素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『武士の家計簿』・身分費用という概念

2015年08月03日 | 日記
 『武士の家計簿』(磯田道史著・新潮新書)を三分の一ほど読みすすめている。7代目信之、8代目直之の頃を中心に当時の武家の経済事情が分かりやすく解説されている。映画でのイメージも役に立つ。映画館で買ったパンフレットも参考にしながらの読書である。

 この中で、武士と百姓町人の家計簿を比べたときに「身分利益」=「身分収入」ー「身分費用」という構造式で考えると相違が出てくるという指摘は鋭いと思った。「身分費用」というのは「武士身分としての格式を保つために支出を強いられる費用」である。召使いを雇う費用、親類や同僚との交際費、儀礼行事をとりおこなう費用、先祖・神仏を祭る費用など江戸時代の武家社会からはじき出されないために不可避的に生じる費用である。

 時代が進むにつれ武士身分が窮乏化したのは、この「身分費用」が一因になっていたという。

 江戸時代のはじめ、17世紀ごろまでは、「身分収入」のほうが「身分費用」よりもはるかに大きかった。しかし、幕末になってくると財政再建のため、諸藩で武士の俸禄カットが行われるようになってきて「身分収入」は大幅に減少するが、17世紀に拝領した武家屋敷は大きなままで維持費がかさむうえに「家格」というものが次第にうるさくなってきて、家の格式を保つための諸費用を削るわけにはいかなくなった。そのため「身分利益」は激減し、借金地獄に苦しむ武家が多くなった。猪山家の家計簿からそのことが如実に読み取れる。

 磯田さんは幕末の武士たちにとっては「身分利益」よりも「身分費用」の圧迫のほうが深刻ではなかったかと指摘する。明治維新は武士の身分的特権(身分収入)の剥奪という視点で見られがちだが、武士を身分的義務(身分費用)から解放する意味もあったことを忘れてはいけないという。

 武士の身分的特権の剥奪に抵抗した者もいたが、武士の数全体からみればほとんどはおとなしく従っている。その鍵は「身分費用」の問題が握っているとの仮説は同意できた。

 後半は9代目成之にスポットがあたる。弘化元(1844)年に生まれ、幕末・明治・大正の激動期を生きぬいた姿を家計簿から浮かび上がらせてくれることを期待している。
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