作家で登山家の深田久弥氏を偲ぶ「第27回久弥祭」が、10月22日富士写ケ岳の登山口近くの加賀市山中温泉枯淵町の九谷ダム広場で開かれました。
深田久弥氏は同市の出身で、12歳の時に富士写ケ岳に初めて登り、健脚だと褒められたことがきっかけで登山に興味を持ちました。そのことから富士写ケ岳は、日本百名山の「原点の山」と呼ばれています。
今年の久弥祭には山の編集長として知られる、山と渓谷社の萩原浩司氏も参加され、好天に恵まれたこともあり大勢の参加者がありました。
私は前日に実家に立ち寄った後、弟と一緒に久弥祭と記念登山に参加しました。先ずは飛行機での移動の様子からお話ししたいと思います。
羽田空港から小松空港に向かう飛行機は、東京湾に向かって飛び立った後、高度を上げながら反時計回りに旋回して東京上空を抜けて行きました。翼の先に富士山がきれいに見えました。
富士山のアップです。
飛行機は秩父山地の上を飛び、機窓から雲取山がよく見えました。
下の写真は甲府盆地近くから見た富士山です。
次の写真では北八ヶ岳を見ています。手前に横岳から赤岳に続く尾根が見えます。赤岳の右には阿弥陀岳が見えます。
続いては諏訪湖です。ルートマップを見ると、この後松本空港上空から北アルプスの上空に入っていきます。
しかし残念ながら飛行機は雲の中に入り、視界がなくなりました。飛行機が高度を下げていくと、雲の合間からいくつかのダム湖と川の流れが見えました。下の写真は着陸間際に見た手取川です。晴れていれば奥に白山が見えるのでしょうが、この日は見えませんでした。
21日には深田久弥生誕120年記念の講演会と座談会にも参加しました。
講演は萩原浩司氏が「深田久弥と日本百名山」という演題で話されました。百名山の中の10座についてスポットライトを当て、深田氏がどのように登り感じたかを紹介されました。また萩原氏自身が撮られた百名山の写真も多く拝見できました。
座談会は萩原氏が座長をされ、韮崎白鳳会顧問の秋山泉氏、深田クラブ事務局長の大久保博氏、日本山岳会会員の中川博人氏がお話されました。お三方はいずれも深田氏と深い関わりがある方ですが、特に中川氏は深田氏と笈ヶ岳の山行を共にされていて、その時の様子を細かくお話しされたのが印象的でした。
22日の久弥祭の後には富士写ケ岳記念登山も行われ、枯淵登山口から富士写ヶ岳を目指して50人ほどが登りました。
登山ルートは九谷ダムを渡ってからは急登が続きます。距離は片道3km、標高差は840mです。前夜に雨が降ったことでとても滑りやすい道になっていました。
50人もが登るので、先頭が山頂に着いてから最後尾が到着するまで1時間半ほどの時間差ができました。
途中登山口付近でミゾソバを、標高500mから650mにかけてアキノキリンソウとママコナが咲いているのを観ました。
またミヤマシキミとツルアリドオシの赤い実を複数観ました。
下の写真は紅葉したマンサクと、ナナカマドの赤い実です。
私たちはコースタイムの2時間どおり歩いて10時40分過ぎに山頂に着きました。すでに15人ほどが山頂にいました。
私にとって3回目の富士写ヶ岳登頂です。過去の2回はいずれも積雪期でしたので、ずいぶん印象が違いました。
これまで雪の中から上半分だけが見えていた深田久弥氏の写真と名前が入った方位盤は、全形を初めて見ることができました。
この日は山頂から白山がよく見えたのが何よりのご褒美でした。
私たちが山頂についてから1時間ほどして、萩原氏を含む大勢が上がってきました。O氏が一升瓶に入ったワインを持ってこられました。
萩原氏のご発声で献杯をして、その後は萩原氏を囲んで撮影会が続きました。萩原氏は笑顔を絶やさず応じていらっしゃいました。
私たちはご一行に先んじて下山しました。下山のタイムもコースタイムの1時間半どおりでした。
下りてから見上げた富士写ヶ岳です。
この日は麓からも白山がよく見えていて、山に登らず深田久弥氏ゆかりの地を訪ねた皆さまもきれいな白山をご覧になってご満足だったそうです。
