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水の都とフリーセックス -ストックホルム- 1981.1.31~2.3
真冬のストックホルム
スウェーデンが歴史上に登場するのはバイキングの時代(西暦1000年頃)とか。首都ストックホルムが建設されたのは1252年というから中世都市の一つと言える。
13からなる島を橋で一つ一つネットワーク化し、バルト海に面したメーラレン湖をはじめ多くの湖に広がるこの都市は、北欧のベニスと呼ばれている。特に太陽が冬の低い角度にある時間帯は、湖畔のこの街の建物を見るのが最も美しい時である。
また朝日が湖面に反射し、その反射光が中世の湖畔の建物と大小様々なヨットを照らし出す様は、冬の薄暗い雰囲気の中でスポットライトを浴びた舞台俳優の様に似ている。
1560年のストックホルム
朝日に映えるストックホルムの街
夕方・薄暮のストックホルムの街
冬の日曜日の早朝、私はそのような風景を水鳥達と一緒に堪能した。潮が動き、氷塊が流れ、その上に羽を休める水鳥達は、人の接近を拒まずまるで日曜日を楽しんでいるかのように見える。
1→4→3→2散歩ルート 海辺の水鳥たちの餌場
休日の朝は美術館めぐり。国立美術館に足を向けるとドレスデンの陶磁器展をやっていた。スウェーデンでドイツの焼き物を見るのも如何なものかと思いつつも、寒さには勝てず中に入る。
(左)国立美術館(DRESDEN ROMANTIKの特別展) (右)狭い石畳の路の両側にお店が続く旧市街(Gamla Stan)
Gamla Stan(ガムラ・スタン)と呼ばれる旧市街には、13世紀頃からの建物がそのままの家並みを残している。迷路のような石畳の狭い路地の両側には古い陶人形のお店が並んでいる。路地はいつしか広場に通じて、そこが王宮だと言う。
あどけない顔の近衛兵が家族の前で緊張顔の交替式
太鼓の音に導かれて歩を進めると、3階建ての王宮の中庭では、近衛兵の交替式が進行中である。10代のまだあどけない顔をした近衛兵が家族の見守る中、緊張した顔で儀式に臨んでいる。スウェーデン国王はこの環状の王宮の中で生活しており、一人で車を運転して出掛けることもあるという。(テロによって国王が新市街で亡くなったのはこの数年後のことである)
フリーセックスがスウェーデンの代名詞になったのは、いつ頃のことであろうか。期待と興味が先行してこの街を歩き回ったが、むしろ三島由紀夫がいうように「スウェーデン娘は人形のように美し過ぎて味気がない」というのが実感である。ツーリストにとってこの町は、何かを拒絶するような気配すら感じられる。
シェラトンホテル・ストックホルム(左:海から、右:ホテル前の橋から)
ホテルで週末の夜に開催されたディスコ・パーティ、良家の子女を目当てにホテルの入口には着飾った娘達で溢れている。ベルボーイ達が彼女らのもぐり入場に目を光らせている。興味があってパーティ会場に行ってみたものの、同行した米国人もためらった程の打ち解け難さ。
好きになった同士が簡単にセックスまで発展するのは何もこの国だけでなく、欧米先進国では当たり前になってきている。どうも、ヒッピーがこの国に流れ込んで、ある種の集団形成がなされ、その中でのフリーセックスがこの国の代名詞になったのではなかろうか。
ある説によるとフリーセックスとは、開放的にセックスについて話し合うという70年代の学校での性教育改革が、なんと日本では自由にセックスが出来ると誤って伝わったようである。
「Fem Sma Hus」
地元で有名な面白いレストランがあった。名前を「Fem Sma Hus」という。「Five Small House 五つの小さな家」という意味だそうな。5軒の家の地下をぶち抜いて作られたレストランで、1969年の開業。1694年当時、このブロックでとても有名な専売違法酒場があり、その店の夫人の名前を冠した"Kalvfilé Anna Lindberg"というフィレステーキがこの店の創業時からの名物料理。
長らく海外で食事していると麺類が欲しくなるもの。幸い中華料理は何処の国に行っても食することが出来る。ワンタン麺が食べたくなって、とある中華料理屋に入った。亭主曰く、「ワンタンはあるがワンタン麺はない」と。然らば、ワンタンとヌードルを注文し、それを一緒にして頂戴!と言うと特注のワンタン麺が出てきた。しかし、料金はなんとワンタンの2倍。「明日からメニューに加えるときっと売れるよ!」と店主を指導。
でも2倍じゃねえ????
