2015年5月2日のブログは≪『余録』の書き写しが滞る≫というタイトルだった。内容は
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
最近は『余録』の書き写しも習慣化され、いろいろハプニングがあってもどこかで時間をつくり書き残すことはなくなった。この習慣化するまでが大変なのである。
にもかかわらず、先月28日より5日間、切り抜いて貼ってはいるが書き写しコーナーは空白のままである。原因は隆慶一郎さんの本である。『余録』を書き写すか?本を読むか?の選択になるといつも「隆さんの本を読む」に軍配があがるのである。
要は、どうしてもしなければいけない用事以外の時間がどんどん読書タイムになっていく。ジムもそう。シーズンオフと勝手に設定したことをいいことに足が遠のいてきた。
このブログも読書との天秤にかけられる日は近そう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
とあった。そのおよそ8カ月前の2014年9月1日では《「余禄日記」25冊貫通する!新たな気持ちで≫を書いていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2012年8月3日より『余録』の書き写しを始めた。読めば2分足らずであるが、書いてみると意外と時間がかかる。660字余り一文字2秒平均として22分となる。まして鬱とか襲われる、豪雨などになれば10秒は使う。これらの漢字がまたよく出てくるのである。
旅行や帰省をした時は書けないのでたまる。それを後日に埋めるのは結構骨が折れる。面白い本と出合った時は『余録』に費やす時間も惜しくなるので4日分ぐらいあっという間に白紙状態になる。落語や演劇、コンサートなどでに出かけた日も大方そうなる。
それでもその月の内か翌月には時間をやりくりしながら書き残しのないようにしてきた。しかし、去年の6月、7月、8月は旅行、帰省、本との出合い、ランニングなどにエネルギーを使い『余録日記』は空白だらけになった。こうなると書く意欲そのものも減退してしまう。8月は31日のうち28日書けていないという捨て鉢状態であった。これじゃいけないだろうと反省して3ヶ月分はそのままに、9月から心機一転コツコツと始めた。そこからはその月の分はその月の間に埋め合わせ、借金ゼロ状態が維持できた。
そうなると気になるのがあの3ヶ月分の負債である。以前にも書いたように自己満足に過ぎないが、この3ヶ月分を今年の分とパラレルにこなして借金を完済させようと一念発起した。そのことが自分に欠けていたものを埋めることにもなるのではないかとも思った。
ラストの8月は「時間はあるものではない、つくるものだ」という言葉を地で行く生活であった。とにもかくにも8月31日に2013年の「関東大震災の様子を知らせたフランス大使ポール・クローデルの外交書簡」をテーマにしたものと今年の「1934年にあった室戸台風をきっかけに気象予報のあり方に反省を迫られ、災害発生の危険を知らせる情報伝達の変遷」をテーマにしたものを書き終えた時はそれなりの充実感を味わえた。
書き始めて25冊、トンネルが貫通した気分である。今日からはゆとりある気分で『余録』と付き合うことができる。3年連用日記のように時々読み返してみるのも面白い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
こういう感じで「余禄」とは長くつきあっていたが、新聞社の紙面刷新で「余禄」のスタイルが朝日新聞の「天声人語」と同じスタイルから読売新聞の「読売春秋」スタイルに変更になった。前者だと切り抜いた時に裏面は広告欄だけだが、後者だと裏面の特集記事の一部を切り取ってしまう。骨のある特集だったし、家族で共有しているものだけに切り抜くタイミングが難しくなった。他にもいろいろあって「余禄日記」の定期注文をキャンセルして書き写しにピリオドを打った。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
最近は『余録』の書き写しも習慣化され、いろいろハプニングがあってもどこかで時間をつくり書き残すことはなくなった。この習慣化するまでが大変なのである。
にもかかわらず、先月28日より5日間、切り抜いて貼ってはいるが書き写しコーナーは空白のままである。原因は隆慶一郎さんの本である。『余録』を書き写すか?本を読むか?の選択になるといつも「隆さんの本を読む」に軍配があがるのである。
要は、どうしてもしなければいけない用事以外の時間がどんどん読書タイムになっていく。ジムもそう。シーズンオフと勝手に設定したことをいいことに足が遠のいてきた。
このブログも読書との天秤にかけられる日は近そう。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
とあった。そのおよそ8カ月前の2014年9月1日では《「余禄日記」25冊貫通する!新たな気持ちで≫を書いていた。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
2012年8月3日より『余録』の書き写しを始めた。読めば2分足らずであるが、書いてみると意外と時間がかかる。660字余り一文字2秒平均として22分となる。まして鬱とか襲われる、豪雨などになれば10秒は使う。これらの漢字がまたよく出てくるのである。
旅行や帰省をした時は書けないのでたまる。それを後日に埋めるのは結構骨が折れる。面白い本と出合った時は『余録』に費やす時間も惜しくなるので4日分ぐらいあっという間に白紙状態になる。落語や演劇、コンサートなどでに出かけた日も大方そうなる。
それでもその月の内か翌月には時間をやりくりしながら書き残しのないようにしてきた。しかし、去年の6月、7月、8月は旅行、帰省、本との出合い、ランニングなどにエネルギーを使い『余録日記』は空白だらけになった。こうなると書く意欲そのものも減退してしまう。8月は31日のうち28日書けていないという捨て鉢状態であった。これじゃいけないだろうと反省して3ヶ月分はそのままに、9月から心機一転コツコツと始めた。そこからはその月の分はその月の間に埋め合わせ、借金ゼロ状態が維持できた。
そうなると気になるのがあの3ヶ月分の負債である。以前にも書いたように自己満足に過ぎないが、この3ヶ月分を今年の分とパラレルにこなして借金を完済させようと一念発起した。そのことが自分に欠けていたものを埋めることにもなるのではないかとも思った。
ラストの8月は「時間はあるものではない、つくるものだ」という言葉を地で行く生活であった。とにもかくにも8月31日に2013年の「関東大震災の様子を知らせたフランス大使ポール・クローデルの外交書簡」をテーマにしたものと今年の「1934年にあった室戸台風をきっかけに気象予報のあり方に反省を迫られ、災害発生の危険を知らせる情報伝達の変遷」をテーマにしたものを書き終えた時はそれなりの充実感を味わえた。
書き始めて25冊、トンネルが貫通した気分である。今日からはゆとりある気分で『余録』と付き合うことができる。3年連用日記のように時々読み返してみるのも面白い。
☆ ☆ ☆ ☆ ☆
こういう感じで「余禄」とは長くつきあっていたが、新聞社の紙面刷新で「余禄」のスタイルが朝日新聞の「天声人語」と同じスタイルから読売新聞の「読売春秋」スタイルに変更になった。前者だと切り抜いた時に裏面は広告欄だけだが、後者だと裏面の特集記事の一部を切り取ってしまう。骨のある特集だったし、家族で共有しているものだけに切り抜くタイミングが難しくなった。他にもいろいろあって「余禄日記」の定期注文をキャンセルして書き写しにピリオドを打った。