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エルミタージュ(2) 王朝文化と買い漁った名画 2015.07.09
早速、エルミタージュ2階の名画たちを見てみよう。
ほとんどの入場者が名画を何とか写真に収めようとするのだが、額縁のガラスに外陽が反射して多くの場合真正面からの撮影が出来ない。また、その数も多過ぎて最初は撮影に熱心なのだが、そのうち撮影をやめてしまう。かく言う私もその一人。
(左)冬宮2階のの空中庭園 (中)レンブラント「放蕩息子の帰還」 (右)初期イタリアホール
旧エルミタージュ レオナルドダヴィンチの間 ダビンチ「聖母と幼子」(左:ベヌアの聖母 右:リッタの聖母)
(左)ティツィアーノ「悔悟するマグダラのマリア」 (中)ラファエロのロッジア (右)ラファエロ「聖母と幼子(コネスタービレの聖母)」
(左)作者? イルカと少年 (中)ミケランジェロ 「うずくまる少年」 (右)新エルミタージュ 大天窓の間
(左)ゴヤ「アントニア・サラテの肖像」 (右)エル・グレコ「使徒ペトロとパウロ」
さて、比較的新しい19~20世紀の名だたる画家の名画は、一度エルミタージュから外に出て、旧参謀本部の中の新たな展示スペースでこれらの名画を観賞することになる。
これは、エルミタージュ250周年のプロジェクトの一つのようで、現在も展示スペース設置作業が進められている。
ここに紹介した写真撮影された作品群で作者、作品名、画題がわからないものがあります。もし、ご覧になった人の中でご存知の方がおられれば、是非是非お教えいただきたいと願っています。ブログ・コメントでお願いします。
(左)冬宮を離れ旧参謀本部の新展示場へ (中)ロシアの若者達の集団 (右)旧参謀本部の建物
(左)ドガ「踊り子」 (中)セザンヌ「煙草を吸う男」 (右)ピカソ 作品名?
(左)マチス 作品名? (中)マチス「赤のハーモニー」 (右)ゴーギャン「パラウ・パラウ」
(左)ゴーギャン 作品名? (中)ルノアール 作品名? (右)ルノアール 作品名?
(左)モーリス・ドニ 作品名? (中)アンリ・エドモンド・クロス 作品名? (右)作者? 作品名?
(左)旧参謀本部内に整備されつつある新展示場 (中)宮殿広場 (右)冬宮 宮殿教会のクーポラ装飾
エルミタージュの美術品、芸術品は、他の多くの美術館や博物館のように戦利品、戦勝品として持ち帰ったものではない。何故、これだけの品々が王朝コレクションとして集められたのか、その背景を考えてみよう。
(左)新エルミタージュの男像柱のある柱廊玄関 (右)エルミタージュ劇場
(左)ロマノフ王朝 系図 (右)エカテリーナ2世
エルミタージュ美術館の中核をなす冬宮は、1754-1762年ピヨートル大帝の娘エリザヴェータ女帝の依頼でイタリア人ラストレッリが建設、エリザヴェータはその完成を見ることなく他界するが、以降歴代皇帝の居城となった冬宮には8人の皇帝が住んだ。
特に、大帝の孫嫁にあたるエカテリーナ(エカチュリーナと同じ)2世が、1764年に225点の西洋絵画を購入、これが今日のエルミタージュ美術館の創立日とされている。
その背景には、タタールの軛(くびき)によってヨーロッパ文化から切り離され、ヨーロッパからは野蛮な国とみなされたロシア、一方国内的にも依然としてごく少数の貴族と大多数の農奴の国であったロシアを一流国にしたいという想いがあったのだろう。
ピヨートル大帝そのものが、「ロシア的なもの」が充満するモスクワを離れ、サンクト・ペテルブルグ(ピーテル)をヨーロッパへの窓口とし、ヨーロッパへの仲間入り、西欧化政策を開始したが、そのような背景思想が受け継がれたのであろう。しかし、これらは貴族と農奴の国、かつ専制君主の国だからこそなせる業であったのであろう。
