Anchor

旅行記、世相独言

異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅(その1)わが心のS.F.とBOUDIN

2018年07月26日 21時42分00秒 | 異文化体験_北米
異文化体験50 アメリカ大自然紀行の旅 2018.06.27-07.03

 かつて私は1983年~92年にかけてアメリカ大陸西海岸の都市を6回訪れている。シアトル、サンフランシスコ、ロサンゼルス、サンディエゴ、メキシコのティファナ等である。しかし、残念ながら大自然を擁するに内陸部に足を延す機会はなかった。

 今回はそんな大自然を7日間で巡る17名のグループツアーに参加して、写真撮影を楽しむことにした。昨年南イタリアに同行した女房は、既に大自然を空から遊覧飛行しており、長時間のフライトは結構ということで、単身参加となった。

 今回の旅のブログは、スケジュールに合わせて以下のように掲載することにする。
その1.わが心のS.F.とBOUDIN(Tony Bennett)
その2.生物多様性に富んだヨセミテ国立公園(Galen Clark & John Muir)
その3.マザーロード“U.S. Route66”(John Ernst Steinbeck)
その4.バスの窓ガラスをも打ち砕くセドナのパワー(ベンジャミン・ロントリー)
その5.奥行感を出せない! グランドキャニオン(Mary Elizabeth Jane Colter)
その6.モニュメントバレーのドライブ(John Ford & John Wayne)
その7.蛇行するコロラド川 ホースシュー・ベンド(The Platters)
その8.光の乱舞 アンテロープキャニオン(Tse bighanilini)
その9.金と鉄道とカジノとホテル、そして核実験場 ラスベガス(Benjamin Siegel)


 
(写真は、クリックで拡大します)
異文化体験50アメリカ大自然紀行の旅(その1)わが心のS.F.とBOUDIN(Tony Bennett)2018.06.27


 関空午後5時15分発、エア・カナダルージュ1952便でカナダ・バンクーバーに。バンクーバーからはエア・カナダ0566便でサンフランシスコに至るフライトである。このため、米国ESTAに加えてカナダeTAが要求される。  カナダ・バンクーバーで米国入国審査を受けるのだが、その前のトランジット検査場で検査係員の女性が小生の搭乗券にSSSS(Secondary Security Screening Selection)マークを印字し、詳細検査が始まった。SSSSは、搭乗者に対しては衣類から持ち物まで十分すぎるほどのチェックを行ったほうがよいという意味でカウンターからTSA職員に申し送る隠語のようなもの。保安当局の言い分では、抜き取り検査的なものと言っているが、どうも怪しいと睨まれたようだ。
 小生の前の女性は手荷物に規制を上回る液体を持っていたようで、廃棄処理に同意するかどうかでもめている。小生はカメラのバッテリーチェックを要求されたが問題なく10分ほど余計に時間がかかって入国の自動チェックイン機へ。幸い同行ツアー客も慣れない機械に手間取っており追いつくことが出来た。 しかし、ここでまた問題が。自動チェックインの操作はすんなりパスしたが、出てきたカードはNO2. 思い当たるのは眼鏡。写真撮影の際、眼鏡を外さなかったからだろう。

           
(左)バンクーバー経由サンフランシスコ着      (右)チケットのSSSSマークは、要詳細検査の意味

 ツアー客のバッゲージロスが発生し、夕刻のサンフランシスコ観光は午後5時をまわってのスタート。曇天かつ肌寒い陽気である。  サンフランシスコは過去3度訪問している。郊外にメンロパークと言う学園都市がある。全米でハーバードと1,2を争う名門スタンフォード大学の街である。かつて、スタンフォード研究所(SRI)と共同リサーチを行うため、「マーメード・イン」と言う今回のツアー宿舎と同じようなモーター・インに投宿していた。30数年前の話である。

  
約35年前の写真です(左:スタンフォード大学、  中:スタンフォード研究所   右:マーメード・イン)