翌23日は曇っていて、帰路に機窓から白山が見られなかったのが、私にとって唯一残念なことでした。
深田久弥氏は同市の出身で、12歳の時に富士写ケ岳に初めて登り、健脚だと褒められたことがきっかけで登山に興味を持ちました。そのことから富士写ケ岳は、日本百名山の「原点の山」と呼ばれています。
今年の久弥祭には山の編集長として知られる、山と渓谷社の萩原浩司氏も参加され、好天に恵まれたこともあり大勢の参加者がありました。
私は前日に実家に立ち寄った後、弟と一緒に久弥祭と記念登山に参加しました。先ずは飛行機での移動の様子からお話ししたいと思います。
羽田空港から小松空港に向かう飛行機は、東京湾に向かって飛び立った後、高度を上げながら反時計回りに旋回して東京上空を抜けて行きました。翼の先に富士山がきれいに見えました。
富士山のアップです。
飛行機は秩父山地の上を飛び、機窓から雲取山がよく見えました。
下の写真は甲府盆地近くから見た富士山です。
次の写真では北八ヶ岳を見ています。手前に横岳から赤岳に続く尾根が見えます。赤岳の右には阿弥陀岳が見えます。
続いては諏訪湖です。ルートマップを見ると、この後松本空港上空から北アルプスの上空に入っていきます。
しかし残念ながら飛行機は雲の中に入り、視界がなくなりました。飛行機が高度を下げていくと、雲の合間からいくつかのダム湖と川の流れが見えました。下の写真は着陸間際に見た手取川です。晴れていれば奥に白山が見えるのでしょうが、この日は見えませんでした。
21日には深田久弥生誕120年記念の講演会と座談会にも参加しました。
講演は萩原浩司氏が「深田久弥と日本百名山」という演題で話されました。百名山の中の10座についてスポットライトを当て、深田氏がどのように登り感じたかを紹介されました。また萩原氏自身が撮られた百名山の写真も多く拝見できました。
座談会は萩原氏が座長をされ、韮崎白鳳会顧問の秋山泉氏、深田クラブ事務局長の大久保博氏、日本山岳会会員の中川博人氏がお話されました。お三方はいずれも深田氏と深い関わりがある方ですが、特に中川氏は深田氏と笈ヶ岳の山行を共にされていて、その時の様子を細かくお話しされたのが印象的でした。
22日の久弥祭の後には富士写ケ岳記念登山も行われ、枯淵登山口から富士写ヶ岳を目指して50人ほどが登りました。
登山ルートは九谷ダムを渡ってからは急登が続きます。距離は片道3km、標高差は840mです。前夜に雨が降ったことでとても滑りやすい道になっていました。
50人もが登るので、先頭が山頂に着いてから最後尾が到着するまで1時間半ほどの時間差ができました。
途中登山口付近でミゾソバを、標高500mから650mにかけてアキノキリンソウとママコナが咲いているのを観ました。
またミヤマシキミとツルアリドオシの赤い実を複数観ました。
下の写真は紅葉したマンサクと、ナナカマドの赤い実です。
私たちはコースタイムの2時間どおり歩いて10時40分過ぎに山頂に着きました。すでに15人ほどが山頂にいました。
私にとって3回目の富士写ヶ岳登頂です。過去の2回はいずれも積雪期でしたので、ずいぶん印象が違いました。
これまで雪の中から上半分だけが見えていた深田久弥氏の写真と名前が入った方位盤は、全形を初めて見ることができました。
この日は山頂から白山がよく見えたのが何よりのご褒美でした。
私たちが山頂についてから1時間ほどして、萩原氏を含む大勢が上がってきました。O氏が一升瓶に入ったワインを持ってこられました。
萩原氏のご発声で献杯をして、その後は萩原氏を囲んで撮影会が続きました。萩原氏は笑顔を絶やさず応じていらっしゃいました。
私たちはご一行に先んじて下山しました。下山のタイムもコースタイムの1時間半どおりでした。
下りてから見上げた富士写ヶ岳です。
この日は麓からも白山がよく見えていて、山に登らず深田久弥氏ゆかりの地を訪ねた皆さまもきれいな白山をご覧になってご満足だったそうです。
翌23日は曇っていて、帰路に機窓から白山が見られなかったのが、私にとって唯一残念なことでした。