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偏屈オヤジの日常疑問『耳そぎ饅頭』by町田康

2018年07月29日 | 小説レビュー
〜子供の頃から偏屈にだけはなりたくない、と思って、頑張って生きてきた。
しかしながら自分の前半生の道のりは偏屈への急な坂道を転げ落ちるがごとき道のりであった。はは。気楽や。
偏屈の谷底でそれなりに楽しく暮らしていた私であるが…。
人の、社会の、世間の輪の中を彷徨するパンク魂を綴る傑作エッセー。「BOOK」データベースより


大好きな町田康のエッセイを初めて読みました。
まさに「偏屈オヤジの屁理屈話」満載です。

とにかく、町田康氏の発想は素晴らしい!普通の人々が当たり前のように見過ごしている、また受け入れている世の中の事象に対して、ことごとく「?」をつけて、自分なりの町田流哲学を持ってこれを論じ、行動し、最後には元通りという、町田氏の日常が描かれております。

町田康氏を尊敬してやまない私は、「ほぅほぅ・・・。なるほど・・・、そういう角度から見てますか!」と、感嘆しきり、とっても楽しく読めました。

ディズニーランドへの熱い想いを語った『夢幻に死す』や、『赤色電動物たる俺』なんかは最高に笑えます!

「なるほど!」と感嘆した『個人の暴れん坊』の中から一部を抜粋しますね。

〜みんな生涯の一時期はオレ様なのであって、しかし、あれほどオレ様であった自分が、いまやこんなしょんぼりしたおっさんになっているというのは、やはりこれ、敗北や挫折を繰り返すうちにオレがオレがの、オレというものが磨耗して、いひひ、こんにちはいいお天気で、なんてなことのひとつも云えるようになるものであり、そうやって人間は成長していくのだ。
〜中略〜
〜いや待てよ、と思った。
というのは、確かに敗北や挫折を繰り返し、実に偉かったオレ様は、俺になり、わたしになり、わたくしめになって、拙になる。それは正しい。
そして、そのオレ様に敗北や挫折を経験させるのは誰か、というとそれは社会であるが、もしもその社会がオレ様をちやほやした場合、どうなるのだろう、と自分は考えたのである。
というのはいまちょっと社会は苦しい、というか自信を喪失しているような状態である。
〜中略〜
〜オレ様が傍若無人な振る舞いに及んだとしても、かつてのように、なにさらしとんじゃおら。殺すぞ、と叱ることもできず、
〜中略〜
〜これではオレ様が自信満々で生意気なことを吐かしやがるのも無理はないのである。
この事態に気がついている人がいったい何人くらいいるのだろうか。
〜中略〜
〜若い者とみればどやしつけ、抑圧、弾圧、思い上がった根性を叩き直さんと町へ出たのである。


ってな感じです。

まぁ、四の五の言っているオレ様のことはさておき、一度、町田康作品を読んで見てくださいな!

★★★3つです。


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