素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

毎日新聞のお気に入りコーナー《季節のたより》

2009年10月02日 | 日記
 毎日新聞朝刊の左下隅に、《季節のたより》というコーナーがある。以前、伊丹での句会ライブでお目にかかった坪内稔典さんが選んだ江戸から現代までの俳句が一句と江戸時代のものがメインの版画、それに坪内さんの四行80字ほどの短文がセットになって日めくりのように掲載されている。

 1分あれば読めるのだが、なかなか味がある。最近は歌川広重の版画が多い。先日の同窓会の『伊勢参詣曼荼羅』の絵解きではないが、そこから当時の風景、暮らしの空気が伝わってくる。

 俳句でも、10月2日は江戸時代初期の俳人で、京都の妙満寺で本邦初の句会をひらいた松永貞徳の句が選ばれていた。
 《皆人の 昼寝の種や 秋の月》
 月見での夜更かしが翌日の昼寝の原因となるという意味だが、月見る気持ちは、現代の我々とさして変わらないなとほのぼのとした気持ちになる。

 今日は中秋の名月。今日の句は山本西武の
 《芋も子を うめば三五の 月夜かな》
 である。「産後」と「十五」がうまくかけられている。月の出は17:19さて?


 孫の運動会でもある。早朝からなかなかやまない雨にやきもきしたが、7時過ぎに1時間遅れで始まると連絡あり。今から出かける。


 
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蜘蛛の親子発見

2009年10月02日 | 日記
 別に蜘蛛が趣味ではないが、小さい時から蜘蛛の巣の見事さには感心していた。里山歩きをしている時に顔や頭にひっかかる時は、ちょっと腹も立つがそれもこちらの都合。蜘蛛から言わせればベストポジションに張った力作を壊されるのだからたまったものではないだろう。

 NHKのBSで「熱中時間」という番組がある。こんな人もいるんだと興味を持って見ていたが、その中に「蜘蛛の巣」を張られた状態で採集している人が登場していた。蜘蛛の巣も芸術的だがそれを壊さずに採集する技もなかなかだった。しかし、私は採ってしまったら価値半減だろうとも思った。広い空間の中で、何らかの基準ー木の枝ぶり、虫のひっかかりやすさ、などなどーでそのポイントを選び、糸を張り巡らしたのだからそのまま見るのが一番である。

 昨日、用事から帰り車庫に車を入れ、ふと見上げると蜘蛛の巣があり、邪魔やなととっぱろうとしたがよく見ると親子がいることを発見。しかも兄弟。あまり見かけない光景なので写真におさめた。それなりのポジションに3匹がおさまるまでには結構根気がいった。蜘蛛の巣もそのままにしておいた。

 今朝見ると、一番小さい蜘蛛だけを残し、親子2匹の姿はなかった。いい位置に来てもらうために何回かつっつかせてもらったので危険を感じて移動した?のか、糸のまだ張れない者にゆずるという習性がある?のかはさだかではない。

 蜘蛛にかぎらず自然の営みの中には、うなってしまうような精微なしくみがある。人間は前頭葉が発達したための宿命で、そこに意志が働く。そのおかげで文化も創造してきたが、多くの苦労も背負い込んだ。時には意識の世界から自分を解き放すことも必要である。 

 その方法は各自さまざまであろう。時々は自分の体の声に耳を傾けてあげるということが大切だと思う。


 
 

 
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