洲崎橋のすぐ下流、大須通に設けられた岩井橋は、納屋橋ほどの知名度はありませんが、大正期の橋梁技術とデザイン様式を伝える近代土木遺産としては堀川の橋のベスト1にあげられます。
現存する大正期の橋としては中橋(大正6年)が架橋時の姿を留める最も古い橋ですが、岩井橋は中橋と比較すると幹線道路の大須通にあり、交通量が比較にならないほど多いので、90年後の現在まで拡幅工事による架け替えもなく現役で使用されているのは、当時の設計と技術の優秀さを証明しています。
岩井橋の近代土木遺産としての優れた特徴は、
1.国内に現存する鋼製アーチ橋としては大阪の本町橋に次ぐ2番目に古い橋
2.大正12年竣工以来90年、架け替えられることなく現在もほぼ当時の構造と外観を保っている
3.現存する戦前の橋で飾り板を有する唯一の存在
4.橋詰の4か所に設けられた親水階段
などがあげられまが、当時国内トップの橋梁技術者関場茂樹(設計)と日本を代表する建築家武田五一(意匠)のコラボレーションによって、100年先を見据えた先端の技術とデザインが融合し、現在も竣工当時と変わらぬ美しい姿は全く古さを感じさせません。
岩井橋は知名度の高い納屋橋の陰に隠れてあまり注目されることもない地味な存在ですが、大正期の先端技術とデザインを受け継ぎ、現在も色褪せることなく現役で活躍する堀川唯一の近代の橋として文化財的価値も高く、これからの保存有効活用が望まれます。
◆岩井橋(いわいはし)/名古屋市中村区名駅南3、中川区松重町~中区大須1、松原1
竣工:大正12年(1923)
構造:鋼ソリッドリブ・アーチ
設計:関場茂樹
意匠:武田五一
製作:日本橋梁
撮影:2012/02/26
※土木学会選奨土木遺産
■武田五一について~
岐阜の近代建築探訪でも紹介しましたが、武田五一は東海地方に縁が深く、大正7年~9年にかけて名古屋高等工業学校(現在の名古屋工業大学)の校長を務め、名古屋の都市計画事業にもかかわりました。その時に建築家として岩井橋のほか記念橋(新堀川)の意匠設計を手がけていますが、記念橋は昭和52年に拡幅工事のため架け替えられました。
■岩井橋全景(下流日置橋より撮影)
アーチの曲線が水辺の都市景観に安らぎを与えます(背景に見える直線の高架道路とは対照的です)
■東詰下流側親水階段より撮影
■橋の側面に取り付けられた飾り板~三連の飾りアーチの端は渦巻き状に巻かれ、アーチの間には四角錐状の装飾が施される
■御影石で造られた親水階段(東詰下流側)~橋詰の四隅に船の荷揚げ用に設けられた
■1999年老朽化に伴う床板改修工事が行われましたが、オリジナルの構造はそのまま保たれています
■西詰下流側のアーチに取り付けられた銘板~『大正十一年 日本橋梁株式会社 製作 大阪』
■大正12年9月竣功の銘が入る親柱~橋灯は竣工時のものではなく新設されています