 ゴールデン・ゲート・ブリッジは、今回は珍しくその全容を見せてくれている。過去、いずれも上層部が霧に覆われた橋を見てきたが、唯一全容を見たのは機内からであった。沖合には世界で最も有名な刑務所と言われたアルカトラズ島が霞んでいる。1962年の脱出劇実話がクリント・イーストウッド主演の映画「アルカトラズからの脱出」で描かれている。金門橋は、確かIN時が有料で、OUT時は無料だったと記憶しているが、橋を渡った所からのS.F.の街の景色が記憶に焼き付いている。

             
バスの車窓から(左)カリフォルニア・シールを掲げる会議場 (右)おなじみサンフランシスコのケーブルカー

 
約35年前の写真です(左)機窓から見る金門橋 (中)霧に身を隠す金門橋 (右)橋脚の最上部は常に隠れていました

 
夕刻のゴールデン・ゲート・ブリッジ(クリックで拡大します、主スパンは4200フィート=約1200mだそうです)

 フィッシャーマンズワーフのPier39は、昔の面影はどこへやら巨大なアミューズメントエリアと化していた。Pier39の突端に以前はなかったように思うがK-Dock Sea Lionsが出来ている。この日は天気もいまいちなのか、あしか君たちも姿を見せていない。

  
(左)アルカトラズ島を望遠で   (中)Pier39の蟹のモニュメント    (右)Pier39突端から見たアルカトラズ島

         
       (左)今日のK-Dock Sea Lions      (右)本来ならこんな感じ

  フィッシャーマンズワーフの本流は、Pier45とその根元周辺であったように思う。私の好きなBOUDINの大きな店はそこにある。S.F.に来ると下り専用の曲がりくねった花の道ロンバードストリートをドライブし、フィッシャーマンズワーフのBOUDINであのサンフランシスコ名物の酸味の強い「すっぱい」パンで知られるサワードウ・ブレッド(Sourdough Bread)を買って、マーメードインで毎朝食していた。夕食はメンロパークのマッカーサーパークという駅舎を改造したステーキハウスで、やや甘めのソースを冠したリブステーキを食していたが、ここのリブステーキを凌駕する味は未だ経験していない。お薦めである。

  
約35年前の写真です(左)S.F.名物ロンバードストリート (中)フィッシャーマンズ・ワーフ (右)メンロパークのマッカーサーパーク

  有難いことにPier39の入口右手にBOUDINの店があり、the smallest oneと言うと写真の大きさのパン(3.39ドル)だそうで、とにもかくにも30数年ぶりに味わうことが出来そうだ。

         
(左)Pier39入口付近の雑踏(BOUDINは右手に店が)  (右)一番小さいサワードウ・ブレッド(Sourdough Bread) 

今宵の宿舎は、ヨセミテエリアのOAKHURSTのCOMFORT INN。小奇麗な設備も満足できるモーター・インだ。翌朝、朝食に事務所棟に行くと先発するJTB旅物語の御一行様で小さな食事処が大混雑。とりあえず持てるだけを持って部屋食で済ませ、BOUDINのパンを持って第二ラウンドで再訪し、給仕のおばさんにこれをカットしたいと言うと「オー!サンフランシスコ」と親しみのある顔で、こちらにおいで!と小さな厨房の中へ招き入れ、パン切ナイフを出してくれた。かくしてあの味の再現が実現した次第である。

   
     今宵の宿舎 ヨセミテエリアのOAKHURSTのCOMFORT INN

  
(左)食堂大混雑につき第1ラウンドは部屋食 (中)35年ぶりに味わうサワードゥ・ブレッド(右)ピグミーヤギのお見送り

 私にとってS.F.と言えば、Tony Bennettの「I left my heart in San Francisco」とBOUDINの「Sourdough Bread」。
 さあ、次なる訪問地「ヨセミテ公園」に向け出発!!