素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

つくつく法師の鳴き声にわずかばかり秋を感じる

2012年08月21日 | 日記
 ジムの受付での会話。「何で来たのですか?」「自転車で」「暑かったでしょう!」「半端じゃないですね」「毎日毎日暑いですね」「早朝が少しましになったぐらいですね」「どこかに秋はないですかね?」「ウ~ン・・・つくつく法師が鳴きだしたぐらいかな」

 特徴のある鳴声をよく耳にするようになった。“日本歳時記”の表現を借りると、「ジー」で始まり、「ツクツクホーシ・ツクツクホーシ」と何回も繰り返した後、「ウイヨース」ときて、最後に「ジー・・・・」と鳴き終わる。「ウイヨース」の部分は意識していなかったので明日じっくり聴いてみよう。

 鳴き立ててつくつく法師死ぬる日ぞ 夏目漱石 今は道路の上にアブラゼミの死骸をよく見かける。

 盆明けからジムには全然行っていなかったので昨日は6日間分を思い切りこなした。筋力トレーニング10種類を3セット、アークトレイナー(ステップ運動)を60分、ランニングマシーン90分・15km。こなせるだけの体力がついたのだがさすがに体中の筋肉がパンパンになった。今日はさすがに負荷を減らした。

 夕刊に“歌舞伎俳優の舞台裏”という欄に坂東三津五郎さんが「2時間の一人芝居に稽古ひと月」というタイトルで執筆されていた。井上ひさしさんの『芭蕉通夜舟』のことである。芭蕉の19歳から51歳までの一生を、芭蕉が一人でいる場面ばかりを選んで36景にちりばめた作品を、4人の朗誦役はいるものの、2時間弱を一人で演じ切るという三津五郎さんにとっても生まれて初めての経験だそうだ。

 演出の鵜山仁さんと1対1で、王将戦のような緊密な稽古がほぼ1ヶ月続いたそうだ。膨大なセリフの量に加え36景の時と場所も違う芭蕉を多面的に表現することに格闘したみたいだ。8月17日に初日を迎えているが、大阪に来るのは9月15日。チケットはゲットしてある。今までとは一味違う井上作品を楽しみにしている。

 2時間弱の芝居に1ヶ月をかけるのに対して、三津五郎さんのホームグランドである歌舞伎は興行の関係で、全員が集まって稽古できるのは4日間。しかも上演時間は昼の部と夜の部合わせて6~7本の芝居や踊りで7時間。その分量を4日間の稽古で仕上げなければならないのだから稽古の密度の濃さは相当なものであろう。

 最後に三津五郎さんはこうしめくくっている。

「2時間の芝居に1カ月、7時間の芝居を4日。同じ演劇なのに稽古の量と質はこんなにも違う。長い慣習のもとに成り立った世界だから一概にどちらが良いとは言えないが、片方はもう少し短くていいと思うし、片方はもう少し余裕が欲しいと思うのが、私の正直な気持ちである。」 

 私もそれまでに芭蕉について少しだけ勉強しておきたい。

 

  
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『余録日記』をやり始めて2週間余り

2012年08月20日 | 日記
 販売店で“余録”書写ノート『余録日記』を買い求め、朝刊1面に掲載されている“余録”を切り抜いて貼り付けるようになって2週間あまりが経った。ここまでで感じたこと思ったことを列挙してみる。

 ①書写は思ったより大変である。

 およそ658文字のコラム、目で読んでいる時は1分間足らずで読み終わっていたが、書写となると最初は37分~40分、最近は30分前後になったがとても長く感じる。この間集中力を維持するのは大変である。真ん中ぐらいからは内容をつかむことはできなくなる。ボォーとする頭をふりながらひたすら写すということになる。

 したがって、貼ってはいるが書写できていない日も多い。少し安易に考えていたと反省している。漫然と時を過ごしているとダメである。

 ②“光陰矢のごとし”を実感する

 気を弛めていると白紙のマス目のページが4ページぐらい続いてしまう。時間の経過が目に見える形で前にあるので思わず「夜が来て、朝が来て、また夜が来て、すぐ朝になる」とつぶやきが出る。