水の都とフリーセックス -ストックホルム- 1981.1.31~2.3
真冬のストックホルム
スウェーデンが歴史上に登場するのはバイキングの時代(西暦1000年頃)とか。首都ストックホルムが建設されたのは1252年というから中世都市の一つと言える。
13からなる島を橋で一つ一つネットワーク化し、バルト海に面したメーラレン湖をはじめ多くの湖に広がるこの都市は、北欧のベニスと呼ばれている。特に太陽が冬の低い角度にある時間帯は、湖畔のこの街の建物を見るのが最も美しい時である。
また朝日が湖面に反射し、その反射光が中世の湖畔の建物と大小様々なヨットを照らし出す様は、冬の薄暗い雰囲気の中でスポットライトを浴びた舞台俳優の様に似ている。
1560年のストックホルム
朝日に映えるストックホルムの街
夕方・薄暮のストックホルムの街
冬の日曜日の早朝、私はそのような風景を水鳥達と一緒に堪能した。潮が動き、氷塊が流れ、その上に羽を休める水鳥達は、人の接近を拒まずまるで日曜日を楽しんでいるかのように見える。
1→4→3→2散歩ルート 海辺の水鳥たちの餌場
休日の朝は美術館めぐり。国立美術館に足を向けるとドレスデンの陶磁器展をやっていた。スウェーデンでドイツの焼き物を見るのも如何なものかと思いつつも、寒さには勝てず中に入る。
(左)国立美術館(DRESDEN ROMANTIKの特別展) (右)狭い石畳の路の両側にお店が続く旧市街(Gamla Stan)
Gamla Stan(ガムラ・スタン)と呼ばれる旧市街には、13世紀頃からの建物がそのままの家並みを残している。迷路のような石畳の狭い路地の両側には古い陶人形のお店が並んでいる。路地はいつしか広場に通じて、そこが王宮だと言う。
あどけない顔の近衛兵が家族の前で緊張顔の交替式
太鼓の音に導かれて歩を進めると、3階建ての王宮の中庭では、近衛兵の交替式が進行中である。10代のまだあどけない顔をした近衛兵が家族の見守る中、緊張した顔で儀式に臨んでいる。スウェーデン国王はこの環状の王宮の中で生活しており、一人で車を運転して出掛けることもあるという。(テロによって国王が新市街で亡くなったのはこの数年後のことである)
フリーセックスがスウェーデンの代名詞になったのは、いつ頃のことであろうか。期待と興味が先行してこの街を歩き回ったが、むしろ三島由紀夫がいうように「スウェーデン娘は人形のように美し過ぎて味気がない」というのが実感である。ツーリストにとってこの町は、何かを拒絶するような気配すら感じられる。
シェラトンホテル・ストックホルム(左:海から、右:ホテル前の橋から)
ホテルで週末の夜に開催されたディスコ・パーティ、良家の子女を目当てにホテルの入口には着飾った娘達で溢れている。ベルボーイ達が彼女らのもぐり入場に目を光らせている。興味があってパーティ会場に行ってみたものの、同行した米国人もためらった程の打ち解け難さ。
好きになった同士が簡単にセックスまで発展するのは何もこの国だけでなく、欧米先進国では当たり前になってきている。どうも、ヒッピーがこの国に流れ込んで、ある種の集団形成がなされ、その中でのフリーセックスがこの国の代名詞になったのではなかろうか。
ある説によるとフリーセックスとは、開放的にセックスについて話し合うという70年代の学校での性教育改革が、なんと日本では自由にセックスが出来ると誤って伝わったようである。
「Fem Sma Hus」
地元で有名な面白いレストランがあった。名前を「Fem Sma Hus」という。「Five Small House 五つの小さな家」という意味だそうな。5軒の家の地下をぶち抜いて作られたレストランで、1969年の開業。1694年当時、このブロックでとても有名な専売違法酒場があり、その店の夫人の名前を冠した"Kalvfilé Anna Lindberg"というフィレステーキがこの店の創業時からの名物料理。
長らく海外で食事していると麺類が欲しくなるもの。幸い中華料理は何処の国に行っても食することが出来る。ワンタン麺が食べたくなって、とある中華料理屋に入った。亭主曰く、「ワンタンはあるがワンタン麺はない」と。然らば、ワンタンとヌードルを注文し、それを一緒にして頂戴!と言うと特注のワンタン麺が出てきた。しかし、料金はなんとワンタンの2倍。「明日からメニューに加えるときっと売れるよ!」と店主を指導。
でも2倍じゃねえ????