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躍動する世界都市 -パリ- 1990.9.22~25
「コネサンス・デザール」のパリ再開発を扱った特別号(日本語版)
私にとってパリが今ほど躍動感に溢れていると感じたことはない。もっとも一番最近の訪問から4年経つのだが。その原因は、やはり大改造計画が現実に姿を見せ始めたからだろう。
4年前までのパリは、私にとって一人寂しく欧州各地からパリに来てIEA(世界エネルギー機関)を訪問し、せいぜい一日か半日滞在して帰国する直行便の出発基地でしかなかった。
ルーブル一つとっても工事中で中に入れてもらえず、グランアルシュ(新凱旋門)もエア・フランスのリムジンに乗るためポルトマイヨーまで行っていても目と鼻の先のグランアルシュは工事中でまだその姿を現していなかった。
それが今、春に一度に花が開花するように、我々の目の前に大改造計画が現実の姿を見せている。EC統合を前に、ロンドンはドックランズを、パリはデファンスを夫々中心とする大改造計画は、まさに両者の世界都市としての生き残りを賭けた熾烈な主導権争いなのである。
ラ・デファンスのアルシュは、1989年7月14日の革命記念日に完成 広大なデッキが張り巡らされた新しい街
(左)今尚、再開発の槌音が・・ (右)再生された1793年創設のルーブル美術館I.M.ペイ設計のピラミッド
19世紀後半の芸術を収め、かつ19世紀末の鉄骨建築オルセー駅を保存したオルセー美術館
「アラブ世界研究所」 ディアフラグムの伸縮による太陽光の変化で採光量を調節するシステムがユニーク
(左)カルスト・オットの「オペラ・バスティーユ」 (右)ラ・ヴィレットの「科学・技術博物館」
「新大蔵省」 この移転でルーブル美術館の拡張が可能に。
パリの夜は、ツアー最後の文化体験、リドのディナーショーとなった。正装して参加のことというのが事務局のお達しである。初めてリドのショーを見た時は、食事の際のお酒が効いて半分寝てしまった記憶がある。それにしても、仕掛けが大掛かりになって飛行機は飛ぶわ、馬が出てくるわで、今後どうなるのであろうか?
同行のN氏、リドに双眼鏡持参とは、いやはや用意周到、まいりました。
飛行機や馬が出現するリドのショー、次は何が・・
二日目、パリ郊外のマルヌ・ラ・ヴァレというユーロ・ディズニーランドが出来る地区を視察後、自由行動。お土産を買わなければとメトロであちこち物色する。自分のものも記念にと思い、スーツケースの空き具合を想像しながら靴を購入することにした。3E幅の靴をやっと決めてさあ帰ろうとするとパリジェンヌの店員がクリームはこれが良いとか、型崩れさせないためにこの木型もどうかとか、営業熱心に迫ってくる。これを丁寧に断ってホテルに戻ると30分後には豪華ディナーに出発と言う。あわててシャワーを浴びてバスに乗り込む。
それにしても、このPullmanというホテル。およそパリのホテルとは言い難いホテル。日本人団体向けホテルのようで、用心は悪いわ、鍵は壊れているわ、もう少しましなホテルはなかったのかと残念がる。
パリ郊外 マルヌ・ラ・ヴァレ近郊のユニークなデザインのアパルトメント(集合住宅)
「最後の晩餐」は、Les Georgiquesという日本人経営の本格的?仏料理レストラン。我々の部屋の斜め後方テーブルに日本の美女2人連れがやってきた。添乗のO君が何やらそわそわ。彼の席が丁度彼女等を見通す正面席。「ちょっとこっちと替わろう」と無理やり席を替えて、写真の連写。彼女達も何事かとこちらに注目。そこを更に連写。確かにモデルっぽい美女達、笑顔で応じてくれる。そう、O君は30を越えてはいるが独身なのだ。何とか間を取り持とうと彼女達に迫るが、笑顔とは裏腹に雰囲気は迷惑顔。後日、現像された写真はあれほど撮ったにもかかわらず、ほとんどが光量不足。残念、O君!
