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旅行記、世相独言

踊る宗教とサライと陶芸と-中部アナトリア①-(異文化体験31 東西文明十字路の旅6)

2013年07月14日 18時01分01秒 | 異文化体験_中・東欧
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踊る宗教とサライと陶芸と-中部アナトリア①- 98.08.21

 今日の行程 パムッカレ~コンヤ~スルタンハーン~トゥズ湖(テュズ)~ユルギュップ

 今日の行程は、パムッカレからコンヤ経由カッパドキア地方ユルギュップまで。多分、10時間近いバスの旅になるのではなかろうか。
朝のパムッカレ石灰棚を間近に見て、バスは一路中部アナトリアの文化拠点都市「コンヤ」を目指す。

 コンヤはイスラム神秘主義(スーフィズム)の一派で、旋舞教団の「メヴラーナ教団」発祥の地として有名である。
この教団は13世紀にジャラール・ウッディーン・ルーミー(1207 - 1273年)によって開基され、メヴラーナとは「わが師」という意味でルーミーのことを指している。音楽と旋舞を伴った集団祈祷に特徴がある。

         
(左)メブラーナ博物館入場チケット              (右)博物館は今なお多くの信者と観光客で賑わっている


 メヴラーナ博物館は、1924年まで教団センターとして機能していたが、トルコの政教分離政策に基づきアタトゥルクの命で閉鎖、教団は解散させられた。1927年以降、彼の霊廟が博物館として生まれ変わり一般公開されている。
 イスラム神秘主義の教義は「神への愛、神との合一、神への神秘的な探求」であり、その起源は7世紀頃と言われている。博物館には、メブラーナの棺やマホメットのあごひげ等が展示され、また修行僧の生活等も人形で紹介されている。

         
(左)修行僧の生活が展示されている              (右)右手は天を、左手は地を指して旋舞する(Wikipedia)


 コンヤ文化が花開いた13世紀頃には、芸術家、建築家、科学者等が集められ神学校が開かれた。その一つが1251年にセルジューク朝のカタライ宰相によって造られたビュユック・カタライ神学校。セルジューク様式のスタラクタイト(鍾乳石飾り)の正面門が素晴らしい。現在は陶器博物館となっている。

            
(左)ビュユック・カタライ神学校(現 陶器博物館)        (右)カタライ神学校のドーム


 コンヤからカッパドキアまでは約3時間のバスの旅。途中、スルタンハーンという所にキャラバンサライがある。
 中央アナトリアがシルクロードで栄えていた時代のラクダの隊商の宿泊所である。当時アナトリアには40を超える隊商宿があったようだ。
シルクロードと聞いただけで、東アジアの端から来た我々にとって何か郷愁を誘うものが込み上げる。

               
(左)シルクロードのキャラバンサライ入口  (中)入り口前にて      (右)その宿泊所内部

 
 更に、カッパドキア方面にバスを走らせると、アクサライという町の近くにトルコで2番目に大きなトゥズ湖という湖が車窓に広がる。
塩湖としても有名で特に夏場は水も少なくなり真っ白な塩の結晶が平均30cmの厚さで湖を覆うという。塩湖まで行って帰ってくる程度の時間なら車を止めて待ってくれるというので、駆け足でミニ・ミニ塩湖ツアー。

 白い塩湖トゥズ湖 (下の小さく青いのが普通の湖(Wikipedeia))


 カッパドキア地方にはヒッタイト時代から続く窯元がアヴァノスという町にある。クズル川の粘土質の土が陶芸に適しているようだ。
 このツアーの第1回目のショッピングタイムがこの町から始まる。ある工房に案内されると、新聞にも取り上げられた名工?のおじさんが足で轆轤を回しながら、あっという間に紅茶ポットを作り上げる。
 うまく出来たもので部屋が3つあり、安いものから順次高額な商品が並べられている部屋に移っていく。目は当然良い物を追い求める。ターコイズ・ブルーの繊細な模様のお皿やティーカップ、ポット類が日本円を狙って待っている。

 トルコの人間国宝級陶工?のおじさん 5分でティーポット

 左はこの陶芸館で買った皿、右はメブラーナ博物館で買った壷


 今宵の宿舎は、ユルギュップのDinler Hotel. 大きなプールもあって一泳ぎしたいところだが、到着も遅く強行軍のため早めの就寝。

 今宵の宿「Dinler Hotel」


明日は世界遺産「ギョレメ国立公園とカッパドキアの岩窟群」を巡る一日、楽しみだ。


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