素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

「真の敵」は今も目の前に

2015年08月10日 | 日記
 8日(土)の朝刊にあった保阪正康さんの『昭和史のかたち』も一読に値するものだった。海軍の特攻作戦に公然と反対した、海軍の飛行部隊・芙蓉部隊の隊長だった美濃部正さんとの対談の様子と氏の書き残した回想録を紹介しているが、その底に自民党の武藤貴也衆院議員(36)のネットでの発言に対しての憤りがあることがひしひしと伝わってきた。

 昭和20年2月、木更津の第3航空艦隊司令部で開かれた連合艦隊主催の次期作戦会議の席上で、幕僚、指揮官、飛行隊長など80人を前に、最若輩の少佐で末席に連なっていた美濃部さんは、誰も異論を唱えない連合艦隊参謀の「全機特攻」という作戦案に、意を決して発言を求め正面から反対論を唱えた。
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 保阪さんは美濃部さんの反対論には次の重大な2点が含まれていたと指摘する。第一は「若い搭乗員に死を強要するならまずは自分たちが先頭に立って死んでいけ」。第二は「たとえ戦時下といえども他人に生の確率ゼロの作戦を強要する権利はない」

 これを保阪さんは「真の敵」への批判ととらえる。参謀の激高を受け、芙蓉部隊は特攻編成から外され、夜襲舞台として菊水作戦に参加した。さらにこの部隊は、練習機などでの特攻作戦に加わっていない。

 それらの事実を美濃部さんは保阪さんに淡々と語ったという。軍人としてより一人の人間として特攻のような「十死零生」の作戦を採るべきでないはないとの信念を持っていたのでその考えを指揮官の会議で披露しただけで特に褒められることではないということも語られた。と述懐する。

 しかし、手記には「妄想狂的猪突戦線拡大と兵站補給の軽視」といった語もあるぐらい、参謀、指揮官、司令官に対するすさまじい怒りを書いていると言う。

 前途夢多き若者の未来を摘み取る「真の敵」は今も私たちの目の前にいると戒めている。


 
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