1年ほど前、村野中学校で同勤した後藤さんが毎日新聞の「女の気持ち」という欄に投稿されていた。お母さんの実家で17歳だったお母さんの日記が見つかり送られてきたことを書かれていた。
17歳の時のお母さんのことは後藤さんは知る由もない。きっと新鮮な発見があっただろう。以前書いたことがあるが、私も両親から若かりし頃の話を聞くようになったのは60歳を過ぎてからだ。ジェーン・スーさんの「生きるとか 死ぬとか 父親とか」や文藝春秋7月号の《田辺聖子「十八歳の日の記録」》を読んだ時、ふと後藤さんの投稿記事を思い出しもう一度読もうと思ったが、妻の膨大なスクラップに紛れてしまい行方不明に。
たまたま整理していたらその投稿が発見された。後藤さんは10年ほど前に家族歌集「草笛の道」を自費出版されて贈呈された。その時略歴を見てお母さんが私の父と同じ歳だということを知った。あらためて投稿を読むと感慨深いものがあった。
17歳の時のお母さんのことは後藤さんは知る由もない。きっと新鮮な発見があっただろう。以前書いたことがあるが、私も両親から若かりし頃の話を聞くようになったのは60歳を過ぎてからだ。ジェーン・スーさんの「生きるとか 死ぬとか 父親とか」や文藝春秋7月号の《田辺聖子「十八歳の日の記録」》を読んだ時、ふと後藤さんの投稿記事を思い出しもう一度読もうと思ったが、妻の膨大なスクラップに紛れてしまい行方不明に。
たまたま整理していたらその投稿が発見された。後藤さんは10年ほど前に家族歌集「草笛の道」を自費出版されて贈呈された。その時略歴を見てお母さんが私の父と同じ歳だということを知った。あらためて投稿を読むと感慨深いものがあった。