素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

桂米朝師匠亡くなるの報を聞き年齢の壁を考える

2015年03月20日 | 日記
 朝刊の一面トップに〈桂米朝さん死去・89歳・落語家、人間国宝〉を見た時、「来るべき時が来た」という思いに真っ先に駆られた。歴史上において「時代が必要とした人」というものがどの分野においても存在する。米朝さんもその一人だろう。特集記事、特集番組などで軌跡の紹介が多くなされているので繰り返す必要はないが、上方落語の大修理を請け負うべく生まれてきたと思ってしまう。

 落語研究の学者、噺家、プロデューサー、教育者の資質を兼ね備えている人は、上方落語のみならず落語界を見渡しても米朝さん以外思いつかない。米朝さんが築いた土台に建物を建てたのが枝雀さんだと思う。米朝さんにはできないものを枝雀さんが築いたといっても良い。そういう意味では、枝雀さんんも「時代が必要とした人」であったように思う。自ら生命を絶ったというのも必然かなと思ったりもしている。米朝さんは生命を全うした。そういう意味でも対照的なお二人である。

 上方落語はまだ花開いているとは言えない。この二人に続くものがまだ見えてこない。昭和の大修理は終わったが、平成の大修理は今からというところ。

 10年ごとの年齢の壁というものを強く意識しているが、89歳と聞くと90の壁の存在を考えてしまう。足腰が弱りながらも私の父は90の壁を超えた。どうしても重ねて考えてしまう。母親は86歳、90の壁を前にして少々難儀している。父は6人兄弟、母は5人兄弟、いずれも一人は早く亡くなっているが、後の7人の叔父叔母は健在。一人を除いてみんな80の壁を越えた。そこに学ぶことが多い。私は目下70の壁を見ながら歩んでいる。
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