素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「江戸の狆(ちん)飼育」

2015年07月30日 | 日記
 今日の「まんまこと」では、狆が一役かっていた。少し前に放映された「雲霧仁左衛門」(1978年・五社英雄監督)でも狆が欠かせない存在だった。 

 泥棒稼業から足を洗おうとしていた雲霧(仲代達也)が最後の仕事として、尾張屈指の呉服商、松屋を狙う。松屋の主人、松屋吉兵衛(丹波哲郎)の心を取り込み店に入り込んだ引き込みの千代(岩下志麻)が、金蔵の場所とその鍵の在処を探すシーンで、吉兵衛が愛玩していた狆が鍵をにぎっていた。

 その時は、さほど狆には関心がいかなかったが、後日磯田さんの『歴史の愉しみ方』の中にある「江戸の狆飼育」を読んで「なぜ狆だったのか」を得心した。今日の「まんまこと」も狆飼育の事情をよく踏まえて作られていた。

 磯田さんの話によると、元来東アジアには犬を食べる風習があり、日本も例外ではなかった。織田・豊臣から徳川初期の城を発掘すると食べた跡がくっきり残る犬の骨が出てくるらしい。

 しかしある時期から東アジアの中で日本人だけが犬を食べなくなり、徳川幕府が食犬を禁じ、五代綱吉の「生類憐みの令」で食犬の風習は絶たれた。

 かわって人気となったのが狆の飼育である。狆は一般的な犬とは別な生き物ととらえられていたみたいで、高級愛玩動物として大名家の奥向きでさみしさを紛らわすためにさかんに飼われるようになった。当時は高貴な生き物と考えられ、超高価。豪商なども富の証として飼っていたようである。

 日本における純粋な意味での犬の愛玩は、狆の飼育がはじまりだと磯田さんは言う。

 そのような話を講義でしていたら、江戸時代の愛玩犬について卒業論文を書きたいという学生があらわれた。好奇心こそが学問の母と考えている磯田さんは、その学生のために史料を探すことにした。思いのほか江戸の犬飼育の史料は出てきたらしい。

 狆の飼育法を書いたおそらく日本唯一の書物と考えられる香川大学の神原文庫にあった『狆育様療治(ちんそだてようりょうじ)』によると、江戸時代にも現代顔負けのブリーダー(繁殖家)がおり、狆はあわれなほど種づけされていた。

 「男狆は生まれて十五ヵ月目から女狆にかける」、女狆は「サカリ付より十四日目当りより男狆合せる」。猛烈に交尾をさせられていた様子も解読している。

 血統の良い「よき筋の男狆二三度ずつもサカリ女狆に合せ」れば「男狆つかれ舌も白く成」ると書かれている。

 そして、そういう時は狆専用のスタミナ飲料をつくり卵・鰻を食べさせ、また交尾させるのだという。人間も服用できない朝鮮人参やカワウソの黒焼きまで飯にまぜて食べさせられ、灸治もうけていた。無理な繁殖も行われていたみたいで、近親交配の問題も起きていた。ただ、当時は奇形の子を産むのは近親交配のためとは認識されておらず、男狆を交尾で疲れさせたために起きる現象と考えられていたという。

 スタミナ飲料、餌でクスリ漬けされていた男狆は悲惨である。

「江戸の狆飼育」の最後を磯田さんは次のように締めくくっている。

『犬は愛してもよいが自分の都合で玩(もてあそ)ぶものではない』 現代の事情にも通じるものがある。

 そのような知識を持って見た「まんまこと」は一味違った。

 
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