朝日橋からさらに堀川を下ると巾下橋、小塩橋、景雲橋と戦後の比較的新しい橋が続き、いよいよ名古屋の中心部に入ると五条橋があります。
那古野の円頓寺商店街と丸の内の間に架かる五条橋は、「堀川七橋」と言われる堀川開削当時(1610~1611)に架橋された堀川でも最古参の橋のひとつです。ちなみに堀川七橋(ほりかわななはし)とは、上流から五条橋、中橋、伝馬橋、納屋橋、日置橋、古渡橋、尾頭橋のことを言います。
五条橋は擬宝珠(ぎぼし)高欄を持つ和風の橋で、もともと清州城下の五条川に架けられていた木製の橋を、 慶長15年(1610)に移築したものです。(五条橋の名称は五条川に架かっていた時の名称をそのまま継承)
現在の橋は昭和13年に、木造の橋の意匠を残しコンクリート製に架け替えられたもので、御影石の親柱や高欄、擬宝珠、石張りの舗装は当時の雰囲気を今に伝えています。
ただ五条橋は昭和60年の改修で大幅な修景を受けているので、昭和13年当時のオリジナル部分がどこまで残っているのか不明です。
◆五条橋(ごじょうはし)/名古屋市西区那古野1~中区丸の内1
竣工:昭和13年(1938)→昭和60年(1985)修景
構造:RCラーメン
撮影:2012/02/26
※都市景観重要建築物
■五条橋全景~上流の景雲橋より撮影
■右岸(那古野)側~和風の擬宝珠高欄と石畳が落ち着いた雰囲気を与えます
■左岸(丸の内)側~右岸に円頓寺商店街のアーケードが見えます
■左岸北側(上流側)には古い煉瓦積みの壁と川へ降りる石の階段が残っています
■擬宝珠には五条橋の銘が彫り込まれています(現在の擬宝珠はレプリカで本物は名古屋城に展示)
他の擬宝珠の一つに「慶長七年壬刀六月吉日」の銘があり、いわゆる清州越し(名古屋城築城に伴い清州から名古屋へ都市機能が移転)の際に移転されたものと思われます。(詳細はこちらのサイトへ→堀川と五条橋)