(左)今回の旅行の最後の晩餐会場「Les Georgiques」 (右)ライトアップされたエッフェル塔を背景に。
帰り道、ライトアップされたエッフェル塔とパリの夜景を楽しむ。明日は帰国の途に。
躍動する世界都市 -パリ- 1990.9.22~25
「コネサンス・デザール」のパリ再開発を扱った特別号(日本語版)
私にとってパリが今ほど躍動感に溢れていると感じたことはない。もっとも一番最近の訪問から4年経つのだが。その原因は、やはり大改造計画が現実に姿を見せ始めたからだろう。
4年前までのパリは、私にとって一人寂しく欧州各地からパリに来てIEA(世界エネルギー機関)を訪問し、せいぜい一日か半日滞在して帰国する直行便の出発基地でしかなかった。
ルーブル一つとっても工事中で中に入れてもらえず、グランアルシュ(新凱旋門)もエア・フランスのリムジンに乗るためポルトマイヨーまで行っていても目と鼻の先のグランアルシュは工事中でまだその姿を現していなかった。
それが今、春に一度に花が開花するように、我々の目の前に大改造計画が現実の姿を見せている。EC統合を前に、ロンドンはドックランズを、パリはデファンスを夫々中心とする大改造計画は、まさに両者の世界都市としての生き残りを賭けた熾烈な主導権争いなのである。
ラ・デファンスのアルシュは、1989年7月14日の革命記念日に完成 広大なデッキが張り巡らされた新しい街
(左)今尚、再開発の槌音が・・ (右)再生された1793年創設のルーブル美術館I.M.ペイ設計のピラミッド
19世紀後半の芸術を収め、かつ19世紀末の鉄骨建築オルセー駅を保存したオルセー美術館
「アラブ世界研究所」 ディアフラグムの伸縮による太陽光の変化で採光量を調節するシステムがユニーク
(左)カルスト・オットの「オペラ・バスティーユ」 (右)ラ・ヴィレットの「科学・技術博物館」
「新大蔵省」 この移転でルーブル美術館の拡張が可能に。
パリの夜は、ツアー最後の文化体験、リドのディナーショーとなった。正装して参加のことというのが事務局のお達しである。初めてリドのショーを見た時は、食事の際のお酒が効いて半分寝てしまった記憶がある。それにしても、仕掛けが大掛かりになって飛行機は飛ぶわ、馬が出てくるわで、今後どうなるのであろうか?
同行のN氏、リドに双眼鏡持参とは、いやはや用意周到、まいりました。
飛行機や馬が出現するリドのショー、次は何が・・
二日目、パリ郊外のマルヌ・ラ・ヴァレというユーロ・ディズニーランドが出来る地区を視察後、自由行動。お土産を買わなければとメトロであちこち物色する。自分のものも記念にと思い、スーツケースの空き具合を想像しながら靴を購入することにした。3E幅の靴をやっと決めてさあ帰ろうとするとパリジェンヌの店員がクリームはこれが良いとか、型崩れさせないためにこの木型もどうかとか、営業熱心に迫ってくる。これを丁寧に断ってホテルに戻ると30分後には豪華ディナーに出発と言う。あわててシャワーを浴びてバスに乗り込む。
それにしても、このPullmanというホテル。およそパリのホテルとは言い難いホテル。日本人団体向けホテルのようで、用心は悪いわ、鍵は壊れているわ、もう少しましなホテルはなかったのかと残念がる。
パリ郊外 マルヌ・ラ・ヴァレ近郊のユニークなデザインのアパルトメント(集合住宅)
「最後の晩餐」は、Les Georgiquesという日本人経営の本格的?仏料理レストラン。我々の部屋の斜め後方テーブルに日本の美女2人連れがやってきた。添乗のO君が何やらそわそわ。彼の席が丁度彼女等を見通す正面席。「ちょっとこっちと替わろう」と無理やり席を替えて、写真の連写。彼女達も何事かとこちらに注目。そこを更に連写。確かにモデルっぽい美女達、笑顔で応じてくれる。そう、O君は30を越えてはいるが独身なのだ。何とか間を取り持とうと彼女達に迫るが、笑顔とは裏腹に雰囲気は迷惑顔。後日、現像された写真はあれほど撮ったにもかかわらず、ほとんどが光量不足。残念、O君!
(左)今回の旅行の最後の晩餐会場「Les Georgiques」 (右)ライトアップされたエッフェル塔を背景に。
帰り道、ライトアップされたエッフェル塔とパリの夜景を楽しむ。明日は帰国の途に。