エルミタージュ(2) 王朝文化と買い漁った名画 2015.07.09
早速、エルミタージュ2階の名画たちを見てみよう。
ほとんどの入場者が名画を何とか写真に収めようとするのだが、額縁のガラスに外陽が反射して多くの場合真正面からの撮影が出来ない。また、その数も多過ぎて最初は撮影に熱心なのだが、そのうち撮影をやめてしまう。かく言う私もその一人。
(左)冬宮2階のの空中庭園 (中)レンブラント「放蕩息子の帰還」 (右)初期イタリアホール
旧エルミタージュ レオナルドダヴィンチの間 ダビンチ「聖母と幼子」(左:ベヌアの聖母 右:リッタの聖母)
(左)ティツィアーノ「悔悟するマグダラのマリア」 (中)ラファエロのロッジア (右)ラファエロ「聖母と幼子(コネスタービレの聖母)」
(左)作者? イルカと少年 (中)ミケランジェロ 「うずくまる少年」 (右)新エルミタージュ 大天窓の間
(左)ゴヤ「アントニア・サラテの肖像」 (右)エル・グレコ「使徒ペトロとパウロ」
さて、比較的新しい19~20世紀の名だたる画家の名画は、一度エルミタージュから外に出て、旧参謀本部の中の新たな展示スペースでこれらの名画を観賞することになる。
これは、エルミタージュ250周年のプロジェクトの一つのようで、現在も展示スペース設置作業が進められている。
ここに紹介した写真撮影された作品群で作者、作品名、画題がわからないものがあります。もし、ご覧になった人の中でご存知の方がおられれば、是非是非お教えいただきたいと願っています。ブログ・コメントでお願いします。
(左)冬宮を離れ旧参謀本部の新展示場へ (中)ロシアの若者達の集団 (右)旧参謀本部の建物
(左)ドガ「踊り子」 (中)セザンヌ「煙草を吸う男」 (右)ピカソ 作品名?
(左)マチス 作品名? (中)マチス「赤のハーモニー」 (右)ゴーギャン「パラウ・パラウ」
(左)ゴーギャン 作品名? (中)ルノアール 作品名? (右)ルノアール 作品名?
(左)モーリス・ドニ 作品名? (中)アンリ・エドモンド・クロス 作品名? (右)作者? 作品名?
(左)旧参謀本部内に整備されつつある新展示場 (中)宮殿広場 (右)冬宮 宮殿教会のクーポラ装飾
エルミタージュの美術品、芸術品は、他の多くの美術館や博物館のように戦利品、戦勝品として持ち帰ったものではない。何故、これだけの品々が王朝コレクションとして集められたのか、その背景を考えてみよう。
(左)新エルミタージュの男像柱のある柱廊玄関 (右)エルミタージュ劇場
(左)ロマノフ王朝 系図 (右)エカテリーナ2世
エルミタージュ美術館の中核をなす冬宮は、1754-1762年ピヨートル大帝の娘エリザヴェータ女帝の依頼でイタリア人ラストレッリが建設、エリザヴェータはその完成を見ることなく他界するが、以降歴代皇帝の居城となった冬宮には8人の皇帝が住んだ。
特に、大帝の孫嫁にあたるエカテリーナ(エカチュリーナと同じ)2世が、1764年に225点の西洋絵画を購入、これが今日のエルミタージュ美術館の創立日とされている。
その背景には、タタールの軛(くびき)によってヨーロッパ文化から切り離され、ヨーロッパからは野蛮な国とみなされたロシア、一方国内的にも依然としてごく少数の貴族と大多数の農奴の国であったロシアを一流国にしたいという想いがあったのだろう。
ピヨートル大帝そのものが、「ロシア的なもの」が充満するモスクワを離れ、サンクト・ペテルブルグ(ピーテル)をヨーロッパへの窓口とし、ヨーロッパへの仲間入り、西欧化政策を開始したが、そのような背景思想が受け継がれたのであろう。しかし、これらは貴族と農奴の国、かつ専制君主の国だからこそなせる業であったのであろう。