季語に「秋麗」というのがあることを“季節のたより”で知った。心がほっこりするおだやかな日和のことである。その秋麗にはできるだけ車を使わずに歩きか自転車で用を済ませるようにしている。帰り道、「ああ秋やなぁ」という光景に出会ったので写真に収めた。昨日の“季節のたより”の句
*掛稲の すぐそこにある 湯呑かな (波多野 爽波)
また、別の句“夜長にて ページの間に 旅をする”(二木 千里)
並行して読んでいる「14歳の子を持つ親たちへ」はほぼ終わりかけ、「ためらいの倫理学」は遅々として進まず半ば過ぎ、先日KKさんが「面白いよ」と貸してくれた「間違いだらけの教育論」(諏訪哲二著)を半分近くまで読み進んでいる。
諏訪さんは80年代後半注目をあつめた「プロ教師の会」で論陣をはっていた人でなつかしい。宝島社から出た、少々過激なタイトルの教育シリーズはほとんど読ませてもらった。当時、いくつかの発想のヒントをいただいた。
まだ、順番待ちをしている本が5冊。こんなに天気が良いと日中はどうしてもウロウロしてしまう。やはり読書は秋の夜長か。
*掛稲の すぐそこにある 湯呑かな (波多野 爽波)
また、別の句“夜長にて ページの間に 旅をする”(二木 千里)
並行して読んでいる「14歳の子を持つ親たちへ」はほぼ終わりかけ、「ためらいの倫理学」は遅々として進まず半ば過ぎ、先日KKさんが「面白いよ」と貸してくれた「間違いだらけの教育論」(諏訪哲二著)を半分近くまで読み進んでいる。
諏訪さんは80年代後半注目をあつめた「プロ教師の会」で論陣をはっていた人でなつかしい。宝島社から出た、少々過激なタイトルの教育シリーズはほとんど読ませてもらった。当時、いくつかの発想のヒントをいただいた。
まだ、順番待ちをしている本が5冊。こんなに天気が良いと日中はどうしてもウロウロしてしまう。やはり読書は秋の夜長か。