統一地方選挙も終わり、僕の応援している候補者も良い成績で当選しはりました
何人かの友だちにも「この人に投票して!」って頼んだんですが、みんな快く「よっしゃわかった
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」って、投票に行ってくれました。
開票速報をテレビで見ていたんですが、地元以外でも、旧知の方が当選して、万歳三唱している姿を見て喜んでいましたが、同時に敗北宣言をしておられる方の映像も目に映りました。
四面楚歌の語源となった「漢楚の戦い」の末期に楚の覇王・項羽が詠んだ句です。
力拔山兮 氣蓋世 (力は山を抜き 気は世を蓋う)
時不利兮 騅不逝 (時利あらず 騅逝かず)
騅不逝兮 可奈何 (騅逝かざるを 奈何すべき)
虞兮虞兮 奈若何 (虞や虞や 汝を奈何せん)
訳)わが力は山を引き抜くに足る
わが盛んな気力は世間の人々を圧倒するに足る
時運は、われに利あらず 騅(項羽の愛馬)も進むことができない
騅の進むことのできないのは どうすることができようか
いやどうすることもできない
虞(項羽の愛人で虞美人草の語源となった美人)よ、虞よ、
お前をどうしよう もはや私の力ではどうすることもできない。
選挙というのは、候補者本人はもちろんですが、配偶者や親族、そして多くの支援者の力を結集して戦います。
まさに「四面楚歌」を詠んだ項羽の気持ちで、敗北宣言をされた候補者もおられたことでしょう。
項羽は、この詩を詠んだ後に、逃げ落ちた烏江という場所で味方に合い、「江東に戻って力を蓄えて出直しては?」と勧められるが、「私が江東の子弟八千人を率いてここから西へ出発し、今一人として帰る者が居ない、たとえ江東の父兄が哀れんで私を王にしようとも、私に何の面目があろう?たとえ彼らがそれを言わなくとも、どうして私一人が心に恥を感じずにいられようか」」と言って、申し出を断り、敵軍に斬り込んで最期は自らの首を刎ねて、31歳の若さでこの世を去ります。
それから千年のときを経て、晩唐の詩人・杜牧が、項羽の死を悼み、
勝敗兵家事不期 (勝敗は兵家も期すべからず)
包羞忍恥是男児 (羞を包み恥を忍ぶはこれ男児)
江東子弟多才俊 (江東の子弟才俊多し)
捲土重来未可知 (捲土重来いまだ知るべからず)
訳)戦の勝敗は兵法の専門家でも予測しきれるものではない
身に帯びた恥を耐え忍んでこそ男児というもの
江東の子弟には優れた人材が多いのだから
ふたたび兵を起こし土を巻く勢いで来たなら、
勝敗はどうなったかわからないのに
という詩を詠みます。
残念ながら戦いに敗れてしまった方には、もう一度志を立てて、「捲土重来」を期し、頑張ってもらいたいものです。