どこでどう植え付けられた定かではないが、「経済的な自立が何よりも大切なんだ」という思いは思春期の頃には私の心にしっかり根付いていた。当時は中学を出てから職に就く友人も多くいて、自分が親のすねをかじって高校に通っている時に、大工や電気工として働く彼らに劣等感のようなものを持っていた。
目的は『経済的自立』であり、それ以外のものは手段に過ぎない。そこに到る道はさまざまである。私が『経済的自立』に至るまでの道のりは曲りくねっていた。両親にとってはハラハラものだったに違いない。母から「嵐を呼ぶ男」と言われたこともあった。ありがったことは一人立ちするまでしっかり経済的に支えてくれたことだった。「金は出すけど、口は出さず」というところが一本通っていた。
このことが自分が3人の子どもを育てる時のベースとなるのは必然だ。真っ先に考えたのは、「自分が死んでも子ども達が経済的に自立するまで、お金のことで希望する歩みを断念することがないようにしてあげなければいけない」ということだった。そこで高額の生命保険や医療保険に加入した。保険料は負担だったが親の責任だと考えた。
幸い、それらを使うことなく子ども達はそれぞれ経済的自立を果たし、私も定年まで勤めることができた。本来、そこで保険は見直さなければいけなかったのだが、ズルズルと惰性で流れてきた。昨年の秋に、保険会社からハガキが届いた。70歳になったら保険料をアップするとのこと。単純に腹がたった。自動車保険ならば無事故割引があって年々保険料は下がるのに、ただの一度も保険を使うことなく払い続けてきて、もっと払え!というのかという次第。そこで、保険の見直しのスイッチが入った。偶然、明治安田生命の営業の方とご縁ができて、今の自分に見合ったものを提案してもらった。納得のいく内容だったのですぐに契約。そして40年以上付き合ってきた会社のものはすべて解約した。そのことが、いろいろな面で思わぬ好都合をもたらしたのだが そのことは個人情報ということで保護。
明治安田生命は定期的にお客さま懇談会を開催してきたが、コロナ禍の今、初めての試みで『オンラインお客さま懇談会』を企画しているとの連絡があった。招待するお客さまを各支店1名出さなければいけないのだが、2月8日(月)13時~14時なので、パソコンを使っていて、平日の午後空いている人となるとなかなかいないとのこと。
緊急事態宣言の中、ニュースや新聞で、オンライン授業や会議、飲み会、旅行などの話を多く見聞きするが、自分には無縁の世界でそのことがむしろラッキーだと思っていた。
多少不安はあったが、これも何かの縁と引き受けた。
目的は『経済的自立』であり、それ以外のものは手段に過ぎない。そこに到る道はさまざまである。私が『経済的自立』に至るまでの道のりは曲りくねっていた。両親にとってはハラハラものだったに違いない。母から「嵐を呼ぶ男」と言われたこともあった。ありがったことは一人立ちするまでしっかり経済的に支えてくれたことだった。「金は出すけど、口は出さず」というところが一本通っていた。
このことが自分が3人の子どもを育てる時のベースとなるのは必然だ。真っ先に考えたのは、「自分が死んでも子ども達が経済的に自立するまで、お金のことで希望する歩みを断念することがないようにしてあげなければいけない」ということだった。そこで高額の生命保険や医療保険に加入した。保険料は負担だったが親の責任だと考えた。
幸い、それらを使うことなく子ども達はそれぞれ経済的自立を果たし、私も定年まで勤めることができた。本来、そこで保険は見直さなければいけなかったのだが、ズルズルと惰性で流れてきた。昨年の秋に、保険会社からハガキが届いた。70歳になったら保険料をアップするとのこと。単純に腹がたった。自動車保険ならば無事故割引があって年々保険料は下がるのに、ただの一度も保険を使うことなく払い続けてきて、もっと払え!というのかという次第。そこで、保険の見直しのスイッチが入った。偶然、明治安田生命の営業の方とご縁ができて、今の自分に見合ったものを提案してもらった。納得のいく内容だったのですぐに契約。そして40年以上付き合ってきた会社のものはすべて解約した。そのことが、いろいろな面で思わぬ好都合をもたらしたのだが そのことは個人情報ということで保護。
明治安田生命は定期的にお客さま懇談会を開催してきたが、コロナ禍の今、初めての試みで『オンラインお客さま懇談会』を企画しているとの連絡があった。招待するお客さまを各支店1名出さなければいけないのだが、2月8日(月)13時~14時なので、パソコンを使っていて、平日の午後空いている人となるとなかなかいないとのこと。
緊急事態宣言の中、ニュースや新聞で、オンライン授業や会議、飲み会、旅行などの話を多く見聞きするが、自分には無縁の世界でそのことがむしろラッキーだと思っていた。
多少不安はあったが、これも何かの縁と引き受けた。