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旅行記、世相独言

てんとう虫とビッグウェーブと -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅2)

2016年02月18日 16時22分34秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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てんとう虫とビッグウェーブと    2016.01.25~01.30

 今回選択したゴルフ場は、Ko Olina GC & TURTLE BAYのGEORGE FAZIO COURSE の二つ。

 島の西(左)側コオリナ と 北(上)側タートルベイ

 Ko Olina GC(コオリナゴルフクラブ)は、毎年LPGAのロッテチャンピオンズシップが開催され、オアフ島でゲストがプレイできる1,2を争う名門コースと言われている。2012年に宮里藍選手が優勝しており、今年2016年は4月13-16日の開催だ。

       
(左・中)LPGAロッテチャンピオンズ過去4年の覇者とスコア   (右)2016年(4月13-16日)の覇者は? 

 一方、タートルベイにはジョージファッジオコースとアーノルドパーマーコースの2つのコースがあるが、上級者向けのパーマーコースは避けて、ファッジオコースにチャレンジ。ノースショアに面しサーファー好みのビッグウェーブと風が名物の難コースである。

          
(左)タートルベイ進入路の案内石               (右)ノースショアのビッグウェーブ(パイプライン)

 代理店はKATOゴルフ。送迎込でコオリナが205ドル。ファッジオが125ドル。

 1月26日6時45分のホテル・ピックアップで島の西側のコオリナへ。往路の車中でスロープレイや乗り入れカートの90度ルール、コース内トイレ等の注意事項を聞きながら、延々と続く反対車線の朝の通勤ラッシュに驚かされる。
 クラブハウスの前には、2014年の覇者ミシェル・ウィーの実話が銘板で張られた彫像がある。「(コオリナのロゴ)てんとう虫が舞い降りたらやさしくそっと息を吹きかけて逃がして上げると幸運が舞い降りる」という伝説らしい。

    
(左)てんとう虫ロゴのGPS搭載電動カート  (中)クラブハウス入口のレジェンド彫像   (右)ミシェル・ウィーの実話

 スタートは8時24分。GPS搭載の二人乗りカートには氷で冷やされたミネラルウォーターと名前入りのジャンボ・プラコップが備えられお土産にどうぞということらしい。300ヤードあるドライビング・レンジは無料のボール貸し出しで好きなだけ練習できる。
朝露に濡れたフェアウェイは朝日に光ってボールが見えにくいが、数ホール進むと朝露も消え、きれいに整備されたフェアウェイと木々の緑、真っ青な空が南国のゴルフを実感させる。

  
(左・中)スコアカード OUT3252yd IN3180yd TOT6432yd             (右)OUT1番ホール 朝露が陽光に輝いてまぶしい

 OUTの名物ホールは8番165ヤード、2段グリーンのショートホール。池の先に小さな滝をしつらえた庭園がありその上にグリーンがある。ここはワンオンしてパーで通過。

  
(左)OUT#4 184yd ワンオン・パー通過 (中)OUT#6 357yd ボギー通過  (右)名物ホール OUT#8 165yd ワンオン・パー通過

 INの10番から11番にかけては、ホールの右側を列車の線路、左側を一般道路が走っており、かなり気を使うホール。更に11番が終わるとカートが滝の下を通って、名物12番やや打ち下ろしのショートホールを迎える。ティグランドの下はここにも小さな滝をしつらえたきれいな庭園が広がる。

          
(左)IN#11 337yd 右に線路、左に車道           (右)曜日によってはゴルフ場内を列車が通る

          
(左)#11 パーで通過後、滝の下をくぐって#12ティグランドへ  (右)名物#12 166yd ティショット失敗でダボ通過   

 もう一つの名物ホールは、18番ホール。403ヤードのパー4。途中池で分断されたフェアウェイをドライバーでどこまで稼げるかが第2打の鍵になる。

  
(左)名物#18 403yd 第2打池越え失敗ダボ  (中)300ydのドライビングレンジ     (右)マスター室・クラブハウスとロイズ

 結局、46・45の91がこの日のスコア。ガイドがお勧めのチーズバーガーを食することもなく、ショップで記念にてんとう虫のグリーンマーカーを買って、ワイキキのホテルに戻ったのは午後1時半ごろ。


 1月28日6時30分のホテルピックアップで、一路北へ北へ。オアフ島のノースショアはビッグウェーブが期待できることからサーフィンのメッカでもある。今日は大会でもあるのだろう、沢山の車が詰めかけている。

 クラブハウス前のマスター室

 タートルベイの商標はビッグウェーブ、いわゆるパイプライン状の波。今日回るコース名のジョージ・ファッジオは1940年代に活躍したゴルファーらしい。途中混んでいたこともあって9時過ぎのスタートとなった。

     
(左・中)ジョージ・ファッジオコースのカードと本人画像         (右)アーノルド・パーマーコースのカード 次回は是非挑戦

 普段はもっと風が強いらしいがこの日はそれほどでもなく、広々としたフェアウェイ、やや短めのコース(計6100ヤードほど)にOUTはスコアも好調を維持。途中、カートのパワーがダウンし、カートの交換というアクシデントもあった。
 INには名物ホールの11番150ヤードのショートホールがある。グリーンの先には、ビッグウェーブが押し寄せる名物ホールだ。さすがに海っぺりは風が強い。
 更に、12番ホールはこの海を背に打ち出していく362ヤードのミドルと続く。