 ③音読も合わせてすると良い

 タイトルをつけようとすると内容を把握しなければいけない。それにはほど良いスピードが必要である。書写のスピードでは無理であることがわかった。音読で約2分間、これだと思考の速さに合致する。

 音読が脳に与える効用については東北大学の川島隆太さんが述べておられる。人間を人間たらしめる前頭連合野を活発にさせるというのだ。川島さんの“日本の昔ばなし”を題材にした音読練習帳を時々やっているがこれは音読のスピードを上げることが主目的である。余録のほうはスピードより正確さを重点に置きたい。速さはNHKのアナウンサーを参考にしている。

 目に見えてはわからないが継続してみようと思っている。

 ④メモ欄は漢字練習に使う

 書いてみると漢字を正確に覚えていないことがわかる。2~3個は普通ある。それらを書き出して練習をすることにした。言葉の量を増やすことが自分の考えていることや思っていることを表現、伝達するためには欠かせない。的確な言葉遣いを含めてピックアップしておくと何度も見直すことができる。

 ⑤書くこととパソコンやメールで打つことの違いがわかってきた

 川島さんは音読練習帳の一口コラムで【メールで前頭前野は働かない】と述べている。「近頃は老若男女を問わず、みんなが電子メールを使っていますね。しかし、電子メールを打っているときや読んでいるときは、前頭前野はほとんど働いていません。その理由はまだわかっていないので、これから解明したいと思います。」

 書いてみてわかったが、漢字を“書く”作業の時は正確さ、意味、形、バランスなどいろいろな要素がからむ。たとえば「推薦」という字を書こうとしたらめんどいなという感情もコントロールしつつ、高校入試で出題されて困ったなと思い出しつつ書く。脳をけっこう総合的に使っている。“打つ”場合は変換機能のおかげでこのあたりがカットされる。脳の思考でいえば選択枝を選ぶほうに片寄ってしまうのでは。○×問題とか二択、三択問題をやっているようになる。積み重なってくるとこの違いは大きいのではないか。

 書写と音読を意図的に取り入れていく必要を感じる。
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パズルスッキリ!御礼申し上げます

2012年08月19日 | 日記
 「夏炉冬扇」引き出しにはなかった言葉です。道理でなんぼ絞り出しても出てこないはずです。ブログにチマチマと書いたのも書いている間に稲妻のごときひらめきがありスッキリ眠ることができるかもしれないという下心がありました。無いものはひらめくはずがありません。今日ブログを見てビックリ!コメントがズラリでした。同じようにスッキリしていない人が多かったのだということにホォーとなる。

 このブログの訪問者は1日だいたい150名前後で安定していたが、この日だけは744名と跳ね上がった。ネットでつながれている社会を実感した。

 とにもかくにもブログを書き終わってもひらめかなかった段階でギブアップ。ボクシングならタオルを投げ込まれた状態。早々の回答に感謝してます。スッキリとともに1つ賢くなりました。日本語の世界は深く広い。

 孫が昨夜遅く泊りに来た。京都の水族館に行くか?それとも大阪ステーションビルにするか?という誘いを「暑いやん!」の一言で拒否。たしかに今日も昨日と負けず劣らずの暑さ。室内でいかにして過ごすか?“家のお手伝い”という宿題が残っているというので夜のために“ポテトサラダ”をつくってもらうことにした。「包丁使ったことがあるか?」と尋ねると「あるある。幼稚園のお泊り保育でカレーライスをつくった時」と乗ってきた。

 ジャガイモの皮むきやきゅうり、人参、ハムを切ったりと張り切っていた。手助けをするポイントとタイミングがむずかしい。切ったり、ゆでたり、つぶしたり、混ぜたりする作業の中に勝手に物語をつくって楽しんでいる。このあたりが大人と子どもの違い。アドバイスや手助けの時には一緒にこの世界へ入らないといけない。
   試食をして「こりゃうまい!」と満足気であった。私も少しの間、童心にもどらせてもらった。 

