いくら五輪には冷めているとはいっても、今夜8時30分からの陸上日本選手権男子100m決勝は見逃せない。多田、山縣、桐生、小池、サニブラウンの五輪出場枠3をかけたガチンコ勝負。見ごたえがあった。
先行する多田を追いかけてのレース展開、予想通りであった。アナウンサーも「小池、山県が追いかける。サニブラウンも出てきた。桐生は伸びない・・・」と予定していたであろう原稿に沿って中継していた。「多田、一着でゴール!」と言った瞬間、黒い影が走り抜けた。思わず「おい!誰か行ったぞ!あれは誰や!」と叫んでしまった。その疑問にはアナウンサーは答えない。山県と小池の僅差、サニブラウン、桐生の失速ばかりで
多田の次にゴールしたであろう選手は全く無視されていた。もっと臨機応変に伝達できないのかと腹立たしかった。
何回かスロービデオが流された後、やっと2着に入ったのがデーデー・ブルーノ選手だと紹介された。でも彼に関してはそれっきり。ゴール後の映像もなかった。5人の中に割って入った彼の存在は気になるところだった。事前の準備不足が露呈した感じ。
そこでデーデー・ブルーノの情報を収集した。
1999年(平11)10月7日生まれの東海大4年生。自己記録は100メートルが10秒20、200メートルが20秒77。今回の日本選手権は予選(向かい風2・3メートル)は10秒29、準決勝(向かい風0・4メートル)は10秒21。ともに2着。1着だったのは絶好調の多田。その差は予選が0秒03、準決勝が0秒04。
ナイジェリア人の父と日本人の母を持ち、陸上を始めたのは長野・創造学園高2年時。もともとサッカーをして、ポジションはサイドバック。ただ、本人いわく「駄目だった」。それで1年生の秋頃に部活を辞めて放課後は飲食店でバイトという生活を5カ月ほど。
しかし、体を動かすのは大好きで足はもともと速かったので、2年時に陸上部に入部。その当時から技術はまだまだ不足していたが、素質は光っていた。高3の7月に行われた長野県選手権では向かい風0・6メートルの中、10秒45をマークし、関係者の目に留まった。
標準記録10秒05の壁があるので、五輪出場はかなわないだろうが、これを機に飛躍してほしい。
先行する多田を追いかけてのレース展開、予想通りであった。アナウンサーも「小池、山県が追いかける。サニブラウンも出てきた。桐生は伸びない・・・」と予定していたであろう原稿に沿って中継していた。「多田、一着でゴール!」と言った瞬間、黒い影が走り抜けた。思わず「おい!誰か行ったぞ!あれは誰や!」と叫んでしまった。その疑問にはアナウンサーは答えない。山県と小池の僅差、サニブラウン、桐生の失速ばかりで
多田の次にゴールしたであろう選手は全く無視されていた。もっと臨機応変に伝達できないのかと腹立たしかった。
何回かスロービデオが流された後、やっと2着に入ったのがデーデー・ブルーノ選手だと紹介された。でも彼に関してはそれっきり。ゴール後の映像もなかった。5人の中に割って入った彼の存在は気になるところだった。事前の準備不足が露呈した感じ。
そこでデーデー・ブルーノの情報を収集した。
1999年(平11)10月7日生まれの東海大4年生。自己記録は100メートルが10秒20、200メートルが20秒77。今回の日本選手権は予選(向かい風2・3メートル)は10秒29、準決勝(向かい風0・4メートル)は10秒21。ともに2着。1着だったのは絶好調の多田。その差は予選が0秒03、準決勝が0秒04。
ナイジェリア人の父と日本人の母を持ち、陸上を始めたのは長野・創造学園高2年時。もともとサッカーをして、ポジションはサイドバック。ただ、本人いわく「駄目だった」。それで1年生の秋頃に部活を辞めて放課後は飲食店でバイトという生活を5カ月ほど。
しかし、体を動かすのは大好きで足はもともと速かったので、2年時に陸上部に入部。その当時から技術はまだまだ不足していたが、素質は光っていた。高3の7月に行われた長野県選手権では向かい風0・6メートルの中、10秒45をマークし、関係者の目に留まった。
標準記録10秒05の壁があるので、五輪出場はかなわないだろうが、これを機に飛躍してほしい。