今年も春日野部屋が星田会館に宿舎を構えている。栃煌山、栃ノ心、碧山の幕内上位力士を筆頭に26名の力士を擁する名門であり、活力もある。毎年1回は朝稽古を見に行くのだがバタバタした日を送っていてなかなか行く機会がなかった。明日から場所が始まるので本格的な朝稽古は今日まで、ギリギリのところで時間が持てた。



戦前、戦後を通じて輝かしい歴史を持つ部屋である。
1925年(大正14年)5月場所に現役を引退した出羽海部屋所属の横綱・栃木山が、引退に伴い自身の養父である行司・木村宗四郎が所有する年寄名跡を継承して年寄・8代春日野を襲名し、当時「分家独立を許さず」の不文律があった出羽ノ海部屋から例外的に独立を許されて春日野部屋を創設した。8代春日野は横綱・栃錦などの関取を育て上げた。
8代春日野は1959年(昭和34年)10月に逝去し、それに伴い、春日野部屋所属の横綱・栃錦が現役力士のまま9代春日野を襲名した。9代春日野は1960年5月場所に現役を引退して、師匠として横綱・栃ノ海や大関・栃光、関脇・栃東、関脇・栃赤城、関脇・栃乃和歌などといった多くの関取を育て上げた。
約30年にわたり師匠を務めた9代春日野は1990年(平成2年)1月に逝去し、それに伴い、春日野部屋の部屋付き親方である9代中立(元横綱・栃ノ海)が10代春日野を襲名して春日野部屋を継承した。10代春日野は関脇・栃乃洋や小結・栃乃花などといった関取を育て上げた。
その後、10代春日野の定年退職を1ヶ月後に控えた2003年2月に、春日野部屋の部屋付き親方である17代竹縄(元関脇・栃乃和歌)が10代春日野と年寄名跡を交換する形で11代春日野を襲名して今に至っている。
熱心な後援者が稽古を見守る中、激しい稽古が続いた。熱気ムンムンで扉を開けて中に入った瞬間、メガネが曇ってしまった。幕内力士3人の体はひときわ目立っていた。今、体幹トレーニングとしてしこ、蹲踞、すり足などの相撲の稽古の所作が注目されている。参考になった。
星田駅前には交野市出身の勢の星取表も設置された。
先場所は1勝14敗という結果。真ん中に白1つ、左右にずらりと黒。完敗したオセロのようだった。196cm,96kgと大きくて均整もとれているのだからもう少し落ち着いた取り口ができないのかなあといつも思ってしまう。豪栄道ともども今場所に期待しよう。




1925年(大正14年)5月場所に現役を引退した出羽海部屋所属の横綱・栃木山が、引退に伴い自身の養父である行司・木村宗四郎が所有する年寄名跡を継承して年寄・8代春日野を襲名し、当時「分家独立を許さず」の不文律があった出羽ノ海部屋から例外的に独立を許されて春日野部屋を創設した。8代春日野は横綱・栃錦などの関取を育て上げた。
8代春日野は1959年(昭和34年)10月に逝去し、それに伴い、春日野部屋所属の横綱・栃錦が現役力士のまま9代春日野を襲名した。9代春日野は1960年5月場所に現役を引退して、師匠として横綱・栃ノ海や大関・栃光、関脇・栃東、関脇・栃赤城、関脇・栃乃和歌などといった多くの関取を育て上げた。
約30年にわたり師匠を務めた9代春日野は1990年(平成2年)1月に逝去し、それに伴い、春日野部屋の部屋付き親方である9代中立(元横綱・栃ノ海)が10代春日野を襲名して春日野部屋を継承した。10代春日野は関脇・栃乃洋や小結・栃乃花などといった関取を育て上げた。
その後、10代春日野の定年退職を1ヶ月後に控えた2003年2月に、春日野部屋の部屋付き親方である17代竹縄(元関脇・栃乃和歌)が10代春日野と年寄名跡を交換する形で11代春日野を襲名して今に至っている。

星田駅前には交野市出身の勢の星取表も設置された。
