1970年代の前半に【及川恒平】という作詞家がいた。吉田拓郎の盟友で、多くの歌詞を提供したように記憶している。1971年のヤマハ主催の合歓の郷ポピュラーソングコンテスト(略してポプコン)と世界歌謡祭のグランプリ曲『出発(たびだち)の歌』の作詞家として知られる。彼はもともと小室等&六文銭というフォーク・グループのメンバーであった。小室と言えば(1980~90年代の小室哲哉とは無関係)、60年代末のカウンターカルチャー運動の中の反戦フォーク・ソングの世界規模の巨大ブームの中で、関東に於けるカリスマ的な存在だった。所謂関西フォークの流れに対して、こちらは『雨が空から降れば』などの抒情的な歌唱で占められていた。それでも、当時の若者たちの心情の一面を良くも悪くも象徴していた。フォーククルセダーズが『悲しくてやりきれない』に代表される抒情性に対して『イムジン河』というあからさまな反戦歌を世に送り出したように、小室の背景には1960年前後の米国のビートジェネレーション(詩人アレン・ギンズバーグが代表。諏訪優訳詩集がある)の圧倒的な影響を受けたピート・シーガー、ウッディ・ガスリー等の存在があった。関西フォークの全てだったボブ・ディランに先行する反攻(=ビート)する世代のイデオローグの一人だった。彼等の反抗のベースには、深い人間愛と戦争の歴史に対する忌避の魂が脈打っていた。しかし、それらの想いは1969年を境にことごとく敗北し、消滅していった。その後、彼等はどこでどうしていたのだろうか。・・・《続く》
小室等&六文銭 『出発(たびだち)の歌』 2009 LIVE 歌詞(字幕)~1970年代フォークLIVE集(60年代末から72年頃まで)
https://youtu.be/mj-u0d-eqFc?t=42
高田渡さんが若い!1971年中津川フォークジャンボリーの岡林信康のバックを務めた「はっぴいえんど」の細野晴臣のヒッピールックが凛々しい。関西の西岡恭三(ディランⅡ)の『春一番』が超貴重!・・泉谷しげるの『春夏秋冬』のアドリブ(語り入り)が凄まじい!!