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武蔵野の天台宗・深大寺

2015-05-16 | 気まま旅
京王線「調布」駅から約2km、武蔵野台地・元町、神代植物園と隣接した古刹の「深大寺」

天台宗・山号浮岳山 本尊ー阿弥陀如来像。
733年「満功上人」開基、当初は法相宗で859年天台宗に改宗している。



重文ー銅造釈迦如来い像が発見されている(釈迦堂に安置)。梵鐘。

山門ー桃山時代の遺構


深大寺そばの手打ちは、幕末から
    

武蔵野の面影を残している
    

そば屋通りー山門ー本堂ー右手に梵鐘ー本坊ー左手に元三大師堂ー釈迦堂ー登ると、万霊塔ー動物霊園ー植物園ー下り、水神苑の水車ー桜並木に。

                 境内                 本堂
    

深大寺と湧水
寺は湧水の多い国分寺崖線の崖面に抱かれるように立地し、境内に複数の湧水源をもつ。
湧水を利用した「不動の滝」は「東京の名湧水57選」に選定、 門前町の側溝には多量の水が流れ、また周囲には神代植物公園の分園・水生植物園
わさび田を擁する都立農業高校神代農場など、谷戸地形と潤沢な水を利用した施設が広がっている。
崖線から湧き出す豊富な水は古くから田畑を潤し、人びとの素朴な信仰を集めてきた。
寺によれば、水源地であるがゆえに霊場でもあったこの地が仏教の伝来以降あらためて注目され、“水神「深沙大王」”ゆかりの深大寺建立に至ったのではないかという。
深大寺そば、付近の名物として発達したのもも水。蕎麦の栽培、そば打ち、釜茹で、晒しに湧水が利用されただけでなく、水車を利用してのそばの製粉も行われてきた野であろう所々に大きな水車。

                      深大寺境内
    

仏法を求めて、インドを旅した中国僧「玄奘三蔵」を守護したとされる神「深沙大王」に因むと伝える。
733年「満功上人」が法相宗の寺院として開創したと伝える寺。
その当時を思い浮かべ散策。

                    深大寺境内
    

「銅造釈迦如来・倚像」
1909年の明治42年、元三大師堂の壇の下から発見、現在は釈迦堂に安置。飛鳥時代後期(白鳳期)、7世紀の作。
像高(坐高)60.6CM、全高83.5CMの関東地方には数少ない古代の仏像。
童顔の面相、眉から鼻に連なる線、平行して流れる衣文、適度に張りつめた肉付けなどは、時代の特色を表している。
下腿部の互い違いに表された衣文、両足間の三角状の衣文、裳裾部分の衣文の処理などはいずれも法隆寺の銅造観音菩薩立像(通称夢違観音)と共通。
像内は頭部内面まで空洞である。像は火災に遭っており、表面の鍍金はほとんど失われている。
倚像(いぞう)は、椅子に腰掛けたポーズの像を指す。日本の仏像では倚像は比較的珍しいが、7 - 8世紀の金銅仏には作例を見ると云う。

                    深大寺境内
   

                      門前町


                      門前町
    

             深大寺は動物慰霊供養でも知られている。
    

毎週日曜日動物供養法要会が行われる。万霊塔・火葬場・待合室・売店まで揃っているのにはびっくりした。
    

                      門前町
    

                      門前町
    

神代植物園、深大寺、布多天神社、青渭神社、琥狛神社、神代水植物園・深大寺城跡、多聞防坂、旨い蕎麦が。

         多門防坂                 湧水の深大寺門前
    

次回は府中方面へ。

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