私にとっての白洲正子さんとの初めての出会いは、去年の9月に放映されたNHKのドラマ「白洲次郎」での中谷美紀演ずる白洲正子であった。私には魅力的な女性ではなかった。したがって、忘却の川底に沈んでいた。今年の7月25日に“會津八一”の特集でNHK教育の日曜美術館を見てから、時々チャンネルを合わせるようになった。8月だったと思うが、最後の15分ぐらいに旧白洲邸・武相荘の紹介があった。そこでの白洲正子さんは、ドラマで持ったイメージとはずい分違うと感じ、興味を抱くようになった。
今日買った「新潮45」11月号(幻の「白洲次郎」現存する唯一の秘蔵映像のDVDの付録につられたのだが)の中で娘の牧山桂子さんがこう書いている。
私は、父のことを書いた本は読まない、父を描いたテレビドラマは見ません。なにか失敗するんじゃないかと思ってしまうんです。それに、そこで描かれている父は、私が知っている父とは、全然別の人格になっているような気がしてなりません。
これも偶然だったのだが、枚方の山野草の方から不用になっていただいた数冊の本の中に、白洲正子さんの「花日記」があったのである。積読状態だったのだが、武相荘の紹介を見た後、手にとって読んでみた。すこぶるスキッとした文章で、最初に持っていたイメージは吹き飛んでしまい、心の中にどっしり居座るようになった。
「街場のメディア論」「宇宙飛行士選抜試験」を読み終わり、たくさん刺激をもらった勢いで、白洲正子さんの「十一面観音巡礼」と「かくれ里」それに會津八一氏の「自註 鹿鳴集」を買って、読みはじめている。お二人の本は、私の60代の10年間の読書のベースになっていくのではないかという予感がする。
「かくれ里」の最初に書かれている部分を読んだ時、なぜ私が漠然としつつも白洲さんに惹かれていったのかがわかったような気がした。
秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「かくれ里」にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。近頃のように道路が完備すると、旧街道ぞいの古い社やお寺は忘れられ、昔は賑やかだった宿場などもさびれて行く。どこもかしこも観光ブームで騒がしい今日、私に残されたのはそういう場所しかない。その意味では、たしかに「世を避けて隠れ忍ぶ村里」であり、現代の「かくれ里」といえよう。
そのような所には、思いもかけず美しい美術品が、村人たちに守られてかくれていることがある。逆にどこかの展覧会で見て、ガラス越しの鑑賞にあきたらず、山奥の寺まで追いかけて行ったこともある。時には間違って別なお寺へ行ってしまい、意外なものに出会う時もある。そんな時私は、つくづく日本は広いと思うのである。さいわい私にはそちらの方面の仕事が多く、毎月のように取材に出るが、肝心のの目的よりわき道へそれる方がおもしろくて、いつも編集者さんに迷惑をかける。が、お能には橋掛かり、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ。これはそういう旅の途上で拾ったささやかな私の発見であり、手さぐりに摘んだ道草の記録である。
前置きが長くなったが、その白洲正子さんの生誕100年を記念しての特別展が開催されている滋賀県立近代美術館に出かけた。美術館は、京滋バイパス瀬田東ICから車で5分ほどの“びわこ文化公園”の中にある。
新しく作られた公園はとても整備されていて、駐車場から美術館までの道を秋色に染まってきた木々を楽しみながらのんびりとした気分で歩くことができた。
開館したばかりの時間だったので、来館者も少なく、音声ガイドを借りて、彼女が感銘を受けた仏神像や宝物、旅した社寺に関わる文化財などを著書から抜粋された文とともに1時間余りかけてゆっくり見て周ることができた。
今日買った「新潮45」11月号(幻の「白洲次郎」現存する唯一の秘蔵映像のDVDの付録につられたのだが)の中で娘の牧山桂子さんがこう書いている。
私は、父のことを書いた本は読まない、父を描いたテレビドラマは見ません。なにか失敗するんじゃないかと思ってしまうんです。それに、そこで描かれている父は、私が知っている父とは、全然別の人格になっているような気がしてなりません。
これも偶然だったのだが、枚方の山野草の方から不用になっていただいた数冊の本の中に、白洲正子さんの「花日記」があったのである。積読状態だったのだが、武相荘の紹介を見た後、手にとって読んでみた。すこぶるスキッとした文章で、最初に持っていたイメージは吹き飛んでしまい、心の中にどっしり居座るようになった。
「街場のメディア論」「宇宙飛行士選抜試験」を読み終わり、たくさん刺激をもらった勢いで、白洲正子さんの「十一面観音巡礼」と「かくれ里」それに會津八一氏の「自註 鹿鳴集」を買って、読みはじめている。お二人の本は、私の60代の10年間の読書のベースになっていくのではないかという予感がする。
「かくれ里」の最初に書かれている部分を読んだ時、なぜ私が漠然としつつも白洲さんに惹かれていったのかがわかったような気がした。
秘境と呼ぶほど人里離れた山奥ではなく、ほんのちょっと街道筋からそれた所に、今でも「かくれ里」にふさわしいような、ひっそりとした真空地帯があり、そういう所を歩くのが、私は好きなのである。近頃のように道路が完備すると、旧街道ぞいの古い社やお寺は忘れられ、昔は賑やかだった宿場などもさびれて行く。どこもかしこも観光ブームで騒がしい今日、私に残されたのはそういう場所しかない。その意味では、たしかに「世を避けて隠れ忍ぶ村里」であり、現代の「かくれ里」といえよう。
そのような所には、思いもかけず美しい美術品が、村人たちに守られてかくれていることがある。逆にどこかの展覧会で見て、ガラス越しの鑑賞にあきたらず、山奥の寺まで追いかけて行ったこともある。時には間違って別なお寺へ行ってしまい、意外なものに出会う時もある。そんな時私は、つくづく日本は広いと思うのである。さいわい私にはそちらの方面の仕事が多く、毎月のように取材に出るが、肝心のの目的よりわき道へそれる方がおもしろくて、いつも編集者さんに迷惑をかける。が、お能には橋掛かり、歌舞伎にも花道があるように、とかく人生は結果より、そこへ行きつくまでの道中の方に魅力があるようだ。これはそういう旅の途上で拾ったささやかな私の発見であり、手さぐりに摘んだ道草の記録である。
前置きが長くなったが、その白洲正子さんの生誕100年を記念しての特別展が開催されている滋賀県立近代美術館に出かけた。美術館は、京滋バイパス瀬田東ICから車で5分ほどの“びわこ文化公園”の中にある。
新しく作られた公園はとても整備されていて、駐車場から美術館までの道を秋色に染まってきた木々を楽しみながらのんびりとした気分で歩くことができた。
開館したばかりの時間だったので、来館者も少なく、音声ガイドを借りて、彼女が感銘を受けた仏神像や宝物、旅した社寺に関わる文化財などを著書から抜粋された文とともに1時間余りかけてゆっくり見て周ることができた。