内田さんの「メディア論」を読み終わった時、北山 修さんが九州大学で行なった「最後の授業」の内容とリンクしている部分があるなと思った。
九州大学大学院人間環境学研究院教授である北山修さんが定年退官を迎えられ、2010年1月18日・1月25日に渡って最終講義をされた。それをNHKが取材して、教育テレビで7月26日から7月29日まで4回に分け『北山修最後の授業』というタイトルで放映した。
私はこの番組の存在は知っていたが見ていない。ザ・フォーク・クルセダーズが1967年に「帰ってきたよっぱらい」が爆発的にヒットして、時代の寵児としてマスコミに登場している彼らに「力も信念もないのにマスコミに踊らされているだけや」という偏見を持ってしまった。以来40年彼らに関することはシャットアウトしてきた。
去年の10月に加藤和彦さんが自死されたことが契機となり、あらためて3人のことに思いを馳せてみると、それぞれ個性的であり、力も信念もありマスコミによってつくられたのではなかったと思い直した。シャットアウトしていたつもりでも3人によって生み出された歌は自分の中にしっかり根づいていることも認めざるを得なかった。また同じ頃、偶然、NHKのBSで私の好きな作詞家の一人“安井かずみ”の特集の中で加藤和彦さんとの深いきずなを知り、「彼女が認めたんやから本物やろ」なんて奇妙な納得のしかたもした。
多分、加藤さんを追悼する意味で、2002年11月17日にNHKホールで開催された「フォーククルセダーズ新結成記念解散音楽会」のコンサートがNHKのBSで放映された。それを見ていた時、テレビカメラの撮り方に違和感を感じた。加藤和彦さん、はしだのりひこさんの代わりの坂崎幸之助さんの二人はアップされるのに、北山修さんだけは顔がはっきり認識できるアップがなかったのである。カメラワークとしてはとても不自然であった。
このことを心友との雑談の中で話したことがあった。「最後の授業」を見た心友は、その答えがここにあるとDVDにコピーして送ってくれたのである。おかげさまで、私が40年もの間持ち続けた偏見は氷解し、「北山さんは本物の実践者やな」と敬意を持って、繰り返し何度もDVDを見ている。
この講義を文章で表現することは不可能だが、テレビは、表(建前)に出ているものは映し出すことはできるが、心(裏にあるもの、本音)を映し出すことはできない。それがマスコミュニケーションの弱点である。裏にあるもの(心)は言葉によって意識化できる。そのためには、ここだけの話ということが前提となるパーソナルコミュニケーションが必要となる。という主旨の話に北山さんが精神分析の道を目指すようになってから40年余り、テレビに顔を出さなくなった、出演しなくなった理由があった。
内田さんはその間にあるミドルメディア(特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千人から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報)の大切さにふれている。
私は、最近NHKの番組の中に、ミドルコミュニケーションを意識したものが出てきているように思う。特に教育TVに多いかなと感じている。マスを意識した番組づくりからの脱却に期待している。
北山修講義 NHK 059.flv
九州大学大学院人間環境学研究院教授である北山修さんが定年退官を迎えられ、2010年1月18日・1月25日に渡って最終講義をされた。それをNHKが取材して、教育テレビで7月26日から7月29日まで4回に分け『北山修最後の授業』というタイトルで放映した。
私はこの番組の存在は知っていたが見ていない。ザ・フォーク・クルセダーズが1967年に「帰ってきたよっぱらい」が爆発的にヒットして、時代の寵児としてマスコミに登場している彼らに「力も信念もないのにマスコミに踊らされているだけや」という偏見を持ってしまった。以来40年彼らに関することはシャットアウトしてきた。
去年の10月に加藤和彦さんが自死されたことが契機となり、あらためて3人のことに思いを馳せてみると、それぞれ個性的であり、力も信念もありマスコミによってつくられたのではなかったと思い直した。シャットアウトしていたつもりでも3人によって生み出された歌は自分の中にしっかり根づいていることも認めざるを得なかった。また同じ頃、偶然、NHKのBSで私の好きな作詞家の一人“安井かずみ”の特集の中で加藤和彦さんとの深いきずなを知り、「彼女が認めたんやから本物やろ」なんて奇妙な納得のしかたもした。
多分、加藤さんを追悼する意味で、2002年11月17日にNHKホールで開催された「フォーククルセダーズ新結成記念解散音楽会」のコンサートがNHKのBSで放映された。それを見ていた時、テレビカメラの撮り方に違和感を感じた。加藤和彦さん、はしだのりひこさんの代わりの坂崎幸之助さんの二人はアップされるのに、北山修さんだけは顔がはっきり認識できるアップがなかったのである。カメラワークとしてはとても不自然であった。
このことを心友との雑談の中で話したことがあった。「最後の授業」を見た心友は、その答えがここにあるとDVDにコピーして送ってくれたのである。おかげさまで、私が40年もの間持ち続けた偏見は氷解し、「北山さんは本物の実践者やな」と敬意を持って、繰り返し何度もDVDを見ている。
この講義を文章で表現することは不可能だが、テレビは、表(建前)に出ているものは映し出すことはできるが、心(裏にあるもの、本音)を映し出すことはできない。それがマスコミュニケーションの弱点である。裏にあるもの(心)は言葉によって意識化できる。そのためには、ここだけの話ということが前提となるパーソナルコミュニケーションが必要となる。という主旨の話に北山さんが精神分析の道を目指すようになってから40年余り、テレビに顔を出さなくなった、出演しなくなった理由があった。
内田さんはその間にあるミドルメディア(特定の企業や業界、特定の分野、特定の趣味の人たちなど、数千人から数十万人の規模の特定層に向けて発信される情報)の大切さにふれている。
私は、最近NHKの番組の中に、ミドルコミュニケーションを意識したものが出てきているように思う。特に教育TVに多いかなと感じている。マスを意識した番組づくりからの脱却に期待している。
北山修講義 NHK 059.flv