           
(左)名物ホール11番ホール 150yd パー通過          (右)グリーンの奥にはサーファー好みの波が 

           
(左)11番グリーン横に12番(362yd)ティグランド ボギー通過  (右)吹き抜ける風に潮飛沫が感じられる

 恐らく普段は特にINは強風との戦いとなるゴルフ場と思うが、この日は幸い穏やかで、41・45の86でのラウンド。ホテルに戻ったのは午後2時半過ぎであった。
 早速、翌日の帰国にそなえ飛行機のWEBチェックインに取り組むも、これが一苦労。

 実はホテル・サンドヴィラの横にアラワイ・カナルという運河があり、その向こうにAla Wai Golf Courseがある。ホテルで聞くと早いもの順でスタートしていくパブリックで、料金は不確かだが多分50ドルほど、とのこと。練習ラウンドにはうってつけだ。

 ホテル部屋から見るカナルの先にアラワイゴルフコースが広がる

 いずれのゴルフ場も、苦労するのは距離測定。GPS搭載でも日本のようにご親切に残り表示が出るわけでなく、自分で計算しないといけない。ましてGPSのないカートであればコース案内を見ながらバンカーやクリーク等目標物を踏まえて計算する必要がある。また、タートルベイはバンカーが固く締まっていて、バンカーショットは極めて難しい。
  しかし、快適なゴルフプレイが楽しめる。是非また来たいものだ!!!

Viva ハワイ! -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅1) 

2016年02月18日 12時24分48秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
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Viva ハワイ!   2016.01.25~01.30

 戦後60年の時は、サイパンに行った。そして、今回は戦後70年。戦争のない幸せを噛みしめながら、過去2回のハワイ訪問で行っていない真珠湾を訪問してみよう。
 初めて乗ったハワイアン航空が25年ぶり、3度目のホノルル空港に着陸した。再訪3人、初訪1人、計4人の学生時代の仲間による念願のハワイでのゴルフツアーの幕開けだ。
 現地実質3.5日、ゴルフ2ラウンド、半日観光、半日ワイキキ浜浴、1回は豪華ディナー、そしてホテルはワイキキ無星OK、これらの条件を満たして総予算は20万円の旅。

  
(左)初めて乗ったハワイアン航空               (中)ホノルル空港            (右)ホノルル空港周辺の風景   

 今冬最大の寒波に見舞われている日本からホノルルに降り立つと、誰しも早く何とか着込んだ防寒具を脱ぎたいもの。一流ホテルを次々回って一番最後に今回の宿舎「ワイキキ・サンド・ヴィラホテル」に到着したのが12時過ぎ。ラッキーにもチェック・インOKとのことで早速2部屋に分かれて夏バージョンに着替えを済ます。バスタブもあり、ウオッシュレットまで完備されており、申し分ないホテルだ。

          
(左)WAIKIKI SAND VILLA HOTEL                 (右)ワイキキ周辺MAP(ホテルは中央上の運河沿い) 

 早速、JTBオフィスに出向いて、日本で申し込んだ観光ツアーの確認とディナーショーの申し込みを済ませ、ワイキキ周辺を散策する。若い女性の浜辺の日光浴姿、ウクレレ同好会の練習、カピオラニ王妃の公園の緑等々、いつもと変わらぬワイキキである。

          
(左)ハワイといえばこの景色(昔は消波ブロックはなかった?)   (右)浜辺ではウクレレ同好会の演奏会?

           
(左)いつもの浜辺の景色                       (右)緑豊かなカピオラニ王妃公園

 私が初めてハワイを訪れたのは、今から丁度30年前の1985年2月。オイルショック後の日本のエネルギー事情の混迷期に主要電力・ガス会社が合同で我が国の都市エネルギーの在り方を研究するチームが発足し、約1ケ月3~4名の2班に分かれて欧米諸国を調査し、最後に合流・立ち寄ったのがこのハワイ。西海岸からハワイに向かう予定がパン・アメリカン(パンナム)だったのだが、急なストでアメリカン航空への振替輸送となった。席の奪い合いで大混乱の中何とか席にありつけたのが何とファーストクラス。この時泊まったのがパシフィックビーチ・ホテル。今も健在だ。

  
初めてのハワイ訪問時(40歳) (左)ハナウマ・ベイにて  (中)ワイキキにて     (右)現在のパシフィック・ビーチ・ホテル

 2回目のハワイは、25年前の1991年6月。義弟のジューン・ブライド、結婚式でオアフ島とマウイ島を訪問。若い人達にまじって女房とマリン・スポーツの一日ツアーに参加。ウインド・サーフィンで最後までボードに立てなかったのが未だに残念な想いとして残っている。マウイ島での泊まりはラハイナ・ショアーホテル。オアフの喧騒とは別世界の静かな魅力ある島だ。ホノルルでの泊まりは、カピオラニ女王公園に面したパーク・ショアホテルで、これまた今も健在だ。ホノルルではこの時パン・パシフィック・フェスティバルが開催され夜遅くまでカラカウア通りはブロックパーティで賑わっていた。

       
2回目のハワイ (左・中)ZERO GRAVITYのスキューバ入門修了書と参考写真   (右)オアフ・ワイキキのパークショア・ホテル 
              
(左)マウイ島のラハイナショア・ホテル      (右)マウイ島 ラフィオカラニ教会


 さて、25年ぶりのハワイ・オアフ島。明日は、早速コオリナ・ゴルフクラブでのラウンドが待っている。
ビジターゴルフ場ではオアフ島で1,2を争うゴルフ場と聞いている。

  Duke Kahanamoku像の前で

 さあ、ツアーの始まりだ。