修身斉家治国平天下(しゅうしんせいかちこくへいてんか)
先輩から、「お前も家を買ったんやから、ちょっとエエものをプレゼントしてやろうと思ってな・・・・・。 お前、座右の銘とかないのか? あったら、俺の知り合いの書道家さんに頼んで書いてもらって、額装して送ったるわ。 俺も書いてもらったんや。なかなかエエもんやぞ。」と言って下さいました。
まぁねぇ・・・・そんなにたいした人生を歩んできていないので、座右の銘などあるわけもなく・・・・でも、せっかくなので、四字熟語でも探してみようかと、四字熟語辞典などをしらべておりましたら、いい言葉がありました。
「修身斉家(しゅうしんせいか)」です。身を修めれば、家がととのうという意味です。
それを調べていきますと・・・・・
>儒教の経書である「大学」に出てくる言葉ですが、「大学」では
>格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下の8条目を説き、
>後段の“修身 斉家 治国 平天下”は、天下を治めるには、
>まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、
>次に天下を治める順序に従わなければならない“といった意味になります。
>その最初にある”修身“は、他から強制されるものではなく、
>自己を磨こうとする自発的な努力があってこそ成り立つものであり、
>その決意を語っているのが、この言葉です。
本当にその通りでしょう!その通りだと思いませんか?
僕は、友達と釣りに行ったり、友達と飲みに行ったりするときに、「楽しい遊びは安定した家庭から」と言ってます。
やっぱり僕はね、嫁さんや子どもたちに、できるだけストレスを感じさせることなく、楽しいレクリエーションをすすんで行い、家庭の中での会話を大切にして、日々の充実した幸せな生活を営んでいることによって、たまには夜に釣りに行ったり、飲みに行ったりしても、丸く家庭がおさまると思うんですよ。
自ら身を正すことによって、家庭が良くなり、家族みんなが笑顔溢れる生活を送る。 それによって、友達やご近所の方々にも笑顔が広がり・・・そして最終的に国の安寧があると思うんです。
教育再生といわれる今日。 国の根幹となる教育改革は急務であると同時に、国家百年の大計でもあります。
そんな大層な事は、議員や官僚の皆さんに考えてもらうことにして、僕ら自身ができることは「修身斉家」ですよ。
修身斉家で色々とさらに調べを進めていくと・・・
古之欲明明徳於天下者、 昔、自分の社会的徳性(明徳)を天下に明ら
先治其国 かにしようとした者は、その前にまず自分の
国を治めた。
欲治其国者、先斉其家 国を治めようとした者は、まず身内の事柄
(家)であっても、他の家や組織に対するのと
同様に客観的に公正に認識し、判断する
(斉:ひとしくする)ようにつとめた。
欲斉其家者、先修其身 身内(家)に対して好悪にとらわれずに公正に
判断(斉)しようとした者は、その前に
まず自分の身を修めた。
欲修其身者、先正其心 自分自身を修めようとした者は、心に偏りを
なくし、心のバランスを保つ(正)ことに
つとめた。
欲正其心者、先誠其意 心に偏りがなく、心のバランスを保とう(正)
とした者は、まず自分の意(こころ)をもの
ごとをあるがままに受け入れ、ウソごまかし
のない状態(誠)を維持しようとした。
欲誠其意者、先致其知 自分の意(こころ)をウソごまかしのない状態
(誠)にしようとした者は、そのために
まず知ることを極め(致)ようとした。
致知在格物 知ることを極める(致知)というのは、
ものごとをあるがままにその本質を理解する
(格物)と言うことである。
ということです。
まぁ修身の前にある、「格物・致知・誠意・正心」を身につけてから、修身、斉家・・・が成り立つので、この前段だ大切なんですよ。
僕の場合は、「格物 致知 誠意 正心 修身 斉家」までで十分です。 国(府県)を治めることはできませんし、天下を平定することも出来ませんしね。
いずれにしても、僕の名前の漢字「修」が含まれる四字熟語ですから、大切にしていきたいですね。
