素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

アルボムッレ・スマナサーラ著『怒らないこと』読み終える

2009年10月16日 | 日記
 3冊並行読みの1冊『怒らないこと』を読み終えた。全ページ「怒る」ことへの全面否定で貫かれている。法話をもとにまとめられているので、角度を少しずつ変えながら繰り返し『怒ってよい理由はない』『怒りは理不尽である』『怒る人は弱い人である』『怒りが幸福を壊す』ということが説かれている。

 「怒りを我慢する」とか「怒らない方法を探す」のではなく、「ただ怒らないことです。」と言い切られるとそのむずかしさに唸ってしまう。

 読みながら時実利彦氏をふと思い出した。時実氏は脳生理学者で、今の脳科学の先駆的役割りを果たした人だと思う。40年ほど前に岩波新書で「脳の話」「人間であること」を通じて脳の働きについてわかりやすく啓蒙してくれた。大学の時に講演も聴きに行ったが、とても感銘をうけた。

 「人間であること」の中で、“フランスのある詩人の「人間のまなざしが、相手を殺すことができるならば、街という街は、死骸でいっぱいになるだろう」ということばを、お互いにもういちど心に刻みつけたいものである。”と前頭連合野があまりにも発達してしまった人間の宿命についてふれている。

 仏教において「怒らないこと」を中心命題におくのも、人間を深く見つめた結果のことだと思う。

 教育現場においてもこのことは常につきまとう悩ましい課題である。アルボムッレ・スマナサーラ長老も「人が何をしようとも、慈しみ、赦すという行為が大切である。」と説く一方で「怒らないこと」と「甘やかすこと」とは違うとも説いている。生徒の行為に対してどうすべきかという時に出てくる迷いである。

 結論からいえば、こうすべきという正解はないように思う。矛盾する心をかかえながら生きていく中で培っていく自分の感性にたよるしかない。時実氏が本の中で紹介しているフランスの哲学者モンテーニュのことばを忘れないでおきたい。

世人は常に自己の正面をみる。私は目を内部にかえす。そこに据えてじっと離さない。各人は自己の前を見る。私は自分の内部を見る。私は、ただ私だけが相手なのだ。私は絶えず私を考察し、私を検査し、私を吟味する。・・・・

 

 
コメント
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