今日の毎日朝刊の(1)面に、般若寺の「コスモス花あかり」の写真が掲載されていた。すっかり秋らしくなり空気もさわやかで動きやすくなってきた。今日から4日間ジムは休館日である。〔超回復〕効果を狙って、ちょっと詰めたトレーニングを2日間したり、「ドラぶら奈良・柳生」の整理やら、第九の練習(60%の参加度を感じるようになってきた)など久々時間に追われる生活をした。
昨日、YNさんと話しをする機会があった。ブログの短歌のことが話題になり、投稿されるんですか?ときかれたが、私自身は素養もなく真似事みたいなものやからブログにとどめてちょっとした楽しみにしておくという主旨の話しをした。YNさんは朝日新聞をとっていて、「朝日歌壇」で“公田耕一”と“郷隼人”の両人がおもしろいですよと教えていただいた。公田さんはホームレス歌人。郷さんは殺人事件でアメリカの刑務所に服役している囚われの歌人としてたびたび入選していて朝日歌壇ではかなり存在感があるとのこと。
早速、検索して調べてみた。初登場は昨年の12月8日とのこと。
・(柔らかい時計)を持ちて 炊き出しの カレーの列に 二時間並ぶ
以降、毎週のようにホームレス生活を詠った作品が掲載されたようだ。
・鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか(12月22日)
・水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し(1月5日)
・パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる(1月5日)
・日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る(1月19日)
そして、1月26日に載った歌は佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の3人が同時に採った秀作である。
・親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
『蟹工船』がブームとなるなんて、ほんの数年前は考えも出来なかった。後3ヶ月足らずで今年も終わろうとしているが事態は好転していない。短歌も時代を映しているということを感じた。
郷隼人さんは鹿児島県生まれで若くして渡米したが、1984年(昭和59)に殺人事件を起こして終身刑を言い渡され、今はカリフォルニアの刑務所に服役しているとのこと。1996年(平成8)に朝日歌壇に初入選して以来アメリカの刑務所から投稿を続け、再々歌が紹介されてきた。
・あの山の向こうに太平洋が在る夕陽のかなたに日本が在る(H11年5月)
・新年の抱負は何かと問わるれば出所し日本へ帰えりたしと告げん(H12年2月)
・夕暮れに秋刀魚の旨そうな風が吹く今夜の獄食(ディナー)はホットドッグ二本(H16年11月)
・ぬばたまの夜に服役の日数をかぞえてみれば八千七百(H21年3月)
そして、今年の3月30日の歌壇で公田さんの詠んだ
・温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜(すす)る
に対する返歌ともいえる歌を郷さんが出していた
・囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉思いつつ飲むHOTMEALを
二人について何かを述べることは私にはできないが、自分自身短歌の真似事をやってみて思ったことは、歌の素にあるのは感情(うれしい、悲しい、いとおしい、さびしい、など)ではあるが、それらを自分の中で見つめなおすという作業が必要である。そこのところが人間の人間たる所以かなと思う。万葉の昔から綿々と続いてきた和歌の世界は日本人のメンタリティをとらえるうえで欠かすことができないもののような気がしている。
すべてを「かわいい」「むかつく」「きしょい」で片付ける世界は深みがない。
毎日新聞しか知らない“井の中の蛙”に新しい世界を見せてくれたYNさんに感謝。とりとめのない話をしつつ、そこに何か新しい発見や視点の変化を感じたとき「自分は良き人に恵まれて幸せ者」と思う。
昨日、YNさんと話しをする機会があった。ブログの短歌のことが話題になり、投稿されるんですか?ときかれたが、私自身は素養もなく真似事みたいなものやからブログにとどめてちょっとした楽しみにしておくという主旨の話しをした。YNさんは朝日新聞をとっていて、「朝日歌壇」で“公田耕一”と“郷隼人”の両人がおもしろいですよと教えていただいた。公田さんはホームレス歌人。郷さんは殺人事件でアメリカの刑務所に服役している囚われの歌人としてたびたび入選していて朝日歌壇ではかなり存在感があるとのこと。
早速、検索して調べてみた。初登場は昨年の12月8日とのこと。
・(柔らかい時計)を持ちて 炊き出しの カレーの列に 二時間並ぶ
以降、毎週のようにホームレス生活を詠った作品が掲載されたようだ。
・鍵持たぬ生活に慣れ年を越す今さら何を脱ぎ棄てたのか(12月22日)
・水葬に物語などあるならばわれの最期は水葬で良し(1月5日)
・パンのみで生きるにあらず配給のパンのみみにて一日生きる(1月5日)
・日産をリストラになり流れ来たるブラジル人と隣りて眠る(1月19日)
そして、1月26日に載った歌は佐佐木幸綱、高野公彦、永田和宏の3人が同時に採った秀作である。
・親不孝通りと言へど親もなく親にもなれずただ立ち尽くす
『蟹工船』がブームとなるなんて、ほんの数年前は考えも出来なかった。後3ヶ月足らずで今年も終わろうとしているが事態は好転していない。短歌も時代を映しているということを感じた。
郷隼人さんは鹿児島県生まれで若くして渡米したが、1984年(昭和59)に殺人事件を起こして終身刑を言い渡され、今はカリフォルニアの刑務所に服役しているとのこと。1996年(平成8)に朝日歌壇に初入選して以来アメリカの刑務所から投稿を続け、再々歌が紹介されてきた。
・あの山の向こうに太平洋が在る夕陽のかなたに日本が在る(H11年5月)
・新年の抱負は何かと問わるれば出所し日本へ帰えりたしと告げん(H12年2月)
・夕暮れに秋刀魚の旨そうな風が吹く今夜の獄食(ディナー)はホットドッグ二本(H16年11月)
・ぬばたまの夜に服役の日数をかぞえてみれば八千七百(H21年3月)
そして、今年の3月30日の歌壇で公田さんの詠んだ
・温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜(すす)る
に対する返歌ともいえる歌を郷さんが出していた
・囚人の己れが〈(ホームレス)公田〉思いつつ飲むHOTMEALを
二人について何かを述べることは私にはできないが、自分自身短歌の真似事をやってみて思ったことは、歌の素にあるのは感情(うれしい、悲しい、いとおしい、さびしい、など)ではあるが、それらを自分の中で見つめなおすという作業が必要である。そこのところが人間の人間たる所以かなと思う。万葉の昔から綿々と続いてきた和歌の世界は日本人のメンタリティをとらえるうえで欠かすことができないもののような気がしている。
すべてを「かわいい」「むかつく」「きしょい」で片付ける世界は深みがない。
毎日新聞しか知らない“井の中の蛙”に新しい世界を見せてくれたYNさんに感謝。とりとめのない話をしつつ、そこに何か新しい発見や視点の変化を感じたとき「自分は良き人に恵まれて幸せ者」と思う。