ー多摩センターー堀之内ー南大沢ー多摩境ー橋本。
京王八王子
京王相模原線「京王多摩川」駅下車
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「株、角川大映スタジオ」
東京都調布市に存在する日本の映画スタジオ。
同名称は正式名称で、事業所の組織的名称。角川の傘下企業。
角川大映撮影所、となってからの歴史は浅いが、撮影所自体は、1933年の昭和8年、同地に開所した日本映画多摩川撮影所以来、
70年以上の歴史をもつ。
昭和7年、 京都の東活映画社が東京に撮影所を新設すべく、本多嘉一郎氏を派遣、現在の京王電鉄、より取得したが、倒産、解体された。
昭和8年、 東活映画社を母体に日本映画株式会社が設立され、同敷地に日本映画多摩川撮影所として開所。
昭和9年、 日本映画が倒産し、日本活動写真株式会社(現在の日活)が同撮影所を買収し、名称は日活多摩川撮影所となった。
これにより日活現代劇部は京都から再移転し、初代所長には移転計画を陣頭指揮した専務取締役ー中谷貞頼氏が就任。
撮影所の裏手にあった集落も買収し、約5千坪の土地にスタッフのために社宅群を作ったエリアは、大映に変わってからも
昭和30年代まで続き「日活村」「大映村」とも呼ばれた。
平成14年、 大映が角川グループに営業譲渡、「角川大映映画株式会社」が設立。平成16年、 角川映画誕生により、同撮影所の名称を正式に
角川大映撮影所に変更。平成18年、 スタジオ棟がオープン。平成23年、 角川書店が角川映画を吸収合併し、角川書店スタジオ事業本部になる。
平成25年、 角川書店からスタジオ事業本部を分離し、株式会社角川大映スタジオが発足し現在に。
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碑は、現在、角川大映撮影所前の住宅・マンションに囲まれた児童公園の中に建っていが、戦前の日活多摩川撮影所であった。
撮影所の敷地は現在の角川大映撮影所だけではなく、調布南高校から京王多摩川線の線路の辺りまでもあり、この児童公園もこの日活多摩川撮影所の
敷地の一部であったと云う。
「映画俳優の碑」は、昭和61年、日本映画俳優協会が創立35周年を記念して建てられ、3個の碑からなっている。
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「調布市」、古代朝廷に納める「調・税」は、「カラムシ」を原料とした布を生産したことから「調布」に。
布田や染地等が残る。元は、神奈川県北多摩郡調布町で明治26年に東京府に。武蔵野台地南部に位置し、段丘下の湧水は、「深大寺湧水」「野川」
東部に「仙川」「入間川」の水源となっている。
江戸時代には、甲州街道・布田五宿が置かれた宿場町であった。
1913年、「京王電鉄・軌道」が開通され、新宿まで直結され開発が進んだ。
大遊園地・京王閣(現競輪場)・稲田堤の桜・調布飛行場・1964年オリンピック選手村等が
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山梨県・東京中心部・神奈川県を流れる多摩川水系の本流・一級河川。
下流域においては東京都と神奈川県の県境としての役割も担う。
県境全長138km、流域面積1,240km²。堤防はあるものの、首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、
川辺の野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな多摩川
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青梅、南東に多摩丘陵と武蔵野台地の間を瀬と淵を繰り返しながら流れ下る。
左岸の武蔵野台地の河岸段丘はかつての多摩川が造ったものであり、段丘崖は下から立川崖線(府中崖線)、国分寺崖線と呼ばれ、
立川崖線の下を多摩川低地、両崖線の間を立川面、最上段を武蔵野面と呼ぶ。羽村市から玉川上水へと取水される羽村取水堰付近や国立市青柳付近での
多摩川は武蔵野台地の低位面に直接ぶつかって流れている。
