名古屋市の中心を南北に流れる堀川、その歴史は1610年の名古屋城築城に際し、資材運搬を目的として掘削された水路までさかのぼります。堀川の船運により多くの物資が水路により城下へ運ばれ、川沿いには商人の邸宅や蔵、貯木場などが設けられ、庶民の交通手段として乗合船も運行されました。
戦後になって輸送手段は陸路に変わり、河川の汚染も急速に進んだため、堀川は人々から忘れ去られた存在になっていました。しかし近年になって、堀川の再生をめざし木曽川の水の導入など、昔の堀川の清流を取り戻す試みが始まりました。平成17年には堀川再生のシンボルとして、納屋橋の旧加藤商会ビルがよみがえり、堀川の情報発信の場として活用されています。また船着場(宮の渡し、名古屋国際会議場、納屋橋、朝日橋)の整備に合わせて遊覧船の運行も始まり、都心と港を結ぶ交通路や新たな観光資源として、沿川地域の活性化も期待されています。
今回は堀川に架かる昭和の面影を残す戦前の橋を訪ねて、まずは名城公園の北西にある中土戸橋を出発点に下流に向かいます。
◆中土戸橋(なかつちとはし)/名古屋市西区城西5~北区名城1
竣工:昭和7年(1932)
構造:上=Cラーメン、下=RC
撮影:2012/02/26
右岸(西区側)より望む~橋を渡ると名城公園です
堀川もまだ川幅が狭いので橋も小さいですが、高欄の造形はなかなかのものです
左岸(北区側)より望む~欄干の連続するアーチのデザインが昭和っぽい
昭和7年架設の名板がはめ込まれた親柱~デザインはシンプルながら立派な橋灯付き