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旅行記、世相独言

パール・ハーバーとカメハメハ王朝 -ハワイ- (異文化体験48 戦後70年 ハワイdeゴルフの旅3)

2016年02月19日 11時09分22秒 | 異文化体験_ミクロネシア、ハワイ
(写真はクリックで拡大します)

パール・ハーバーとカメハメハ王朝   2016.01.25~01.30

 ゴルフの合間は、再訪者も初訪者も行ったことのない真珠湾とイオラニ宮殿をメインとする半日ツアー。オプショナルツアーを手掛けるmyBus社の88ドルのツアーである。

 ハイアットのピックアップポイントを7時半ごろに出発し、まず最初に向かったのがホノルル1のビューポイント「タンタラスの丘」。1840年頃、ある学校の生徒たちが急勾配の長い坂道を登りながら「Tantalizingly out of reach (まだ着かないのかよ、じれったいよ)」とつぶやいたのがこの丘の語源だとか。夜景も素晴らしくツアーが出ている。

朝のタンタラスの丘からの眺望(私が撮った3枚の合成写真)

 次に向かったのは、ハール・ハーバー (真珠湾)。
 時間の関係で今回はフォード島の日本の降伏文書調印式が行われた戦艦ミズーリと今なお1777名の遺体と共に海面下に沈む戦艦アリゾナの上に建つアリゾナ記念館には行けないが、ハール・ハーバー・ビジターセンターと1941年12月7日の1年後に着水した潜水艦ボーフィンを見学。
 宣戦布告が奇襲行為から1時間後という、いわば不意打ちで始まった戦争に、戦艦アリゾナは奇襲忘れぬ「屈辱」の象徴として今なお訴え続けている。ルーズベルトは、12月7日を「Remember Pearl Harbor」を合言葉に屈辱の日とし、1945年8月トルーマンは原爆投下の理由の一つにこの無警告攻撃をあげている。

          
(左)アリゾナの遺品(We will never forget Dec.7.1945) (中)案内図     (右)潜水艦ボーフィンと真珠湾歴史施設サイト

  
(左)80人乗り 敵艦44隻を撃沈したボーフィン (中)船尾側魚雷発射装置  (右)ボーフィンから見たアリゾナ歴史館と戦艦ミズーリ

  
(左)ARIZONA記念館(右側)と MISSOURI記念館(左側)  (中)アリゾナの水中艦影を跨ぐ形の記念館   (右)炎上するアリゾナ 

 お次は、ご存知「この木なんの木のモンキーポッド」。モアナルア・ガーデンは日本人しか行かない観光スポット。高さ約25m、最大枝幅約40m、幹回り約7mのこの日立の樹に、日立は毎年4000万円の維持費を払っているとか。

 あの木なんの木は、年間維持費は何と4000万円

 次に向かったのは、ハワイアンの聖地マウナ・アラ(ロイヤル・モザリウム=ハワイ王室の墓地)。ここは合衆国星条旗を掲げずハワイ王国の旗のみを掲げることが許されている地球上で唯一の場所。この墓地を守るのはカメハメハ1世の重臣のアリイの家系の人々。カメハメハ1世の「遺骨は隠せ」との遺言で、強大なパワーが残っていると思われる遺骨は未だみつかっていない。ゆえに彼のお墓はここにないとのこと。ここに眠っているのはカメハメハ王朝とカラーカウア王朝の人々。

   
(左)ハワイ王国の旗 星条旗はない         (中)カメハメハ王朝の墓碑           (右)神聖なる墓所

 最後の訪問地は、イオラニ宮殿。
 その前にハワイの歴史を少々。ハワイ王朝は、カメハメハ1世によって1796年に君主国家として成立し、1893年リリウオカラニ女王の代に王朝が終焉するまで約100年続いた。イオラニ宮殿は、1882年~1893年までの約10年間、最後のハワイ王国の中心としてカラーカウア王とその後継者リリウオカラニ女王の公邸であったところ。

          
(左)イオラニ宮殿正面                (右)ツアーのお土産 イオラニ宮殿解説本

        
(左)カラーカウア王           (中)カピオラニ王妃      (右)ハワイ王国最後の王、リリウオカラアニ女王

 イオラニ宮殿は、アメリカン・フローレンス様式と言われるヴィクトリア時代の熱帯・亜熱帯地方に多く建てられた建築様式で、カラーカウア王は多くの斬新な要素や設備を取り入れた。例えば、水洗トイレ付化粧室、ガス灯のシャンデリア(その後一早く電気の導入)、箱型電話等々。クリスタルガラスの扉パネルや入口の正面大階段、玉座の間等々、その建築美には目を見張るものがある。

 来日経験もあるカラーカウア王には献身的な慈悲深い妻カピオラニ王妃がいたが子供には恵まれなかったようで、動物園一帯がカピオラニ公園として今もハワイの人々に親しまれている。
 王国最後の王、リリウオカラニ女王は、カラーカウア王の妹でわずか2年間の在位であったが、1895年には謀反隠蔽の疑いで宮殿2階の客間に幽閉され、筆記用紙と鉛筆を与えられていた彼女は五線譜を自ら引いて多くの曲を譜面に起こし、「女王の祈り」という素晴らしい歌を作詞・作曲している。

  
(左)宮殿扉のクリスタルガラスには彫られた王国の紋章      (中・右)大階段 素晴らしい木工芸術

          
(左)赤い絨毯が一際映える玉座の間        (右)戴冠式の宝器(純金の英国製)王冠にはハワイのタロイモの葉の模様が。

           
(左)金の間/音楽室(金色モヘアサテン地張りの円形ソファには楽譜が    (右)贈られた各国の勲章(日本のもある)

 また、ハワイの代表歌「アロハ・オエ」も彼女がつくったものである。

Ha`aheo ka ua i nā pali        雨が誇らしげに尾根を横切り
Ke nihi a`ela i ka nahele         森の中を通り抜けていく
E hahai (uhai) ana paha i ka liko   未だ開かぬ蕾を探しているかのように
Pua `āhihi lehua o uka          山あいに咲くレフアの花よ[注釈 2] 〈Hui〉
Aloha `oe, aloha `oe           あなたにアロハ あなたにアロハ
E ke onaona noho i ka lipo       木の陰に佇む心優しき人
One fond embrace, a ho`i a`e au  去っていく前にもう一度あなたを抱きしめよう
Until we meet again           また会えるその時まで

          
(左)カメハメハ大王(1世)とその王妃の肖像画        (右)イオラニ宮殿を見つめるカメハメハ大王の像

 今日も、カメハメハ大王(彫像)がイオラニ宮殿の正面を見つめている。