しばらくお休みしていましたが、やはりブログの無い人生なんて!と考え
細々と思いつくままに記録して行こうと思います。
「大伴家持」奈良時代ー公郷・歌人・大納言 大伴旅人の子 785年没 万葉集編纂。
越中国司の時小社「赤丸浅井神社」参詣して歌った長歌
「海行かば 水清く屍 山行かば 草生す 屍大君の辺にこそ死だめ顧み長谷路・・・」 749年越中国守赴任時。
軍隊の士気・戦意の高揚・愛国精神・戦友の死の悲しみ・・・「兵士の行軍しながら歌った歌が軍歌である。
わが国最初の1869年横浜薩摩軍楽隊の「トンヤレ節」から、日清戦争では、1300曲制作されたと云う。
国歌の「君が代」に次ぎ「海行かば」を。
「海行かば」
海行かば 水づくかばね 山行かば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ (大伴家持)
細々と思いつくままに記録して行こうと思います。
「大伴家持」奈良時代ー公郷・歌人・大納言 大伴旅人の子 785年没 万葉集編纂。
越中国司の時小社「赤丸浅井神社」参詣して歌った長歌
「海行かば 水清く屍 山行かば 草生す 屍大君の辺にこそ死だめ顧み長谷路・・・」 749年越中国守赴任時。
軍隊の士気・戦意の高揚・愛国精神・戦友の死の悲しみ・・・「兵士の行軍しながら歌った歌が軍歌である。
わが国最初の1869年横浜薩摩軍楽隊の「トンヤレ節」から、日清戦争では、1300曲制作されたと云う。
国歌の「君が代」に次ぎ「海行かば」を。
「海行かば」
海行かば 水づくかばね 山行かば 草むすかばね 大君の 辺にこそ死なめ かえりみはせじ (大伴家持)
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