素浪人旅日記

2009年3月31日に35年の教師生活を終え、無職の身となって歩む毎日の中で、心に浮かぶさまざまなことを綴っていきたい。

『とむらい屋 颯太』梶よう子著(徳間書店)

2021年02月05日 | 日記
 身近な人の訃報を聞くことが多くなったことも関係するが、本屋の棚で「人の数だけ 弔いがある」「死者の想いを 掬い取り あの世へ 送り出す 弔いの物語」「人の死で飯を食う それがあっしの生業」「弔いは、残された者のためにある」という帯の言葉が目に留まり『とむらい屋 颯太』を手にした。

 とある理由で、11歳で葬儀(とむらい)屋になると決めた店主の颯太。母を颯太に弔ってもらって以降店に居座りおせっかいを焼くおちえ。
の二人を軸に、
 初めての棺桶が妻のものだった早桶職人の勝蔵。寺に属さない渡りの坊主道俊。水死体を見るのが苦手な医者巧。南町奉行所の定町廻り同心韮崎。
などとむらい屋に関わる仲間が、町で出くわす様々な死と向き合いながら 生かされている意味を問いながら生きる様を縦糸に、各自が抱え持っている苦しみや悲しみを横糸に物語は展開していく。第一章「赤茶のしごき」の最後の颯太とおちえのやりとりが大きなテーマのような気がする。

       ああ、悔しい、とおちえがため息を吐いた。
      「君津屋さんにお八重さんを見せてあげればよかったのよ。綺麗に化粧ができていたんだから。
       でも、お八重さん、亡骸が上がってよかった。入水は見つからないことも多いでしょう。きちんと弔ってあげられたもの」
      「弔いは、死人のためにやるんじゃねえよ」
      「あら、そんなこといっていいの。迷わないようにあの世に送ってあげるんでしょう?
       颯太は、苦笑した。
      「だいたい、あの世なんか、あるかどうかわからねえよ。逝って戻ってきた奴がいねえからな」
       それはそうだけど、とおちえが拗ねたようにいう。
      「じゃあ、どうして弔いなんてするのよ」
      「残された者のためだ」
       おちえが首を傾げた。
      「そのうちわかるさ」
       颯太はふざけて木魚を叩く。
       ぽくっと、軽やかな音が響いた。


 2020年6月に刊行された続編『漣(さざなみ)のゆくえ~とむらい屋颯太~』と合わせ読むと良い。

 明日は、父の4度目の命日である。緊急事態宣言のため田舎との往来は取りやめた。『とむらい屋颯太』を読み返して偲ぶことにする。
コメント
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