多摩市の大栗川合流点から武蔵野貨物線鉄橋・南武線多摩川鉄橋の上流付近までは多摩丘陵に直接ぶつかる。
都調布市、神奈川県川崎市多摩区からは、都と神奈川県の都県境を流れ、両岸とも低地になる。
川崎市多摩区から都日野市にかけては多摩川が運んだ礫層が地表に近いため水はけが良く梨の栽培に向いていて特産品に。
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「武蔵野台地」
崖線・多摩川中流域では「ハケ」あるいは「ママ」と呼んでいる。
下では至るところから湧水が湧き出し、湧水を集めているのが中流以降の左岸では最も大きい支流である「野川」。
JR中央線国分寺駅付近にあるいくつかの泉を源流としてほぼ国分寺崖線に沿って湧水を集めながら流れて行き、世田谷区玉川1丁目先で本流に
合流して、立川崖線下でも同様に湧水を集めた流れがある。
ここでの主役は、府中用水をはじめとするいくつかの用水路。
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「玉川上水」
羽村取水堰直下の玉川上水最上流部の桜並木の向こう側に、多摩川が並行して流れ、上水は、立川(モノレール・玉川上水駅)五日市道・三鷹方面へ
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次回も多摩川河川敷 狛江ー二子多摩川へ。
多摩川水系に係る河川はすべて一級。
支流のー秋川(37km)ー 淺川(36km)ー野川(22km)ー日原川(20km)ー平井川(18.7km)ー大丹波川(10.5km)他。
ことごとくが「一級河川」である。
多摩地区を流れる川は、すべてー残堀川ー大栗川ー 三沢川ー仙川も支流の支流も、一級河川ということになる。
「河川法」
(一級河川)第四条・第一項に····。
「一級河川」とは、国土 保全上又は国民経済上特に重要な水系で政令で指定したものに係る河川(公共の水流及び水面をいう。 以下同じ。)で
国土交通大臣が指定したものをいう。···· 以下省略。
(二級河川)第五条・第一項に ···· 「二級河川」とは、前条第一項の政令で指定された水系 以外の水系で公共の利害に重要な関係があるものに係る河川で都道府県知事が指定したものをいう。 ···· 以下省略。とある。
今回、多摩川支流を歩いて、どうしてこんなに小さな川が一級河川と思った。
河川の大小、 河川の長さ、河川の流域面積の広さ、などなどには係り無く、つまりその川が氾濫したときにどのような 重大な影響を
およぼすかということから、「一級河川」が定められ整備がすすめられるということを知った。
千歳烏山
京王線相模原線ー| 「京王多摩川」ー稲田堤ーよみうりランドー稲城ー若葉台ー永山ー多摩センターー堀之内ー南大沢ー多摩境ー橋本。
京王八王子
京王相模原線「京王多摩川」駅下車
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「株、角川大映スタジオ」
東京都調布市に存在する日本の映画スタジオ。
同名称は正式名称で、事業所の組織的名称。角川の傘下企業。
角川大映撮影所、となってからの歴史は浅いが、撮影所自体は、1933年の昭和8年、同地に開所した日本映画多摩川撮影所以来、
70年以上の歴史をもつ。
昭和7年、 京都の東活映画社が東京に撮影所を新設すべく、本多嘉一郎氏を派遣、現在の京王電鉄、より取得したが、倒産、解体された。
昭和8年、 東活映画社を母体に日本映画株式会社が設立され、同敷地に日本映画多摩川撮影所として開所。
昭和9年、 日本映画が倒産し、日本活動写真株式会社(現在の日活)が同撮影所を買収し、名称は日活多摩川撮影所となった。
これにより日活現代劇部は京都から再移転し、初代所長には移転計画を陣頭指揮した専務取締役ー中谷貞頼氏が就任。
撮影所の裏手にあった集落も買収し、約5千坪の土地にスタッフのために社宅群を作ったエリアは、大映に変わってからも
昭和30年代まで続き「日活村」「大映村」とも呼ばれた。
平成14年、 大映が角川グループに営業譲渡、「角川大映映画株式会社」が設立。平成16年、 角川映画誕生により、同撮影所の名称を正式に
