素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

大阪コリアンの目【139】トブロサルダ(共に生きる)は心に残った

2014年06月14日 | 日記
 隔週で、特定非営利活動法人・コリアNGOセンター事務局長の金光敏(キムクァンミン)さんの「大阪コリアンの目・トブロサルダ」が掲載されている。金さんは1971年、大阪市生野区生まれの在日コリアン3世で、大阪市立中学校の民族学級講師などを経て現在の職にある。現場からの視点でさまざまな問題について書かれている。

 今、大阪市や大阪府で提起されている生徒指導の在り方について疑問を感じている私にとって、13日(金)に掲載された文は心に残った。生徒指導は忍耐のいるものである。そういう時、金さんの書かれている事例などが心を支えてくれる。以前はそういう実践を数多く聞いたり、読んだりしたものだ。最近はどうなのだろうか?

 「甘い!」と言われるかもしれないが、教育は未来に夢を託す営みであるという原点を忘れてはいけないように思う。要約はできないので全文を紹介させてもらう。

◆あの日の差別発言からの生き直し
 ◇後押しする教育の力 しんどい子らと向き合え

 「こら、はよ終われ」。私の講演中に響いた怒号は周りを一瞬にして凍らせた。教員らは慌て、暴言を吐いた生徒を外へ引っ張り出した。数人の生徒らも伝染したかのように悪態をつき始めた。私の目に飛び込んできた他の多数の生徒らの不安そうな顔が今も忘れられない。

 体育館の外に追い出された生徒。中へ入れろとドアを蹴る。講演はもう台無し。それでもなんとかまとめて、私は生徒のいる外へ駆け寄った。彼の興奮は絶頂に達した。

 私への暴言は紙面では憚られる内容。差別発言だった。学校や教育委員会も民族差別事象として深刻に受け止め、私も参加してケース会議を開催、生徒の問題行為の実態を踏まえ、学校の取り組み、家庭との連携について方針を決めた。

 中学校3年生だったその少年は結局、落ち着きを取り戻すことなく卒業していった。彼らの卒業で緊張を解かれ安堵を感じた教員は少なくなかった。一方で、この少年が唯一心を開いた教員もいた。細身の背の低い女性教員、屈強で暴れ馬のような非行少年たちを抑えられる腕力はない。いやそうであるがゆえに少年はこの教員に心を開いた。そう言えば、例の事件直後、近づく私に一瞬彼は怯えたような表情を見せた。ケース会議で彼が父親に恐怖心を抱いていたことがわかった。明らかに非力な教員と向き合って初めて彼は安心を感じた。この教員は担任でも、教科担当でもなかったが、この教員とだけこの少年はゆっくりと話し、そして少し将来のことも語った。

 「クァンミンさん、会ってもらえませんか?」。その少年と卒業後も向き合い続けた女性教員からの連絡。もちろんですと、私。JR鶴橋駅で彼と女性教員と待ち合わせた。あの一件以来5年ぶり。顔は忘れてしまっていたが、教員の横で立つ彼を見て手を差し伸べた。すると、彼は私に謝りたいと述べた。本当に申し訳ありませんでしたと。私はいやいやそんなことはいいのだ。こうして訪ねてきてくれたことがとてもうれしいと彼の肩を抱いた。

 彼は今教員を志望し大学で学ぶ。彼は人を傷つける行為で自分の心の傷を癒やせないことを知り、そこから這い上がろうとしてきた。いや卒業後も彼と向き合い続けたこの教員が生き直しに導いた。人はどこからでも、いつからでも仕切り直しができる。それを後押しするのが教育の力。この教員は大阪の公立中学校で今も勤務する。そしてこの青年に大阪で教員となり、しんどい子らと向き合えと私の気持ちを託した。彼は大きく頷いた。教育現場にある苦悩。でも、歳月を経て感動へも変わる。それらを大事だと共感できる社会でありたい
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