季節外れの暑さが日々堆積しているみたいで、今日は朝から蒸し暑かった。さすがに外に出る気がしなかった。こういう日はダラダラと本を読んで暮らす。小難しい本はこの気候では睡眠薬がわりになってしまう。高橋秀実さんの「弱くても勝てます」~開成高校野球部のセオリー~が最適。高橋さんの対象への迫り方は面白い。「からくり民主主義」「トラウマの国」の丹念な取材、ステレオタイプに物事をとらえない、善悪二元論に立たないなどが私にとっては心地よく読める。人によっては〈はっきりしない〉となるかもしれない。私自身も似たようなところがある。『確信を持ちたい』とずっと思ってきたが、この歳になってもまだ迷っている自分がある。
この本が原作となったテレビドラマが放映されているみたいだが、現場に足を運んで丹念に取材された開成高校野球部の各部員や監督、試合や練習の様子を独特のタッチで描いた高橋ワールドとは別のものになっているだろうと思う。高橋さんが開成高校野球部に惹かれた根底にあるのは、野球を通して「絆」とか「愛」「感動」「勇気」を与える、与えられたという世間の風潮に対するアンチテーゼではないかと思う。そのことが端的に出ているのが青木監督とのやりとりの部分である。
「野球には教育的意義はない、と僕は思っているんです」
青木監督はきっぱりと言った。野球はゲームにすぎないと。
━そうですよね。
私がうなずくと監督が続けた。
「野球はやってもやらなくてもいいこと。はっきり言えばムダなんです」
━ムダ、ですか?
「これだけ多くの人に支えられているわけですから、ただのムダじゃない。偉大なるムダなんです」
━偉大なるムダ?
「とかく今の学校教育はムダをさせないで、役に立つことだけをやらせようとする。野球も役に立つということにしたいんですね。でも果たして、何が 子供たちの役に立つのか立たないのかなんて我々にもわからないじゃないですか。社会人になればムダなことなんてできません。今こそムダなことが いっぱいできる時期なんです」
━しかし「ムダ」だと言い切ってしまうと、何のためにやるのかと・・・・?
「ムダだからこそ思い切り勝ち負けにこだわれるんです。じゃんけんと同じです」
━じゃんけんですか?
「勝ったらエラいわけじゃないし、負けたからダメなんじゃない。だからこそ思い切り勝負ができる。とにかく勝ちに行こうぜ!と。負けたら負けたで しょうがないんです。もともとムダなんですから。じゃんけんに教育的意義があるなら、勝ちにこだわるとなんか下品とかいわれたりするんですが、 ゲームだと割り切ればこだわっても罪はないと思います」
確かにそうである。そもそもお互いが勝とうとしなければゲームにもならない。「信頼」や「思いやり」などは日常生活で学べばよいわけで、なにも わざわざ野球をすることもない。野球は勝負。勝負のための野球なのである。
偉大なるムダに挑む開成高校野球部。すべてがムダだから思い切りバットを振る。どのみちムダだから遠慮はいらないのである。
週に1回だけしかグランドが使えない条件の中、青木監督はあえて「練習」という言葉ではなく『仮説』を検証する実験の場としてグランドをとらえ生徒各自に課題を考えさせている。というくだりも興味深かった。自分の身体を通して、世間で言われていることを確かめたいと思っている私は共感できるのである。それらをふまえて各野球部員の声を拾っていくので、違った野球の姿が見えてくる。夕方までに一気に読み切ることができた。
夕方になると雲がかかってきて、日中の暑さがうそのように心地よい風が吹いて過ごしやすくなった。とたんにこの条件で寝屋川公園往復新10kmコースを走ったらどうなるだろうか?という思いが沸々と湧いてきた。そうなると確かめずにはおられない。ストレッチをして体の感じを確かめるとGO!のサインが出た。18:30のスタートとなった。足元もしっかり見え、暑さを感じないで走り切ることができた。あっけなく5月末の目標だった1時間一桁台を達成した。1時間08分44秒であった。3日前とは後半の疲労度が全然違った。失速感を感じなかった。一冊の本に影響を受けたランニングとも言える。
この本が原作となったテレビドラマが放映されているみたいだが、現場に足を運んで丹念に取材された開成高校野球部の各部員や監督、試合や練習の様子を独特のタッチで描いた高橋ワールドとは別のものになっているだろうと思う。高橋さんが開成高校野球部に惹かれた根底にあるのは、野球を通して「絆」とか「愛」「感動」「勇気」を与える、与えられたという世間の風潮に対するアンチテーゼではないかと思う。そのことが端的に出ているのが青木監督とのやりとりの部分である。
「野球には教育的意義はない、と僕は思っているんです」
青木監督はきっぱりと言った。野球はゲームにすぎないと。
━そうですよね。
私がうなずくと監督が続けた。
「野球はやってもやらなくてもいいこと。はっきり言えばムダなんです」
━ムダ、ですか?
「これだけ多くの人に支えられているわけですから、ただのムダじゃない。偉大なるムダなんです」
━偉大なるムダ?
「とかく今の学校教育はムダをさせないで、役に立つことだけをやらせようとする。野球も役に立つということにしたいんですね。でも果たして、何が 子供たちの役に立つのか立たないのかなんて我々にもわからないじゃないですか。社会人になればムダなことなんてできません。今こそムダなことが いっぱいできる時期なんです」
━しかし「ムダ」だと言い切ってしまうと、何のためにやるのかと・・・・?
「ムダだからこそ思い切り勝ち負けにこだわれるんです。じゃんけんと同じです」
━じゃんけんですか?
「勝ったらエラいわけじゃないし、負けたからダメなんじゃない。だからこそ思い切り勝負ができる。とにかく勝ちに行こうぜ!と。負けたら負けたで しょうがないんです。もともとムダなんですから。じゃんけんに教育的意義があるなら、勝ちにこだわるとなんか下品とかいわれたりするんですが、 ゲームだと割り切ればこだわっても罪はないと思います」
確かにそうである。そもそもお互いが勝とうとしなければゲームにもならない。「信頼」や「思いやり」などは日常生活で学べばよいわけで、なにも わざわざ野球をすることもない。野球は勝負。勝負のための野球なのである。
偉大なるムダに挑む開成高校野球部。すべてがムダだから思い切りバットを振る。どのみちムダだから遠慮はいらないのである。
週に1回だけしかグランドが使えない条件の中、青木監督はあえて「練習」という言葉ではなく『仮説』を検証する実験の場としてグランドをとらえ生徒各自に課題を考えさせている。というくだりも興味深かった。自分の身体を通して、世間で言われていることを確かめたいと思っている私は共感できるのである。それらをふまえて各野球部員の声を拾っていくので、違った野球の姿が見えてくる。夕方までに一気に読み切ることができた。
夕方になると雲がかかってきて、日中の暑さがうそのように心地よい風が吹いて過ごしやすくなった。とたんにこの条件で寝屋川公園往復新10kmコースを走ったらどうなるだろうか?という思いが沸々と湧いてきた。そうなると確かめずにはおられない。ストレッチをして体の感じを確かめるとGO!のサインが出た。18:30のスタートとなった。足元もしっかり見え、暑さを感じないで走り切ることができた。あっけなく5月末の目標だった1時間一桁台を達成した。1時間08分44秒であった。3日前とは後半の疲労度が全然違った。失速感を感じなかった。一冊の本に影響を受けたランニングとも言える。