先輩から、「お前も家を買ったんやから、ちょっとエエものをプレゼントしてやろうと思ってな・・・・・。 お前、座右の銘とかないのか? あったら、俺の知り合いの書道家さんに頼んで書いてもらって、額装して送ったるわ。 俺も書いてもらったんや。なかなかエエもんやぞ。」と言って下さいました。
まぁねぇ・・・・そんなにたいした人生を歩んできていないので、座右の銘などあるわけもなく・・・・でも、せっかくなので、四字熟語でも探してみようかと、四字熟語辞典などをしらべておりましたら、いい言葉がありました。
「修身斉家(しゅうしんせいか)」です。身を修めれば、家がととのうという意味です。
それを調べていきますと・・・・・
>儒教の経書である「大学」に出てくる言葉ですが、「大学」では
>格物・致知・誠意・正心・修身・斉家・治国・平天下の8条目を説き、
>後段の“修身 斉家 治国 平天下”は、天下を治めるには、
>まず自分の身を修め、次に家庭を平和にし、次に国を治め、
>次に天下を治める順序に従わなければならない“といった意味になります。
>その最初にある”修身“は、他から強制されるものではなく、
>自己を磨こうとする自発的な努力があってこそ成り立つものであり、
>その決意を語っているのが、この言葉です。
本当にその通りでしょう!その通りだと思いませんか?
僕は、友達と釣りに行ったり、友達と飲みに行ったりするときに、「楽しい遊びは安定した家庭から」と言ってます。
やっぱり僕はね、嫁さんや子どもたちに、できるだけストレスを感じさせることなく、楽しいレクリエーションをすすんで行い、家庭の中での会話を大切にして、日々の充実した幸せな生活を営んでいることによって、たまには夜に釣りに行ったり、飲みに行ったりしても、丸く家庭がおさまると思うんですよ。
自ら身を正すことによって、家庭が良くなり、家族みんなが笑顔溢れる生活を送る。 それによって、友達やご近所の方々にも笑顔が広がり・・・そして最終的に国の安寧があると思うんです。
教育再生といわれる今日。 国の根幹となる教育改革は急務であると同時に、国家百年の大計でもあります。
そんな大層な事は、議員や官僚の皆さんに考えてもらうことにして、僕ら自身ができることは「修身斉家」ですよ。
修身斉家で色々とさらに調べを進めていくと・・・
古之欲明明徳於天下者、 昔、自分の社会的徳性(明徳)を天下に明ら
先治其国 かにしようとした者は、その前にまず自分の
国を治めた。
欲治其国者、先斉其家 国を治めようとした者は、まず身内の事柄
(家)であっても、他の家や組織に対するのと
同様に客観的に公正に認識し、判断する
(斉:ひとしくする)ようにつとめた。
欲斉其家者、先修其身 身内(家)に対して好悪にとらわれずに公正に
判断(斉)しようとした者は、その前に
まず自分の身を修めた。
欲修其身者、先正其心 自分自身を修めようとした者は、心に偏りを
なくし、心のバランスを保つ(正)ことに
つとめた。
欲正其心者、先誠其意 心に偏りがなく、心のバランスを保とう(正)
とした者は、まず自分の意(こころ)をもの
ごとをあるがままに受け入れ、ウソごまかし
のない状態(誠)を維持しようとした。
欲誠其意者、先致其知 自分の意(こころ)をウソごまかしのない状態
(誠)にしようとした者は、そのために
まず知ることを極め(致)ようとした。
致知在格物 知ることを極める(致知)というのは、
ものごとをあるがままにその本質を理解する
(格物)と言うことである。
ということです。
まぁ修身の前にある、「格物・致知・誠意・正心」を身につけてから、修身、斉家・・・が成り立つので、この前段だ大切なんですよ。
僕の場合は、「格物 致知 誠意 正心 修身 斉家」までで十分です。 国(府県)を治めることはできませんし、天下を平定することも出来ませんしね。
いずれにしても、僕の名前の漢字「修」が含まれる四字熟語ですから、大切にしていきたいですね。
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