角川大映撮影所に変更。平成18年、 スタジオ棟がオープン。平成23年、 角川書店が角川映画を吸収合併し、角川書店スタジオ事業本部になる。
平成25年、 角川書店からスタジオ事業本部を分離し、株式会社角川大映スタジオが発足し現在に。
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碑は、現在、角川大映撮影所前の住宅・マンションに囲まれた児童公園の中に建っていが、戦前の日活多摩川撮影所であった。
撮影所の敷地は現在の角川大映撮影所だけではなく、調布南高校から京王多摩川線の線路の辺りまでもあり、この児童公園もこの日活多摩川撮影所の
敷地の一部であったと云う。
「映画俳優の碑」は、昭和61年、日本映画俳優協会が創立35周年を記念して建てられ、3個の碑からなっている。
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「調布市」、古代朝廷に納める「調・税」は、「カラムシ」を原料とした布を生産したことから「調布」に。
布田や染地等が残る。元は、神奈川県北多摩郡調布町で明治26年に東京府に。武蔵野台地南部に位置し、段丘下の湧水は、「深大寺湧水」「野川」
東部に「仙川」「入間川」の水源となっている。
江戸時代には、甲州街道・布田五宿が置かれた宿場町であった。
1913年、「京王電鉄・軌道」が開通され、新宿まで直結され開発が進んだ。
大遊園地・京王閣(現競輪場)・稲田堤の桜・調布飛行場・1964年オリンピック選手村等が
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山梨県・東京中心部・神奈川県を流れる多摩川水系の本流・一級河川。
下流域においては東京都と神奈川県の県境としての役割も担う。
県境全長138km、流域面積1,240km²。堤防はあるものの、首都圏の一級河川でありながら護岸化されていない部分が多く、
川辺の野草や野鳥が数多く見られる自然豊かな多摩川
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青梅、南東に多摩丘陵と武蔵野台地の間を瀬と淵を繰り返しながら流れ下る。
左岸の武蔵野台地の河岸段丘はかつての多摩川が造ったものであり、段丘崖は下から立川崖線(府中崖線)、国分寺崖線と呼ばれ、
立川崖線の下を多摩川低地、両崖線の間を立川面、最上段を武蔵野面と呼ぶ。羽村市から玉川上水へと取水される羽村取水堰付近や国立市青柳付近での
多摩川は武蔵野台地の低位面に直接ぶつかって流れている。
多摩市の大栗川合流点から武蔵野貨物線鉄橋・南武線多摩川鉄橋の上流付近までは多摩丘陵に直接ぶつかる。
都調布市、神奈川県川崎市多摩区からは、都と神奈川県の都県境を流れ、両岸とも低地になる。
川崎市多摩区から都日野市にかけては多摩川が運んだ礫層が地表に近いため水はけが良く梨の栽培に向いていて特産品に。
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「武蔵野台地」
崖線・多摩川中流域では「ハケ」あるいは「ママ」と呼んでいる。
下では至るところから湧水が湧き出し、湧水を集めているのが中流以降の左岸では最も大きい支流である「野川」。
JR中央線国分寺駅付近にあるいくつかの泉を源流としてほぼ国分寺崖線に沿って湧水を集めながら流れて行き、世田谷区玉川1丁目先で本流に
合流して、立川崖線下でも同様に湧水を集めた流れがある。
ここでの主役は、府中用水をはじめとするいくつかの用水路。
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「玉川上水」
羽村取水堰直下の玉川上水最上流部の桜並木の向こう側に、多摩川が並行して流れ、上水は、立川(モノレール・玉川上水駅)五日市道・三鷹方面へ
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次回も多摩川河川敷 狛江ー二子多摩川へ。
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