東北の三大半島の旅行では、黒船来航で危機感を持った吉田松陰が下北まで足を運んでいることを知ったし、十三湖で幻の中世都市の話の中でガイドさんが「歴史は勝者の書いたものだけが残る・・・」ということが印象に残った。先の道南の旅では五稜郭の建設も黒船来航とつながっていることを知り、当たり前のことだが、あらためて学校で習った歴史は極めて薄いダイジェスト版だということを思った。
このことを最初に意識したのは36年前の信州の塩尻である。
大学の時、数学科で有志を募って、毎夏信州方面に1週間ほどのキャンプに出かけていた。AKSCCという名前だったと思う。1回生~4回生までが集い、結構規模の大きいイベントとなる。4回生の時先輩から引き継いで世話人になった。
塩尻の高ボッチ山で1泊目のキャンプを張ったが、その塩尻の町はずれに竪穴住居の遺跡があると聞いたので行ってみた。その時、私の頭の中は“竪穴住居”=“弥生時代”という風になっていた。実際に行って説明板を見ると“平安時代”となっていてビックリ。“平安時代”=“寝殿造り”というステレオタイプの図式が崩れるのを感じた。「平安時代に生活していたのは貴族だけではない。でもそれ以外の人々のイメージが自分の中に浮かんでこない」ということに電気ショックみたいなものを受けた。
それ以来、民衆の歴史ということも意識するようになったし、いろいろな所に行った時、説明文などをしっかり読み、自分の持っている薄っぺらな歴史の知識に塗り重ねていくようにしている。当然、勝者と敗者それぞれに歴史があるということも考えるようになってきた。
今、奈良を中心にいろいろまわっているが、知らなかったことが多く、新鮮な刺激を受けている。
このことを最初に意識したのは36年前の信州の塩尻である。
大学の時、数学科で有志を募って、毎夏信州方面に1週間ほどのキャンプに出かけていた。AKSCCという名前だったと思う。1回生~4回生までが集い、結構規模の大きいイベントとなる。4回生の時先輩から引き継いで世話人になった。
塩尻の高ボッチ山で1泊目のキャンプを張ったが、その塩尻の町はずれに竪穴住居の遺跡があると聞いたので行ってみた。その時、私の頭の中は“竪穴住居”=“弥生時代”という風になっていた。実際に行って説明板を見ると“平安時代”となっていてビックリ。“平安時代”=“寝殿造り”というステレオタイプの図式が崩れるのを感じた。「平安時代に生活していたのは貴族だけではない。でもそれ以外の人々のイメージが自分の中に浮かんでこない」ということに電気ショックみたいなものを受けた。
それ以来、民衆の歴史ということも意識するようになったし、いろいろな所に行った時、説明文などをしっかり読み、自分の持っている薄っぺらな歴史の知識に塗り重ねていくようにしている。当然、勝者と敗者それぞれに歴史があるということも考えるようになってきた。
今、奈良を中心にいろいろまわっているが、知らなかったことが多く、新鮮な刺激を受けている。