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“第29回10覧会(TENRANKAI)展”へ

2012年08月18日 | 日記
 今年も案内状が届いた。前後期に分けられているので日程的には厳しい。今日の午後予定が空いたので梅田の茶屋町画廊に出かけた。家を出る時はカンカン照りであった。地下街を少しブラついてから阪急梅田茶屋町口で地上に出ると空模様が一変していた。稲妻がひかり、雨がポツポツと降り始めていた。画廊へと急いだ。間一髪という感じで画廊に入るや滝のような雨となった。
 退職してから毎年観ているが作品のモチーフは同じだと思うが表現方法の変化が楽しめる。今年のMさん、切り絵を大胆に取り入れていた。切り絵の世界に深く入り込むのではなく自分自身の表現したいものに切り絵をツールとして用いていきたいという趣旨の話をうかがった。さてどんな世界が広がっていくか?今後が楽しみである。

 来年は区切りの30回。願わくば全員の作品を一堂に観たいと思っている。1週間の中で前後期2度足を運ぶのは物理的に大変である。9名のメンバーの個性を見るというのもこういう展覧会の楽しみの1つでもある。もう1つは、作品の展示を通じての“出会い”の場所というサロン的な雰囲気があればいいなと思う。新しいビルに移ってきれいににはなっているが、その分無機質な空間になってしまったような気がする。ゴミゴミとした裏町風情の漂った前の画廊の雰囲気が少し懐かしい。

 帰りはさらに雷も雨も激しくなっていた。後でニュースで知ったが落雷で亡くなった人やケガをした人が数多くあった。やはり、地震・雷である。地域の夏祭りも延期となった。
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夕刊にあった「クロスワード」ウーンあと1つ!

2012年08月17日 | 日記
 今日の暑さは一級品だった。昼過ぎに用事で近所の店まで行ったが、人っ子一人いないという感じで独特の静けさが支配していた。夕飯時のビールの量が多くなるのも自然のなりゆき。

 ほろ酔い気分が手伝って、いつもはパスする夕刊の「今週のクロスワード第223回」に手をつけた。人名がスーッと出てこないモヤモヤ感【6のタテ】“シーボルトの娘”2文字、日本的だったということは覚えているが・・・さて?キク・コメ・ウメ候補は浮かぶが今ひとつはっきりしない。まわりから埋めていって“イネ”にたどりつく。その時壁になっていたのが【5のヨコ】“取り越し苦労だったかな”で“オ○○ス○シ”を埋める部分。わかってしまうとなんでもなかったが、酔った頭には“お鮨”と見えて思考が進まない。

 もう1つの人名【9のヨコ】“「居酒屋」「ナナ」などの代表作あるフランスの小説家”2文字、“○ラ”読んでいないけど確かにいた。人形の家のノラが邪魔をしてくる。これを解く鍵が【2のタテ】“ひかりより速いけど素粒子ではありません”3文字、“○○ミ”ラスト5まで思いつかなかった。判った時「何て頭が固くなったのだ」と思わず苦笑。

 マス目がほとんど埋まったころにはすっかり酔いがさめていた。最後に1つだけ残ったのが【42のタテ】“夏に暖かく冬に涼しくするものはともに時期外れの役立たず”6文字、“カ○○ウ○ン”最後の○はおそらく“セ”である。A~Mの文字をアルファベット順に読んで言葉をつくるのAにあたる。B~Mは判っていて、「Aイジカナラヌセイキョクヤ」で今の永田町がヒントとなっているから「政治家ならぬ政局屋」と推測できる。本当にその通りだと思う。

 真ん中の○を解くのが【49のヨコ】“蚤虱(のみしらみ)馬のーする枕もと/芭蕉”昔習った記憶はあるがさて?馬の糞(ふん・くそ)では品がない。でもこの前の「しみじみ日本・乃木大将」では派手にボタボタと落としてくれたなとか、小さい時サーカスを見た時に象が演技中に堂々と糞尿を私の目の前でやったよなとか考えたりしてまとまらない。最後なのでこれは調べた。“尿”で“バリ”か“シト”となる。他のマスの関係で“シト”かなと入れる。

 これらがすべて正しいとすると最後の1つは“カ○トウセン”だが、頭が硬直して?である。ああすっきりしない。
コメント (14)
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